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2015年5月

2015年5月29日 (金)

近江路5(滋賀県野洲市:妙光寺山磨崖仏と福林寺跡磨崖仏)~近江山河抄の舞台を歩く(77)


滋賀県野洲(やす)市といえば、三上山(近江富士)と銅鐸で知られる町だ。
野洲の小篠原にある大岩山からは、明治14年に14個、昭和37年に10個の銅鐸が発見されている。
日本一大きい銅鐸が見つかったのも野洲の大岩山で、この写真はそのレプリカを撮影したもの。
※野洲の銅鐸博物館(野洲市歴史民俗博物館)にて、許可を得て撮影しています。


野洲へ出かけたのは、今回ご紹介する妙光寺山磨崖仏を撮影するためだった。
幸いなことに地元の方に同行していただけることになり、この4月に2度、野洲を歩いている。
実際に歩いてみると、中山道や朝鮮人街道が通る歴史ある場所で、本当に古墳が多い。


新緑の妙光寺山。
車で国道8号線を通る方なら、野洲中学校のあたりで、稲荷神社の前を通っているはずだ。
神社の裏に見えるのが妙光寺山で、以前から通るたびに遺跡がありそうな雰囲気を感じていた。

稲荷神社の左脇の道を進むと、両磨崖仏の道案内が出ていて、福林寺跡はそこから10~15分程だ。
妙光寺山のほうは、野洲中学校の奥の集落を抜けたところに登山口があり、ちょっとした登山になる。
先に妙光寺山磨崖仏を撮影することにした。


妙光寺山の山中で、突然古墳に出合った。傍らの石柱には「岩神」と刻まれている。
帰宅してから地図で確認すると、確かに妙光寺山には「岩神神社」という場所がある。
白洲正子さんが見たという妙光寺山の「ドルメンのような建造物」とは岩神のことだと思われる。

先年三上山の後ろの妙光寺山という所へ、石仏を探しに行き、古墳群の中に迷い込んだことがあるが、そこにはドルメンのような建造物も建っていて、鳥居には注連縄をはりめぐらし、お供えまであげてあった。おそらく神が降臨する磐坐(いわくら)か、何かの記念碑のようなもので、麓の村には根づよい信仰が残っているらしい。野洲川に面した三上山は、安(やす)氏・三上氏など、大豪族の根拠地であったから、このようなものが造られたのだろう。
-白洲正子『近江山河抄』「近江路」


岩神から少し歩いた山中に、鎌倉時代の見事な磨崖仏(妙光寺山磨崖仏)がある。
宝珠と錫杖を持ち、線刻の蓮華座の上に立つ姿で、とても穏やかなお顔をしていた。

崖に露出する岩に長方形の切込みを作り、その中に地蔵立像を彫ったことから別名「書込地蔵」。
地蔵立像自体は高さ160cm・厚さ10cmだが、足に沓(くつ)を履いているのが大変珍しいという。
像の左右には、元享4年(1324)甲子7月10日造立、大願主経貞と刻銘されている(案内板より)。

地元の方のお話によれば、妙光寺山磨崖仏は東のある一点を見守るように建てられている。
その一点とは、近江を治めた六角氏の居城・観音寺城(安土の繖山(きぬがさやま))だという。
近江源氏と呼ばれた佐々木氏の惣領が六角氏で、経貞はどうやら佐々木氏の一族か関係者らしい。

また、登山道が整備される近年まで、妙光寺山磨崖仏は草木に覆われていたという話だった。
そのため、ほとんど風雨に晒される事もなく、今日に至っているということだった。

妙光寺山登山口まで下り、今度は山沿いに車道を歩くと、希望が丘文化公園からの道と合流する。
この遊歩道を道案内に沿って野洲中学校の方向へ歩いていくと、福林寺跡磨崖仏がある。


福林寺跡磨崖仏入り口を少し通り過ぎたところで、希望が丘の方向を撮影している。
右の道は野洲駅方面への道で、寺沿いに下っていくと途中に磨滅した石仏群を見られる。

ちなみにこの遊歩道を反対側(国道8号線方面)へ直進し、8号線との合流地点で山側へ入ると、
日吉神社の前を経由して銅鐸博物館(野洲市歴史民俗博物館)まで歩いていくことができる。

野洲駅出発(9時半)→稲荷神社→妙光寺山磨崖仏→福林寺跡磨崖仏→銅鐸博物館と歩くと、
ちょうど正午過ぎに銅鐸博物館到着になるので、手軽なハイキングコースになる。


ここが福林寺跡磨崖仏への入り口で、獣よけの柵を開閉して福林寺跡へ入ることができる。

福林寺は、平安時代に桓武天皇の勅願によって最澄が開いたと伝わる古刹である。
戦国時代に兵火に遭い、琵琶湖岸に近い守山市木浜町で再興されて現在に至っている。
福林寺跡の敷地の大半は野洲中学校の敷地となっており、この山中には石仏だけが残る。

由緒に、最澄が、延暦寺の根本中堂建立のため木材を求めて甲賀(滋賀県甲賀市)にやってきて、
野洲の三上山の麓で光を見た。そのとき刻んだ十一面観音を本尊に福林寺を開いたという。
最盛期はいわゆる七堂伽藍(山門から本堂まで)を有し、かなり大きな寺だったようだ。
後述する十二所神社は鎌倉時代の創建と言われるが、廃寺福林寺の境内にあったと伝わる。
兵火の際に守山に運び出されて助かった木造十一面観音立像は、国の重要文化財になっている。




福林寺跡磨崖仏。盗掘の際につけられたノミの跡が痛々しい。
室町時代初期の作品で、阿弥陀如来像二体と観音立像一体が岩に刻まれている。


福林寺跡。現在は野洲市の史跡になっている。
当地は長い歳月盗掘に遭っており、かなりの数の石仏が散逸したといわれている。






福林寺跡の地蔵立像。


砂に埋もれている石仏もある。

一体どれくらいの数があるのか、分からない位だ。



磨崖仏から少し離れた場所にある岩には、三面に石仏が彫られている。






福林寺境内にあった十二所神社跡を示す石柱。
この十二所神社にあった建物が、意外なところに現存していることはあまり知られていない。


国道8号線沿い、野洲中学校の近くにある稲荷神社境内に、その建物はひっそりと建つ。


稲荷神社拝殿の奥、左側にあるのが「稲荷神社境内社 古宮神社本殿」。
室町時代の建築と考えられており、昭和25年に重要文化財になっている。

稲荷神社由緒によれば、福林寺の守護神(小篠原地区の氏神)が稲荷神社だとある。
そして福林寺は、天智天皇亡き後、壬申の乱の際に野洲川原で戦死した人々の供養と鎮護国家の
ために創建された寺だったという。
永禄年間(1558年~1570年)の争乱で福林寺の伽藍は衰退し、稲荷神社と真福院のみが残った。

廃寺福林寺本堂の一座にあった十二所神社(古宮神社)は、大正3年5月に稲荷神社に合祀された。
そのとき古宮神社本殿も稲荷神社へ移築されたが、覆屋の中で荒廃していた状態だったようだ。
昭和17年の解体修理によって復元整備され、現在の姿になっている。

福林寺の守護神として崇められてきた稲荷神社が、福林寺跡の十二所神社を守ったかのようだ。
こうやって歴史の断片をつなぎあわせていくと、いつもの風景が違ったものに見えてくるから興味深い。



※福林寺跡・妙光寺山とも9月下旬から11月上旬までは松茸狩り期間で入山できません。

※守山の福林寺の拝観には、個人・団体ともに事前予約が必要です。
なお、個人での参拝は秋の特別拝観期間のみ可能だということです(団体は別途可能)。
詳細は守山市ホームページをご覧下さい。⇒福林寺


当連載(『近江山河抄の舞台を歩く』)の目次はこちら

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2015年5月25日 (月)

琵琶湖畔の秘境、有漏神社と阿曽津千軒。堅田との意外な関係と登山道について

琵琶湖の北端に、有漏神社(うろう じんじゃ)という神社があります。その由緒になんと・・・堅田の地名があって驚きました!
中世のころ、堅田の漁業権が湖北まで及んでいたという史実を裏付けるものでした。

往昔湖上舟楫(ふねかじ)の神として鎮座され、遠く江南堅田方面の漁民のこの地に出漁することも多くその舟楫守護の神として崇敬したと伝える。-有漏神社(滋賀県神社庁)

↑赤い印が有漏神社。堅田は琵琶湖の最狭部(一番くびれている場所、オレンジ色で道路表示あり)の西側に位置します。

当ブログでもご紹介してきましたが、中世の堅田は琵琶湖の漁業権を持ち、琵琶湖最大の自治都市を築きました。
前回ご紹介した葵祭前儀「献撰供御人行列」も、そんな堅田の歴史を後世に伝えるために続けられている祭事です。
供御人行列と葵祭の撮影後に出かけた湖北で、有漏神社のことを知ったのは大きな驚きでした。


こちらは有漏神社の鳥居前から、琵琶湖と近隣の集落(木之本町山梨子(やまなし))を撮影した一枚です。
有漏神社は琵琶湖に面した神社で、周囲に車道はなく、簡単に行ける場所ではありません。
由緒に古来祭儀に際しては、氏人ら舟に依って参拝した。とある通り、地元(山梨子)の方は船で参拝するそうです。
陸路(山道)はあるのですが、賤ヶ岳登山道から旧道をおりるか、山本山に続く登山道から林道を延々と行くしかありません。
先日地元のボランティアガイドの方に公式にご案内いただいたので、今回は有漏神社のご紹介をしたいと思います。


有漏神社(所在地:長浜市木之本町山梨子1)への登山道について。
賤ヶ岳登山道から山本山方面に歩いていくと、鞍部に「赤尾」集落へ下りる道標があります。
この反対側の道が有漏神社へと続く旧道です。地形図だと点線になっていますが、普通に歩けました。
旧道を下って琵琶湖畔に出ると、写真の「新坂と米蔵」の案内板があります。この左手を行くとすぐに有漏神社があります。


有漏神社本堂。
写真の狛犬は、大津の方による寄進だと伺いました(堅田の方かどうかは、はっきりしませんでした)。


↑有漏神社本堂の上に、また別の林道があります。この林道を右へ進むと・・・↓先ほどの旧道と同じ場所に出ます。


竹生島と琵琶湖が見えるこの場所から、湖岸へ降りていく道があります。左奥の浜辺が阿曽津千軒です。


阿曽津千軒は琵琶湖に沈んだと伝わる集落のひとつ。今は石垣が残っているだけです。
阿曽津(長浜市高月町西野)には、阿曽津婆と呼ばれる伝承があり、ここにも堅田が登場します!

阿曽津婆は金貸しの老婆で、激しい取立てに村人の恨みを買い、竹のすのこに巻かれて湖に投げ込まれます。
そこへ堅田の漁師に助けられ、「あなたにこのあたりの竹をあげよう」と言って息を引き取ります。
その直後、大津波が阿曽津の村を襲い、村人は近隣の、七つの「野」のつく村に移り住みました。

その当時、琵琶湖の漁業権・造船・湖上関の権利を独占していたのが、堅田の漁師でした。
堅田の漁師は阿曽津の竹を守り神として使い、竹を持つ手は冬でも凍らなかったと言われています。
(奥びわ湖観光ボランティアガイド協会さまからいただいた資料より)


阿曽津千軒にて。石垣の左奥に小さな地蔵堂がありました。
地蔵堂の右奥に林道が続いているので、林の中へと進みます。


林道は「古保利古墳群」を経て、西野集落への分岐点に出ます。
麓に下りると西野水道に出ました。賤ヶ岳から高月駅まで歩いたので二万歩以上になりましたが、印象に残る一日でした。


同じ日に賤ヶ岳頂上近くで見た、幻想的な琵琶湖の風景です。
滋賀にはこういった場所がまだまだあるので、皆さまにご紹介できるよう、できる限り撮影に伺いたいと思っています。


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2015年5月20日 (水)

【葵祭前儀「献撰供御人行列」の写真】 堅田町内巡行編~京都・下鴨神社巡行編(2015/5/14)

久しぶりのブログ更新になりました。
気温や天気の変化が激しい毎日ですが、皆さまお変わりありませんか。

5月15日、下鴨神社にて、葵祭「社頭の儀」(一般非公開)を2012年に続き撮影させていただきました。
ゲストに平原綾香さんが来られていたので、平原さんが拝礼する瞬間の撮影が一番緊張しました。
私の撮影した写真ではありませんが、平原さんのブログに当日のお写真が出ています。


前日14日には、琵琶湖畔の堅田から下鴨神社まで、「供御人行列」に同行させていただきました。
供御人行列の同行撮影は、今年(2015年)で7年目を迎えています。

不思議なもので、すべてこのブログがきっかけで、お声かけいただいたことから始まりました。
関係者の皆さまには、厚く御礼申し上げます。堅田の皆さま、今年もありがとうございました。


今年の「供御人行列」は、なんと東京から堅田・京都へ30名近い方にご参加いただきました。
旅行会社のクラブツーリズムの企画で、2月に担当者の方からツアーの初企画を聞いていました。
このブログでも告知をすればよかったかな?と後から思った次第です。

(こういうことって微妙な時期に知るので、お知らせの仕方が難しいですよね・・・。
今回は違いましたが、会員制サイトでのみ募集するシークレットツアーだったりすることもありますので・・。)


というわけで、肝心な事で言えない事が出てくるのもまた人生ですが(^^;一つお知らせを。
ある旅行会社の広告(滋賀の某寺院の国宝探訪ツアー)に、私の撮影した写真が使われる予定です。
VISAカードの会員誌7月号に掲載予定なので、購読されている方はチェックしてみて下さいね。
(ちなみにこちらの旅行社さんは登録制の会員サイトです。)


2015年度「供御人行列」の写真を、NIKON IMAGE SPACEで公開しています。
こちらからご覧下さい。スマホ対応です。⇒供御人行列2015堅田~下鴨神社

 

「献饌供御人行列」「葵祭(社頭の儀)」バックナンバー(2009年~)はこちら
葵祭前儀「献饌供御人行列」/写真目次

 

◆堅田からの参加者の皆さまに、写真プリントのご案内とお願いです。
湖族の郷資料館で、集合写真と個人写真のプリントを、実費でお申し込みできます。
上記サイト掲載写真とは異なり、個人のお顔がはっきり写ったものを選んでいます。

詳細は、湖族の郷事務局様(湖族の郷資料館内)までお問い合わせ下さい。
湖族の郷資料館(滋賀県本堅田1丁目21−27)(電話077-574-1685)(地図

※毎年、集合写真と個人写真のデータは湖族の郷事務局様にお渡ししています。
昨年度以前の写真も申し込めるようになっていますので、湖族の郷資料館までお問い合わせいただきますよう、お願いします。


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