« 伊吹の荒ぶる神8(北国脇往還1:関ケ原から藤川の里を訪ねる、上平寺に寄り道して春照へ)~近江山河抄の舞台を歩く(72) | トップページ | 伊吹の荒ぶる神10(北国脇往還3:長浜市八島から、伊部宿を経て、小谷郡上まで)~近江山河抄の舞台を歩く(74) »

2014年12月 9日 (火)

伊吹の荒ぶる神9(北国脇往還2:米原市春照から小田分水、姉川越え、峠を歩いて長浜市野村町まで)~近江山河抄の舞台を歩く(73)


滋賀県米原市春照(すいじょう)は、伊吹山麓、北国脇往還と長浜道の分岐点に位置する。
脇往還の近くには伊吹の薬草風呂に入れる施設があり、街道沿いの町並みも美しい。
今回は近江長岡駅から伊吹山登山口行きバスに乗り、伊吹庁舎前で下りて歩くことにした。

春照は北国脇往還の宿駅だが、往時をしのばせるものはほとんど残っていない。
集落中心部にある空地が本陣跡だというが、ここが本陣跡だという案内板はなかった。
だが、宿の南側には常夜燈、北側(八幡神社の前)には立派な道標が残っている。

また、1883年(明治16)から1889年(明治22)まで、春照には官設鉄道の駅が置かれていた。
東海道線が米原駅を経由するようになり、春照駅は廃駅となった。

だが、鉄道路線から外れた、あるいは鉄道が通らなかったことで、雰囲気のある町並みが残った
と言われる地域は多い。春照をはじめとする北国脇往還の町は、どこもそう言えるだろう。
日本が好きな外国の人を連れてきたら、日本的な美しさだと感じてもらえる風景が残っている。

富士山麓ウォークが注目されているように、「伊吹山麓ウォーク」(当サイト命名)があってもいい。
行政や観光協会が本気になって整備すれば、結構いけるコースだと、個人的には感じている。

※今回は春照~河毛駅(長浜市湖北町山脇)の約20kmのうち、午前中に歩いた町を掲載します。



春照八幡神社の前にある道標。「左 ながはま道、右 北国きのもと えちぜん道」とある。
右の道をとり、次の集落(小田/やないだ)まで、伊吹山を眺めながらのどかな道が続いた。

小田に入ると地元の方に声をかけられた。北国脇往還を歩く人に時折会うという話を聞いた。
小田からは伊吹山が大きく見えることや、八幡神社の水路脇に道標があると教えていただく。


小田の八幡神社の角にある小さな道標。「右 江戸道 左 山中道」と刻まれている。
上の写真にも少し写っているが、小田は集落の至る所にを立派な水路が流れている。
姉川上流に出雲井(いずもゆ)と呼ばれる場所があり、小田まで水路が伸びているのだ。
そして、出雲井から来た水は、この先の「小田分水」で3つに分かれる。


小田分水(やないだ ぶんすい)。出雲井から来た水を3つに分ける農業水利施設である。
小田分水は中世に大原庄16ヶ村が創設されたときから存在し、昭和28年に現在の形になった。
それ以前は2つに分水されていたが、水の公平な分配をめぐって論争が絶えなかったようだ。


小田から(やないだ)から見た伊吹山は、雄大で見事だ。


北国脇往還は、小田分水の手前で田圃の中の一本道となる。道は姉川へ続いていた。


伊吹山と姉川。御覧の通り、かつての小田橋は橋脚だけが残っている。
迂回して井之口橋で渡るしかなく、写真の左方向へとしばらくの間、河川敷を歩くことになる。
井之口橋が近づいてくると、また分水が見えてきた。


井之口分水。案内板によれば、出雲井、小田分水を経由した水が、ここで更に分水される。
円形の中央部より水が噴き出す構造で、これは上流の小田分水との水差によるものだという。
水の公平な分配をめぐって、ここでも先人の知恵が活かされている。


井之口橋で姉川を渡る。橋の向こう側に獣よけの柵があったが、低いのでまたいで越えた。
ここを通る人は殆どいないのだろう。写真を斜めに横切る白い坂の上でも電気柵があった。
坂の上は広域農道になっていて、山中の道を、車に注意しながら進むことになる。


滋賀県米原市から長浜市に入る。
本来の北国脇往還は右側の山中だが、一人旅のため、車道(広域農道)を通ることにした。
写真奥に見える峠の、その先をさらに歩いていった。気の遠くなるような時間だった。
とはいえ、迂回路でもいろんな風景と出合うから、歩き旅は面白い。


「興農愛郷」の碑。設置当時、滋賀県知事だった武村正義氏の書が刻まれている。
隣にある碑文は緑に埋もれていて、「広域営農団地農道整備事業」の部分がなんとか読めた。
どうやら、この広域農道を作った際の記念碑らしい。

相撲庭(すまいにわ)地区で峠を越え、今荘町の観光ブドウ園で北国脇往還に合流する。
ようやく里に下りてきたことを実感する。厳しい峠越えは、道中これが最後だった。


長浜市今荘町(いまじょうちょう)の北国脇往還。集落の中なので、再び歩きやすくなった。


次いで長浜市佐野町に入る。
轟神社の隣では、米原市の寺林地区以来、初めて「北国脇往還」の手作り看板を目にする。
道標があることがこんなに心強いとは・・・ほっとした気持ちになる。地元の方に感謝!


佐野町の外れで出合った、たくさんのお地蔵さん。道路工事中だったため、横から撮影。
この道の反対側を行くと、田圃の向こうに、水路に囲まれた野村の集落が見えてくる。


野村の集落に入る手前にも、「北国脇往還」の手作り看板。見ていて嬉しい気持ちになる。
長浜市は、どこに行っても、北国脇往還の看板や道案内が充実していた。
数年前の大河ドラマで浅井三姉妹(長浜出身)が登場した際、観光案内を整備したらしい。
それだけでなく、北国脇往還の解説や地元の方による「北国脇往還」の看板も充実していた。

米原市と岐阜県関ケ原町は北国脇往還を意識した案内は皆無で、かなりの温度差を感じた。
もし本格的に北国脇往還を整備されるのなら、行政には足並みをあわせた対応をお願いしたい。


長浜市野村町。集落を水がめぐり、背後には伊吹山が頭を見せる美しい町だ。
野村公会堂の周辺では季節の花が咲いており、しばらく撮影させていただいた。


野村公会堂の先にある北国脇往還の道標。「右 北國道 左 江戸 谷汲」と刻まれている。
長浜市の設置した案内板もある。道標の解説を見たのは、道中初めてのことだった。

この道標の角で曲がり、さらに浅井郵便局手前の地蔵堂の前を折れて、次へと向かう。
時間は11時半になっていた。この先しばらく車道を歩くことになるので、近くの神社で昼食にした。
(撮影日:2014年9月18日)

次回予定:伊吹の荒ぶる神10(北国脇往還3:長浜市八島~尊勝寺~伊部~小谷郡上)
沢山の道標が残る八島、失われた脇往還(山ノ前)、本陣跡の伊部、浅井氏の城下町・小谷へ。

▼今回掲載できなかった写真を別記事で掲載しています。
伊吹山麓の道、北国脇往還を歩く~花と水辺の風景2(ヒガンバナの道⇒姉川のソバ畑と伊吹山)

▼【北国脇往還】全行程を地図でご紹介しています。行程メモ付き。


« 伊吹の荒ぶる神8(北国脇往還1:関ケ原から藤川の里を訪ねる、上平寺に寄り道して春照へ)~近江山河抄の舞台を歩く(72) | トップページ | 伊吹の荒ぶる神10(北国脇往還3:長浜市八島から、伊部宿を経て、小谷郡上まで)~近江山河抄の舞台を歩く(74) »

2016年12月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
サイト内検索
ココログ最強検索 by 暴想

東日本大震災の記事を御覧の皆さまへ

このブログのご案内

  • ご訪問ありがとうございます♪

  • 風景写真家、アマナイメージズ契約作家。故郷滋賀の里山や寺社、各地の知られざる風景を撮影して歩いています。2007年12月から琵琶湖畔の町・堅田の写真を更新してきた写真ブログです。

  • ▼公式ホームページ(堅田を初めとする風景写真・自然写真を掲載しています) junphotoworks.com

    フェイスブックへのリンクは下記をご利用下さい。応援ありがとうございます!



  • Copyright(C)2007-2015.
    兼松 純(Jun Kanematsu)

    写真に電子透かしを使用しています。

    当ブログに掲載されている写真・画像・文章・イラストの無断複写、転載等の使用および二次使用を禁じます。
    No reproduction or republication without written permission.

    ■当ブログ掲載写真は、地域の方に楽しんでいただく作品発表の場として、2007年より掲載してきました。2014年には、祭事写真のために筆者(兼松)が書いた解説文を専門家が新聞コラムに無断使用する事態があり、弁護士相談の上で関係者各位に申し入れを行いました。 判断に迷うときは、事前にお問い合わせいただきますようお願いします。

    ■2014年春からアマナイメージズに作品の一部を預けています。 WEBに掲載していない作品もございますので、詳細はお問い合わせ下さい。

連絡先/Contact

堅田の町のご紹介

お気に入りサイト・ブログ

無料ブログはココログ