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2015年8月

2015年8月30日 (日)

ブログを引っ越しました

先日お知らせしていたブログの移転が完了しました。
今後は移転先で更新します。
ブックマークに登録してくださっている方は、お手数ですが、再登録をお願いします。

新しいURLはこちらです。
katata.info(Katata/堅田)

今後ともどうぞ「Katata/堅田」をよろしくお願いいたします。

追記:各記事は新ブログの該当ページに数秒後にジャンプする設定になっています。
(トップページはジャンプしません)


◆当ブログの著作物一切に関し、NAVERまとめ、KAUMO、その他まとめサイト(バイラルメディア・キュレーションメディア)への転載は認めておりません。(無断転載の問い合わせをした本人であることの確認のために、当該会社名を明記しております。)

追記(2016/6/21):ご訪問いただいた皆様、著作権侵害で悩んでいる方へ

当ブログの引っ越し前後(2015年8月)に行われたと思われる、写真・文章の無断使用行為が複数確認されました。そのため、当記事の最後に著作権に関する注意書きと被害事例を追加しました。

ココログからワードプレスに移転し、サーバーで措置をとったことで、新ブログでは目立った無断使用行為は確認されておりません。
ココログ等の個人ブログ(特に無料ブログ)は、まとめサイトのネタ元として被害の対象になりやすいようです。

新ブログでは著作権侵害に対する対応方法・相談先なども随時書いています。
http://katata.info/tag/copyright/

同様の被害に遭われた方で、抗議の手順やサーバーでの設定の仕方などお力になれることがありましたら、ご遠慮なく新ブログのメールフォ-ムからご連絡ください。


▼お知らせ:小学館の「名城をゆく(安土城)」に写真を提供しました

隔週刊マガジン 名城をゆく(10) 2015年 8/18 号 [雑誌]

小学館2015/8/4

掲載される周辺の城(滋賀)です↓

箕作城/観音寺城/浅小井城/長光寺城/岡山城/日野城/滝川城/青地城/瀬田城/大津城/宇佐山城/坂本城/大溝城/朽木城


著作権および免責事項(記事の転載・写真の使用について)

当ブログの引っ越し前後(2015年8月)に行われたと思われる、写真・文章の無断使用行為が複数確認されました。(注意書きを何も読んでいないか、悪気が無いケースが存在することは承知していますが、あまりにひどいので、)個人ブログの写真は素材集ではありませんよ、ということで・・・「免責事項として」追記します。


写真の転載は禁止しています。

写真および文章の著作権は、兼松純に帰属します。掲載写真にはコピーライト(作成年・作家名・ブログ名・URL)を記載しており、著作権の放棄は一切行っておりません。

画像検索を元に自動的に取り込む、アフィリエイトサイト・企業サイトの無断使用が複数確認されているため、当方で画像検索にかからないよう、Google社に削除の申請を随時行ってきました。robot テキスト等でも対策を行っています。

そのため、画像検索を抗弁(言い分)にされる場合は、現在も先方のサーバーで当ブログの写真が無断で保存されているか、キャプチャーによる保存後に自己利用の行為を超えた無断利用を行っているケースが大半だと思われます。


◆引用の域を超える転載、写真の無断使用・二次使用を禁じます。

・引用の際は、著作権法に従った引用をお願いします。(出典の明記・「」による区別・主従の区別)
・社内資料や専門資料として利用される際は、事前にお問い合わせをお願いします。


丸ごとコピーして配信する行為、写真を縮小して掲載・列挙する行為は、引用には該当しませんのでご注意下さい(引用の域を超える転載=禁止です)。

◆NAVERまとめ、KAUMO、その他まとめサイト(バイラルメディア・キュレーションメディア)への転載は認めておりません。

◆写真の透かしを消したり、あるいはそのままで、写真をウェブサイト・ツイッター等に使用することは認めておりません(こちらも引用には該当しませんのでご注意下さい)。

◆当ブログの著作物のアフィリエイトサイトへの使用、団体・企業における使用、および広告・宣伝媒体への使用は、営利目的に準じるものと判断いたします。著作権侵害には法的措置を講じます。

◆業務用プレゼンテーションおよびカンプへの無断使用は固くお断りします。
◆無断転載の場合において生じる事態の責任は一切負いかねます。


以下は、事実確認と証拠保全のために公開しています。(2016/6/21)
今まではやむなくブログ上で抗議するときも、相手方が削除に応じた場合は後から記事を消していたのですが、移転後の記事ではなくこちらのブログが被害に遭っており、今回は企業や営利目的のサイトということもあって、記録と証拠を兼ねてこのブログに書くことにします。


アフィリエイトサイトによる写真の無断転載(※削除要請に応じていないもの)
3枚無断転載があったのですが、2枚は無断転載されたままです。

魚拓(2枚無断転載状態) http://archive.is/N2Vnu←写真が縮小されていますが、署名(コピーライト)が入ったままなので分かります。

元記事 韓国・世界遺産の旅(12) 古墳がいっぱい。慶州歴史地域 (その2)
韓国・世界遺産の旅(5) 古墳がいっぱい。 慶州歴史地域

3枚目が無断転載されていたときのキャプチャー(※上下の写真は見えないよう加工しました)
Korea3


サイト丸写し(写真・文章とも丸写し)型の無断転載

「滋賀の戦争遺跡1:米原の蒸気機関車避難壕、伊吹山測候所着氷観測所(滋賀県米原市)」
魚拓 http://megalodon.jp/2015-0901-2059-53/kazunorimurasaki.com/?p=857
元記事 http://katata.cocolog-nifty.com/blog/2015/08/post-a5e4.html

 

「滋賀の戦争遺跡2:陸軍八日市飛行場跡と幻の近江鉄道御園駅、布引丘陵の掩体壕(滋賀県東近江市)」
魚拓 http://megalodon.jp/2015-0901-2058-01/kazunorimurasaki.com/?p=854
元記事 http://katata.cocolog-nifty.com/blog/2015/08/post-9e2d.html

 

「琵琶湖の沖島より、夏の花の写真です(残暑お見舞い申し上げます)」
魚拓 http://megalodon.jp/2015-0901-2312-44/kazunorimurasaki.com/?p=860
元記事 http://katata.cocolog-nifty.com/blog/2015/08/post-6e90.html

 

カテゴリー:日記・コラム・つぶやき
魚拓  http://megalodon.jp/2015-0901-2316-46/kazunorimurasaki.com/?cat=101
元記事 http://katata.cocolog-nifty.com/blog/2015/08/post-6e90.html

 

【お知らせ・その3】ブログの移転(引越し)を準備中です(ココログ→独自ドメインへ)
魚拓 http://megalodon.jp/2015-0901-2311-15/kazunorimurasaki.com/?p=863
元記事  http://katata.cocolog-nifty.com/blog/2015/08/3-44f0.html

 

「ブログを引っ越しました」
魚拓 http://megalodon.jp/2015-0901-2054-53/kazunorimurasaki.com/?p=2993
元記事 http://katata.cocolog-nifty.com/blog/2015/08/post-0f5f.html

 

カテゴリー:<!– 025 –>お知らせ/News
魚拓   http://megalodon.jp/2015-0901-2318-49/kazunorimurasaki.com/?cat=102
元記事  http://katata.cocolog-nifty.com/blog/2015/08/post-0f5f.html
元記事  http://katata.cocolog-nifty.com/blog/2015/08/3-44f0.html

 

本音を言うと、著作権侵害の申し立てをするほうだってつらいですよ。サイト運営者やライターさん自体には何の恨みもないから。
GoogleにDMCA侵害の申し立てをするときは、個人情報を記入して宣誓もする。
申し立て記録の関係で、ネット上にずっと自分の名前が残るんです(DMCAはアメリカの法律ですから)。
だから精神的にも自分の身を切るような思いです。作品を守るって、そういうことなんです。

 

2014年7月には、文化財専門家が当ブログの文章を新聞コラムに自分の文章として掲載する事態が起きています。
弁護士相談の上で再度申し入れを行いましたが、新聞社からは返答がないままです。

新聞コラムが当ブログの文章を「引用」したのでは?と指摘されている件について~新聞社に申し入れを行いました


2015年8月13日 (木)

滋賀の戦争遺跡2:陸軍八日市飛行場跡と幻の近江鉄道御園駅、布引丘陵の掩体壕(滋賀県東近江市)

1.陸軍八日市飛行場跡

1-1.廃線「近江鉄道八日市線 御園駅(飛行場駅)」と八日市飛行場

Ohmi Railway Linemap.svg
滋賀県東部を走る近江鉄道に、新八日市という駅があります。東近江市の八日市駅~近江八幡市の近江八幡駅を結ぶ「八日市線」の駅です。

昭和の初めから戦後間もないころ、新八日市から更に西に向かって延びる支線がありました。別名・飛行場線。当時新八日市駅の西側には「陸軍八日市飛行場」が広がっていたのです。

飛行場線は、湖南鉄道を前身とする「八日市鉄道」の路線として1930年(昭和5年)10月1日に開業しました。

戦時中の1944年(昭和19年)3月1日、八日市鉄道は「近江鉄道」に合併されます。

飛行場線は戦後の1948年(昭和23年)8月1日に運行休止し、1964年(昭和39年)9月25日、正式に廃止されました。

近江鉄道八日市線の廃線跡は、地元では湖南鉄道の線路跡として知られています。道を知る地元の方と歩いてみたところ、桜並木の車道になっていました。
道沿いに住宅街が続いていましたが、残念ながら駅の跡を示すものは見つけられませんでした。

※路線図"Ohmi Railway Linemap" by ButuCC - Own work. Licensed under CC BY-SA 3.0 via Wikimedia Commons.

01_youkaichimap


滋賀県神崎郡御園村(当時)の地図です。地図上に「ひかうち゛やう」と記された「飛行場駅」は戦時中に「御園駅」と改称され、飛行場線と同じ歴史を辿りました。

八日市飛行場は戦時中に俳優の三船敏郎さんが所属していたことで知られますが、もとは民間飛行場でした。

大正時代の初め、滋賀県愛知郡八木荘村(旧・島川村、現在の愛知郡愛荘町島川)に、フランスの航空学校で飛行免許を取得して帰国した、荻田常三郎(おぎた つねさぶろう)という人物がいました。

呉服商の跡取り息子だった常三郎は、同志社中学を辞めて軍に志願し陸軍少尉となりますが、飛行家にあこがれて実家に戻り私費でフランスへ留学。帰国後に参加した国内の飛行競技会で1位となり、一躍時の人となります。

同1914年(大正3年)、故郷・八木荘村に近い神崎郡八日市町沖野ヶ原(現在の東近江市沖野)への訪問飛行に成功します。これが契機となって「八日市飛行場設立委員会」が設立されました。

ところが翌1915年に常三郎は墜落死してしまいます。常三郎の遺志を継いだ八日市飛行場設立委員会の尽力で同年沖野ヶ原に完成したのが、日本初の民間飛行場「八日市飛行場」でした。

しかし、その後設立された飛行学校の挫折や飛行場利用の少なさから、八日市町は飛行場を軍用地へと方針転換します。陸軍航空第3大隊が誘致され、飛行場は陸軍八日市飛行場となりました。

1-2.陸軍飛行第3連隊跡と沖原神社

八日市へ配属されたのは、1920年12月結成の「航空第3大隊」でした。1921年秋から1922年にかけて八日市に配属され、1925年に「飛行第3連隊」に改称されます。

陸軍飛行第3連隊跡の碑

陸軍飛行第3連隊跡の碑が、八風街道沿いの自動車販売店の脇にあります(東近江市東沖野1丁目)。

飛行第3連隊正門跡地の碑

そして飛行第3連隊正門跡地の碑が、同じ国道沿いのコンビニの前にあります(東近江市東沖野3丁目)。↑ここにあった正門が現在どこにあるかというと・・・↓

沖原神社

飛行第3連隊正門

沖原神社の境内に飛行第3連隊の正門が現存します(東近江市東沖野3丁目)。
標識も何もないので、八日市飛行場にあった門だと分からないのが惜しまれます。

沖原神社は1925年(大正14年)、航空第3大隊の初代隊長・後藤元治大佐の意向で、陸軍八日市飛行場の守護として建てられた神社です。当初は「衛戌神社」といい、1927年(昭和2年)に「沖原神社」となりました。八日市飛行場から出撃する兵士は沖原神社に参拝して戦地に向かったのです。現在は東沖野町と沖野町の氏神として地元の信仰を集めています。

2.掩体壕

掩体壕案内板

終戦の約一年前の夏頃(1944年)、八日市飛行場の軍用機を米軍の空襲から守るため、近くの布引丘陵に掩体壕(えんたいごう)と呼ばれるシェルターが造られました。

2014年秋に現地を撮影させていただいた際に東近江市から受けた説明によれば、布引丘陵全体で17基から21基の掩体壕があったと言われています。

2000年~2001年に行なわれた調査では、コンクリート製の掩体壕が2基、土製の掩体壕が10基、合計12基の現存が確認されているとのことです。

布引丘陵一号掩体壕

こちらが一号掩体壕と呼ばれる、コンクリート製の掩体壕です(東近江市柴原南町)。

布引丘陵一号掩体壕奥

一号掩体壕を反対側から撮影したものです。コンクリート製であることがよく分かります。

布引丘陵一号掩体壕反対側遠景

一号掩体壕を少し離れたところから撮影しています。フェンスに囲まれ、一見すると古墳のようです。
この場所(布引丘陵の麓)から上に続く遊歩道を上がってみると・・・

布引グリーンスタジアム

布引グリーンスタジアムに出ました。この麓に掩体壕があるのが信じられない位、全く別の風景が広がっていました。

掩体壕は日本各地に100基余りが残るだけと言われています。関西ではほかに大阪府八尾市に1基残っているだけで、布引丘陵の掩体壕は戦争遺跡として全国的にも貴重なものです。

布引丘陵の掩体壕は、民有地に所有者の許可なく造られ、未完成のまま終戦を迎えました。戦後は何ら公の保全も補償もされないまま、土地所有者に負担を強いて戦後70年を迎えようとしています。

3.八日市の関連戦跡

3-1.京都憲兵隊八日市分置隊跡(東近江市八日市東本町)

大凧会館の陸軍省標柱

東近江市の東近江大凧会館の周囲には、建物を取り囲むように「陸軍省」の標柱が残っています。戦時中ここには「京都憲兵隊八日市分置隊」が置かれていました。

写真は大凧会館前の排水溝の中に埋もれるように建っていた標柱です。大凧会館前にはさらに別の標柱が、駐車場に回ると建物との境にもまた標柱があるので、大凧会館に行かれる方はぜひ探してみて下さい。

3-2.八日市飛行場跡地と平和橋(東近江市八日市柴原町)

平和橋

蛇砂川の北側は、戦時中に陸軍八日市飛行場拡張のために接収され、川も約200m南に付け替えられました。戦後返還されたこの土地を元の田畑に戻すため、大変な開墾作業が続けられたそうです。

その後、1957年(昭和32年)から川の南側(本田)で土地改良事業が実施されました。そのとき、川の北側(飛行場跡の開墾地)と南側(本田)を結ぶ橋が現在地に付け替えられ、「平和橋」と名づけられました。

広島の平和大橋をモデルに作られたこの橋は、戦争の惨禍を二度と繰り返すことのないようにという平和への願いが込められています。

撮影日:2014年11月
Copyright(C)2007-2015 Jun Kanematsu/兼松純写真事務所. All rights reserved.


※当ブログは2015年8月末を目処に移転を予定しています。この記事も移転します。
移転後の記事URLはhttp://katata.info/2015/08/sensouiseki_02となる予定です。


2015年8月10日 (月)

滋賀の戦争遺跡1:米原の蒸気機関車避難壕、伊吹山測候所着氷観測所(滋賀県米原市)

1.はじめに

今年の夏(2015年8月)は終戦70周年にあたります。
この機会にご紹介したいと思っていたのが、滋賀の戦争遺跡です。

「戦争遺跡」と聞くと、何を想像されるでしょうか。
広島の原爆ドーム、沖縄のひめゆりの塔、各地に残る防空壕・・・。

実は滋賀県内には、全国的に貴重でありながらあまり知られていない戦争遺跡があります。

米原駅からさほど離れていない岩脇山には、非常に珍しい「蒸気機関車避難壕」があります。
東近江市の陸軍八日市飛行場跡周辺には、「掩体壕」(えんたいごう)と呼ばれる軍用機の避難壕が現存しています。
幸いなことに、どちらも地元の方にご案内いただいて撮影する機会を得ました。

戦争遺跡は近世の城郭・遺跡の上(またはその周辺)にある場合が少なくありません。 そのため、滋賀の文化財を撮影して歩いていた私は、近年いくつかの戦争遺跡に出合うことになりました。

昨年夏、滋賀県の戦争遺跡を研究されている滋賀県立大学の中井均先生(近世城郭がご専門)の講演を拝聴しました。たくさんのヒントをいただいた中井先生、現地をご案内いただいた米原市と東近江市の皆様に厚く御礼申し上げます。

2.戦争遺跡とは

「近代日本の侵略戦争とその遂行過程で、戦闘や事件の加害・被害・反抗抵抗に関わって国内国外で形成され、かつ現在に残された構造物・遺跡や跡地のこと」(十菱駿武・菊池実(編)『しらべる戦争遺跡の事典』柏書房、2002年)

「戦争遺跡(せんそういせき)は、戦争の痕跡、戦跡、戦蹟。戦争のために造られた施設や、戦争で被害を受けた建物などで、現在もそのままないし遺構として残っているものを含む。かつての戦争の時代を物語る遺跡であり、後世に伝えることで歴史の生きた教材になりうる。」

「第二次世界大戦期のものが多いが、西南戦争の戦跡なども含まれる。近年では保存措置が講じられたり、文化財として指定される事例も出ている。しかしながら、その価値が十分に理解されているとは言えず、特に近世の建築遺構と戦争遺跡がかち合う場合、戦争遺跡の調査・保存が軽視されがちなのも事実である。」(戦争遺跡(ウィキペディア))

3.米原の蒸気機関車避難壕(滋賀県米原市岩脇)

3-1.米原について(写真:撮影当日に米原市内を走っていたSL北びわこ号)

米原市内を走るSL北びわこ号

岐阜県の関ケ原から滋賀県に入ると、そこは米原(まいばら)です。
米原は中山道と北国街道の分岐点で、琵琶湖にも面していることから、古くから陸路および湖上交通の要衝として栄えました。明治に入って鉄道が敷かれると陸上交通・運送の要衝となりました。米原駅は北陸線と東海道本線の接続駅でもあります。

第二次世界大戦末期に、東海道本線と北陸線の列車を牽引する蒸気機関車を、連合国軍の空襲から避けるために作られたのが、米原の蒸気機関車避難壕です。

3-2.米原市岩脇地区について(写真:岩脇山の岩屋善光堂からの眺め)

岩脇山の岩屋善光堂
米原駅から東海道本線の線路沿いに2kmほど行くと、岩脇(いおぎ)という集落に出ます。岩脇山の山麓に見えてくるのが、写真の岩屋善光堂です。

岩脇山の岩屋善光堂内部
この日は特別に岩屋善光堂の内部を撮影させていただきました。
お堂内部に岩が入り込んでおり、石仏が祀られていました。

岩脇山の岩屋善光堂からの眺め
岩屋善光堂の上から見た、岩脇山の岩と、岩脇地区です。

この岩脇山の山麓・岩屋善光堂の奥に、蒸気機関車避難壕が2箇所残っています。戦時中に地元の方が駆り出され、手作業で掘ったという避難壕です。

3-3.米原の蒸気機関車避難壕

蒸気機関車避難壕左側・入り口
2箇所の避難壕のうち、左側に位置する避難壕の入口です。

蒸気機関車避難壕左側・内部
左側の避難壕は幅3メートル、高さ3メートル、奥行52メートルで、途中で行き止まりとなっています。

蒸気機関車避難壕左側・行き止まり
避難壕は未完成のまま終戦を迎えました。

蒸気機関車避難壕右側・入り口
こちらが右側の避難壕入口です。

蒸気機関車避難壕右側・内部
右側の避難壕は幅3メートル、高さ3メートル、奥行130メートル。奥は貫通しています。

蒸気機関車避難壕右側・内部の水と板
右側の避難壕の内部は水がたまっており、地元の方によって板がかけられています。まるで炭鉱の坑道のようで、静まり返った薄明かりの中をコウモリが飛んでいました。

機関車を入れるには微妙な大きさですが、実際に入ってみるととても立派で大きな防空壕でした。写真だけではお伝えできないのがもどかしい位です。たとえば戦争映画のロケ地として使ってもらえたら、多くの人にこの場所の意義が伝わるのかもしれません。そんなことを考えた、夏の一日でした。

機関車避難壕はごみ捨て場として放置されていましたが、地元の「岩脇まちづくち委員会」が平成20年10月から平成21年8月にかけて整備をされました。普段は施錠されていますが、事前に申し込めば見学可能です。(撮影日:2015年8月)

4.伊吹山測候所着氷観測所

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同じ米原の伊吹山頂では、1919(大正8)年8月から2001(平成13)年3月末まで、測候所による気象観測が行なわれていました。測候所の跡地は2010年に更地になりましたが、こちらは同じ2010年に撮影された測候所の写真です。

戦時中、着氷観測所があったのは、ニセコ(北海道)、富士山、伊吹山でした。
日本海軍の航空機設計等に携わった「海軍航空技術廠」(かいぐんこうくうぎじゅつしょう)は、高い高度を飛んだときにエンジンが凍らないための研究をニセコの着氷観測所で行ったと言われています。
戦時中に伊吹山で何を研究していたのか不明のまま、伊吹山測候所は無くなりました。

写真提供:ウィキペディア(クリエイティブ・コモンズ CC0 1.0 全世界 パブリック・ドメイン)


※当ブログは2015年8月末を目処に移転を予定しています。この記事も移転します。
移転後の記事URLはhttp://katata.info/2015/08/sensouiseki_01となる予定です。

Copyright(C)2007-2015 Jun Kanematsu/兼松純写真事務所. All rights reserved.


2015年8月 9日 (日)

琵琶湖の沖島より、夏の花の写真です(残暑お見舞い申し上げます)

沖島で撮影した夏の花

毎日暑い日が続きますね。残暑お見舞い申し上げます。
冒頭の写真は、琵琶湖に浮かぶ有人島・沖島で撮影した夏の花です。
少しでも涼しい気分になっていただけたら、うれしいです。

先日(8月1日)、琵琶湖上で伊崎の棹飛びを撮影する前に、沖島に立ち寄る機会がありました。
ほとんど誰も歩いていない島内を、40分ほど歩いて撮影してきました。
沖島は夏がよく似合うので、行くのはいつも暑い時期になってしまいます。

二年前は沖島小の裏からケンケン山に登ったのですが、今回は小学校の先を歩いてみました。
小学校の先は集落もまばらとなり、道も狭くなって、湖岸に畑が続いていました。
畑も途切れたその先に、朱塗りの鳥居が建つ「厳島神社」があり、弁財天を祀っていました。

 

沖島といえば、当ブログのタイトルになっている町「堅田」とは、意外な関わりがあります。
ときは室町時代、延暦寺によって京都を追われた蓮如上人を匿ったのが堅田の町衆でした。
それが一因となって堅田は延暦寺西塔の衆徒に攻撃され、町ごと焼かれます(堅田大責・1468年)。
そのとき堅田衆が逃げた先が「沖島」でした。おみこしを持って逃げたと言う逸話が残っています。

その後堅田衆は沖島に2年ほど滞在した後、延暦寺と和解して堅田へ戻ってきたそうです。
中世の堅田は、琵琶湖の漁業権と水上交通を掌握する自治都市で、造船も盛んでした。

今回沖島と伊崎沖まで乗せていただいた船内で、船を造った造船所のプレートを目にしてびっくり。
なんと今堅田の杢兵衛造船所で造られたという船でした!


【お知らせ・その3】ブログの移転(引越し)を準備中です(ココログ→独自ドメインへ)

2007年より@niftyのココログを使ってきましたが、2015年8月中をめどに移転することを考えています。

実は、1. ココログフリーは容量2GBが上限で、現在70%超を使用しています。
最近は外部サイトに写真を置いて読み込んできましたが、それでも限界がありそうです。

というのも、2. カテゴリー・過去記事(月別)のindexページが既に容量オーバーでエラーが出ます。
例えば「本堅田」というカテゴリーを見ると、かつての深夜テレビの砂嵐のような画面に変わります。
記事数や写真の数が多い月やカテゴリーは、すべてこの状態です・・・(泣)
カテゴリー数の分割で対応してきましたが、こちらも数に限りがあり、限界でした。

indexページを含めた増量の件は@niftyにリクエストしてきたのですが、現状では変更はなさそうです。

また、3. 2013年夏頃からブログを取り囲むようにして広告が出るようになり、どうしたものかと・・・。
広告を消すには@niftyの有料会員になればいいのですが、先ほどの2点の改善が見込めません。
そのため、自分でサイトを作っていこうという結論になりました。

最近はスマホでご覧いただく機会が多いので、この機会にレスポンシブデザインに変更します。
スマホでご覧いただいている方には、かなり見やすくなると思います。

今後またURLが変わるのは忍びないので、ブログは独自ドメインで運営することにします。
ちなみにサイト名(Katata/堅田)は変わりません。
新しいサイトが完成次第、URLをお知らせしますね。


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    ■当ブログ掲載写真は、地域の方に楽しんでいただく作品発表の場として、2007年より掲載してきました。2014年には、祭事写真のために筆者(兼松)が書いた解説文を専門家が新聞コラムに無断使用する事態があり、弁護士相談の上で関係者各位に申し入れを行いました。 判断に迷うときは、事前にお問い合わせいただきますようお願いします。

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