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2014年9月

2014年9月26日 (金)

伊吹山麓の道、北国脇往還を歩く~花と水辺の風景4(長浜市/高月町馬上の水辺⇒雨森のイチョウ⇒木之本)&官兵衛周遊券の情報を掲載しています

 




河毛駅から小谷郡上町へ向う途中、朝の光の中に姿を現したのは伊吹山。
手前は一面のソバ畑で、奥に見えているのが郡上の集落です。

北国脇往還3分割最終日は、小谷郡上町から木之本まで、約12kmを歩くことになりました。

▼北国脇往還(花と水辺の風景)バックナンバーはこちらからどうぞ。
1(関ケ原の栗の木⇒米原市春照のヒガンバナ)
2(ヒガンバナの道⇒姉川のソバ畑と伊吹山)
3(長浜市/野村の水路と八島の水車⇒伊部宿⇒小谷郡上のお地蔵さん)



小谷郡上のお地蔵さんと、数日振りの再会です。

小谷美濃山町まで行き、車道を渡って小谷小学校の前を通ると一本道。
いくつかの集落を通り、山田川を渡ると高月町馬上(まけ)の集落に出ました。



高月町馬上(まけ)にて。この地区も暮らしの中に水路が残る美しいところです。

水を汲む男性の姿を所々で見かけました。

第1回・第2回に掲載した岐阜県関ケ原町・滋賀県米原市は山間部が殆どでしたが、
前回と今回掲載している滋賀県長浜市では、水路がめぐる美しい集落にいくつも出合いました。



高月町馬上(まけ)には、水路そばに「北国きのもと道」の美しい道標があります。

ここから矢印の方向へ進むと阿弥陀橋があり、高時川を渡ります。



高時川の河川敷から下りてみると、ヒガンバナの群落と大きな木に出合いました。

この先に見える集落が、高月町雨森(あめのもり)です。
江戸時代の儒学者・雨森芳洲のふるさとで、美しい町並みが平成17年に表彰されています。

※雨森が受賞したのはこちら⇒国土交通大臣表彰「手づくり郷土賞」
↑当ブログのふるさと・堅田も平成6年に受賞していますよ!(堅田の宮ノ切)



雨森の水路でまわっていた小さな水車は・・・あれ?ドラえもん?!

北国脇往還から少し離れて、雨森芳洲庵とその周辺を訪ねたときの一枚です。



天川命神社のイチョウ。推定樹齢300年を超える巨木です。

ここでちょっと早めのお昼にしました。



9月の終わりですが、陰にはアジサイの花が2つ残っていました。

ピンクと青紫がきれいだったので、一枚撮影。
午後は、雨森から井口(いのくち)を経て、木之本町田部へ入りました。



木之本町田部は一面の田園風景で、黄金色の波が広がっていました。

部活の帰りでしょうか、自転車の学生さんが数十人、元気よく挨拶とともに通り過ぎていきました。
もうすぐ木之本宿へ入ります。



北国脇往還と北国街道の分岐点にて(木之本町木之本)。13時過ぎ、ついにゴールです!

この日は一転して夏のように暑かったので、木之本地蔵院に寄ってまっすぐ帰りました。
(撮影日:2014年9月23日(火・祝))

最後に、河毛駅併設のコミュニティーセンターで教えていただいた耳寄り情報をご紹介します!
本当は、こちらにも寄りたかったのですが・・・暑い中歩いたのでさすがにバテました。

木之本とその周辺では、12月28日まで黒田官兵衛博覧会が開催されています。
「官兵衛周遊券」(1000円)を使うと、かなりお得です(合計1800円相当)。

・3施設の入館(戦国大河きのもと館+長浜城歴史博物館+高月観音の里歴史民俗資料館)
・奥びわ湖おもてなしバスの乗車(土日祝日運行)
・官兵衛おもてなしクーポン(500円相当)がセットになっています。


木之本の南にある高月は、渡岸寺観音堂の十一面観音(国宝)を始めとする観音の里です。
この機会に観音の里をゆっくり回るのもいいですね。己高閣・世代閣も見ごたえがありますよ。
秋には石道寺と鶏足寺の紅葉が見事で、おすすめのエリアです。

ご参考までに、観光協会のページへリンクを張っておきますね。
2施設入場券(500円)、奥びわ湖おもてなしバス乗車券(大人300円、小人150円)もあるそうです。

▼官兵衛周遊券・官兵衛おもてなしクーポン(チラシ)
官兵衛おもてなしクーポンのご利用の案内(2014/4/9)

▼奥びわ湖おもてなしバス
長浜・米原観光情報(2014/4/19)

以上、勝手に(長浜)観光協会でした。木之本には紅葉のころ、また伺いますね!

◆今回の行程を地図にまとめました。街道歩きにご活用ください。石道寺、鶏足寺の場所も掲載。

大きな地図で 中山道(醒井・柏原・関ケ原)と北国脇往還を歩く~滋賀県米原市・長浜市・岐阜県不破郡関ケ原町 を表示


 

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2014年9月25日 (木)

伊吹山麓の道、北国脇往還を歩く~花と水辺の風景3(長浜市/野村の水路と八島の水車⇒伊部宿⇒小谷郡上のお地蔵さん)

 




北国脇往還は、関ケ原から伊吹山麓を通り、木之本で北国街道と合流する脇街道。

行程の半分以上を占めるのが、集落と田圃の中を行く、平坦でのどかな道です。
滋賀県長浜市野村町に入ると、水路そばの地蔵堂で、沢山のヒガンバナが咲いていました。



同じく長浜市野村町にて、道端の畑で咲くコスモスの花。

この写真には写っていませんが、長浜に入ると伊吹山がまたよく見えるようになりました。



田圃のあぜ道に続くヒガンバナに導かれるように、神社の裏手に出ました。

この先はまた車道歩きとなるので、ここで早めの昼食をとることにしました。
持参したお弁当を食べながら、数日前と気温がだいぶ違うことを実感します。
午後は県道を歩いて草野川を越え、道中初めてコンビニに出合いました。



県道から八島の集落に入ると、立派な水車が迎えてくれました。

長浜市八島町は、北国脇往還の道標が数箇所残っているという貴重な地区です。
※詳細は後日、『近江山河抄の舞台を歩く』「伊吹の荒ぶる神」でご紹介する予定です。



尊勝寺町、山ノ前町を通り、伊部宿の置かれた伊部(長浜市湖北町伊部)へ入りました。

山ノ前町の北国脇往還は、昭和50年代の圃場整備で一部が失われていることを知ります。
実際に歩いてくると、道が無くなっている事はやはりショックでした。
県道を歩いて伊部の集落に入り、写真の田川の手前で北国脇往還に合流できました。



伊部は北国脇往還のほぼ中間に位置し、上小谷伊部宿とも呼ばれたところです。

小谷宿は、隣の郡上(長浜市小谷郡上町)と二宿で一宿場だったそうです。
北国脇往還で、建物の残る本陣跡に出合ったのは初めてでした。



今回は小谷郡上町のお地蔵さんの前で、北国脇往還から離れることにしました。

看板にあるとおり小谷郡上は浅井三姉妹に縁の深いところで、浅井氏の居城・小谷城の近くです。
この後、郡上の交差点を渡り、河毛駅(かわけ)まで30分ほど歩いて、JRで帰りました。
この日は米原市春照から長浜市小谷郡上町、河毛駅まで約17kmの行程でした。(次回に続く)
(撮影日:2014年9月18日(木)午後)

◆今回の行程を地図にまとめています。街道歩きにご活用ください。

大きな地図で 中山道(醒井・柏原・関ケ原)と北国脇往還を歩く~滋賀県米原市・長浜市・岐阜県不破郡関ケ原町 を表示


 

 

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2014年9月22日 (月)

伊吹山麓の道、北国脇往還を歩く~花と水辺の風景2(ヒガンバナの道⇒姉川のソバ畑と伊吹山)

 




岐阜と滋賀をつなぐ北国脇往還は、滋賀県米原市春照(すいじょう)で長浜道と分岐します。

長浜道との分岐点にあるのが、春照の八幡神社です。
この日は春照から長浜市小谷郡上町まで歩きました(約17km)。今回はその前半を掲載します。



春照の八幡神社境内では、沢山のお地蔵さんに出合いました。




街道沿いにヒガンバナの道が続いていました。

春照から小田(やないだ)まではのどかな一本道で、緊張するような峠越えもありません。
ようやく里に下りてきたことを実感します。



小田橋は既に無いため、隣の井之口地区(井之口橋)から姉川を越えました。

遠くに見えているのは、かつての小田橋の橋脚です。
井之口橋を渡ったところに電気柵があり、またいで越えました。緊張の一瞬です。



振り返ると、小田の集落と黄金色の田圃、そして一面のソバ畑が広がっていました。

最初は何か分からなかった位、可憐で名も無き草に見えるのがソバの花です。
荒地でも育つ丈夫な植物がソバだということを思い出していました。



思いがけず出合った風景です。正面に伊吹山、手前の傾斜地にソバ畑が広がっていました。

もう一度電気柵を越えて車道に出ると、長浜市今荘町に向けて長い峠越えが待っていました。

今荘町までの北国脇往還は、森の中の道となるため、迂回して車道(広域農道)を通りました。
それでも所々、北国脇往還の方向へ入れる箇所があったので、思い切って入ってみました。



ダンプカーが通る山中の車道の傍らに、思いがけず、小さな社がありました。


一人歩きじゃなかったら、森の中へ入ってもっと色々撮れたかも・・・と思っていたけれど、
こういう出会いがあるから、迂回路も捨てたものではありませんね。

北国脇往還は今荘ぶどう園前で集落に入り、今荘、佐野と田園風景の中を続きます。
野村町では、集落を水路がめぐる美しい風景が広がっていました。この続きは次回掲載します。
(撮影日:2014年9月18日(木)午前)

◆次回予定:長浜市野村町、長浜市八島町、長浜市湖北町伊部の水辺の風景を掲載します。
◆今回の行程を地図(Google map)にまとめています。街道歩きにご活用ください。

大きな地図で 中山道(醒井・柏原・関ケ原)と北国脇往還を歩く~滋賀県米原市・長浜市・岐阜県不破郡関ケ原町 を表示


 

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2014年9月20日 (土)

伊吹山麓の道、北国脇往還を歩く~花と水辺の風景1(関ケ原の栗の木⇒米原市春照のヒガンバナ)

 



滋賀から岐阜にかけて、北国脇往還と呼ばれる脇街道があります。
北国街道から中山道への近道で、木之本(滋賀)から関ケ原(岐阜)までの30数キロの道です。

近江(滋賀県)から関ケ原へ抜ける近道として、江戸時代に参勤交代に利用されて栄えました。
この街道沿いには、歴史あふれる美しい集落が残っています。

その宿場のひとつ、藤川(滋賀県米原市藤川)を訪ねるのが当初の予定でした。
藤川へは路線バスが通っておらず、関ケ原から歩いていくことを考えていたからです。
せっかくの機会なので、関ケ原から木之本までを3回に分けて歩いてみることにしました。
(『近江山河抄の舞台を歩く』「伊吹の荒ぶる神」の続編として今後掲載予定です。)

歴史の話を書くと、どうしても花や風景の写真を載せる機会が少なくなってしまうので、
それとは別に、北国脇往還のまちの花や水路の風景を中心に載せてみようと思いました。

実際歩いてみると、消えていた箇所あり、獣道あり、早急に記録に残す必要を感じました。
薄暗い森の中の山道も数箇所あったので、今回はすべて迂回して峠を越えています。
そこで今回は、道標や危険箇所などをまとめた地図を作成して公開することにしました。

伊吹神社でヒルにやられ、寺林ではサルの親子に遭い、姉川で電気柵をまたいで通ったりと、
一部は登山と同じ道中でしたが、大変さを補って余りある壮大な風景に出会うことができました。

「近道」として使われた脇街道だけに、近道ならではの魅力がつまったコースです。
個人的には好きな道です。本物を好む人や、日本好きな外国の人に好まれる道だと感じます。

最近は富士山麓を歩くツアーが人気ですが、こちらは「伊吹山麓ウォーク」です(当サイト命名)。

たとえば、関ケ原を訪ねた人が、関ケ原を基点に古戦場めぐりや中山道ウォークをしてもよし。
北国脇往還を歩いて、春照宿(伊吹山麓)で薬草温泉に入って、伊吹山に登ってもよし。
木之本宿から北国街道を歩いたり、賤ヶ岳の古戦場ウォークをしてもよし。
この関ケ原と木之本を結ぶラインが、北国脇往還です。
観光協会の方が本気になって整備すれば、結構いけるコースだと、個人的には感じています。

冒頭の写真は、関ケ原の古戦場の近くにて咲いていたヒガンバナです。
「関ケ原の合戦」の開戦地に近い場所だったので、鉄砲の音(!)が聞こえていました。
この日は祝日だったので、合戦関連のイベントか何かが開催されていたのかもしれませんね。


関ケ原(岐阜県不破郡関ケ原町)を歩くと、あちこちで古戦場に出くわします。
住宅街から歩いて1分のところに、写真の「島津義弘陣跡」がありました。
関ケ原は、道端の道標やパンプレットなど、古戦場めぐりの案内が充実しています。
これに加えて北国脇往還の案内があると、歩くには本当に申し分ないです。


大きな栗の木。関ケ原町玉にて。
北国脇往還で美濃(岐阜県)に唯一ある宿が、玉宿(関ケ原町玉)でした。
当時は隣の藤川(滋賀県米原市藤川)と二宿で一宿場だったそうです。


悲しいことに、使われなくなれば道は消えます。
玉から藤川までの北国脇往還は、藪に覆われ、もはや歩ける状態ではありませんでした。
この写真は迂回路としてとった車道から撮影しています。まもなく滋賀県米原市に入りました。


黄金色の田圃と雄大な伊吹山。田圃の向こうに集落があり、ようやくほっと一息つけました。
集落と集落の間を抜けるのが、こんなに大変で心細いものだと、身をもって知りました。
往時に北国脇往還を通った旅人の気持ちが、なんだか分かる様な気がします。
藤川の隣、米原市寺林(てらばやし)地区にて撮影。


米原市上平寺(じょうへいじ)にて、趣ある渋い蔵と柿の木。
先ほどの寺林地区とは、県道をはさんで面している集落です。
上平寺は京極氏が居城を置いたところで、「北近江最初の都市」と案内板にありました。
その京極氏も浅井氏の台頭に押され、上平寺城は廃城となりました。

この後、米原市寺林から春照(すいじょう)まで、車道の脇を延々と歩いて峠を越えました。
伊吹山が再び雄大な姿を見せ、畑や民家が見えたときの安堵感といったら・・・。


街道沿いにたくさんのヒガンバナが咲いていました。
春照は北国脇往還の春照宿が置かれ、明治時代には鉄道の駅があったところです。
この日は、伊吹登山口からやって来たバスに乗って、長浜駅まで出て帰りました。
次回は、春照からスタートして長浜市小谷郡上町まで歩いたときの写真を掲載します。
(撮影日:2014年9月15日(月・祝))

◆次回:米原市春照のヒガンバナ⇒姉川のソバ畑を掲載予定。
◆次々回:長浜市野村・八島・湖北町伊部・高月町馬上の水辺⇒雨森のイチョウを掲載予定。

◆今回の行程を地図(Google map)にまとめています。街道歩きにご活用ください。

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2014年9月10日 (水)

【琵琶湖の近くであおぞら市】「堅田湖族にぎわい市」開催のお知らせ(2014年10月19日(日)・11月23日(日)@滋賀県大津市本堅田)

 


第2回ななまちフリーマーケット(堅田旧本町商店街にて)
大津北商工会さんからの情報です。
琵琶湖に近い浮御堂周辺で、10月と11月に1回ずつ「あおぞら市」が開催されます。
地域の特産品、各店自慢の商品、農水産品などが販売される予定です。

◆日時:2014年10月19日(日)・11月23日(日) 両日とも 9時~14時
◆場所:湖族の郷資料館、浮御堂周辺(滋賀県大津市本堅田1丁目)


※例年この時期に開かれていた「ななまちフリーマーケット」は、今年度は開催されません。
※一般の方のフリーマーケット出店募集は(残念ながら)ありませんので、ご注意下さい。

※もよりのバス停は、江若バス・堅田町内循環線「浮御堂前」(JR堅田駅より乗車7分)です。
日曜日の朝9時台までは浮御堂前までバスが行きませんので、「堅田出町」をご利用下さい。
堅田町内循環線時刻表

※駐車場は、東洋紡の前(堅田高校の奥)にある「堅田観光駐車場」をご利用下さい。
(堅田観光駐車場の所在地:滋賀県大津市本堅田3丁目2)


<出店を希望される方向けの情報>

◆出店資格
・商品販売・模擬店 … 大津市北部地域で事業を営まれている方、組合や団体
・農水産品の出店 … 大津市内で農業・漁業に従事されている方
※軽トラを乗り入れての出店、2日間のいずれかの日だけの出店もOK。

◆出店ブース:20ブース募集 (1ブース 間口4m×奥行2m)
※原則1申込・1ブース(複数希望は空ブースがある場合のみ対応)

◆出店料:1,000円(1ブース・1日あたり)
◆申込締切:10月3日(金)(募集数20ブースに達し次第、締め切り)
◆出店募集要項、出店申込書はこちら⇒http://otsukita-sci.com/event.php?no=270

◆申込・お問い合わせ:堅田湖族にぎわい市実行委員会事務局
〒520-0242 滋賀県大津市本堅田3丁目7-14(大津北商工会本所内)
TEL:077-572-0425 FAX:077-572-1140
URL:http://www.otsukita-sci.com/


 

 

 

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伊吹の荒ぶる神7(中山道・柏原宿から関ケ原へ~柏原から寝物語の里、今須宿、不破の関跡を歩く<後編>)~近江山河抄の舞台を歩く(69)

 




妙応寺は、美濃国今須領主の長江重景が、母(妙応)の菩提を弔うため建てた寺である。

正平15年(1360)の創建で、岐阜県下最古の曹洞宗寺院といわれている。
現在は参道の上を国道と東海道本線が走っており、旧中山道から寺を見ることはできない。
長いトンネルをくぐって外に出ると、立派な寺が姿を現した。

重景の祖父・長江秀景は、源頼朝の家臣で、もとは相模国三浦郡長江村に所領があったという。
承久の乱(1221)後に、美濃国不破郡今須村(現在の岐阜県関ケ原町大字今須)に移ってきた。

承久の乱といえば、頼朝亡き後に、後鳥羽上皇が鎌倉倒幕の兵を挙げて敗れた戦である。
御家人の力を警戒した北条氏は、この戦で得た西国の地に御家人を移らせたと言われている。
おそらく秀景もその一人だったのだろう。



妙応寺本堂の左には潜る様に小道があり、すぐ墓地に出る。その中央に長江氏の墓がある。

妙応寺を開いた長江重景の墓は、2つある大形の宝篋印塔のどちらかだと考えられている。
写真はその右側の宝篋印塔を撮影したもの。墓の前で、重景の母・妙応にまつわる話を伺った。

妙応は生前の悪業のせいで鬼に責め苦を受けており、それを偶然、旅の僧が目にする。
僧から話を聞いた重景は、鬼が出るというお堂にでかけ、亡き母の苦しむ姿を見てしまう。
そこで母の供養のために妙応寺を建立したというのが、寺の縁起となっている。

▼妙応寺縁起は、関ケ原町立今須小中学校のホームページに詳しいのでご参照下さい。
妙応寺と妙応ばあさん



再び旧中山道に戻り、しばらく行くと、国道21号線の傍らに今須宿の一里塚跡があった。

この近くには長江氏ゆかりの青坂神社があり、東海道本線の線路が参道を横切っている。
相模から今須に移った長江秀景が、先祖の鎌倉権五郎景政を祀ったと言われる神社だ。
境内には、関ケ原の合戦を終えた徳川家康が腰掛けたという「東照宮天下御踏台」もある。
時間の関係で立ち寄れなかったが、ご関心のある方はこちらも一緒にお勧めしたい。



国道21号線から離れて左の道をとると、旧中山道の「今須峠」に入る。
写真の石柱は昔の今須峠に建てられたもので、現在の今須峠の坂道から撮影している。

かなり高い位置に峠があったことがお分かりいただけるだろうか。

現在は車が通行できる緩やかな坂道になっているが、昔は旅の難所だった。
室町時代の公卿・一条兼良は、美濃への旅行記『藤川の記』の中で、今須峠をこう記している。
「堅城と見えたり、一夫関(いっぷかん)に当たれば万夫(ばんぷ)すぎがたき所というべし」

一条兼良は関白も勤めた人物で、退いた後に応仁の乱を避けて奈良に住んだ時期があった。
『藤川の記』に記した旅の道中では、関ケ原に近い藤川(滋賀県米原市藤川)に滞在している。
琵琶湖を渡る際に、当ブログのふるさと「堅田の浦に、舟を寄せて」といったこともあったようだ。

生前から学者としての名声は高く、亡くなった時「五百年来この才学無し」とまで惜しまれたが、
「長い間にわたって一条兼良の評価は低いものがあった」という(ウィキペディアより)。
『藤川の記』は文明5年(1473)に執筆されたものだが、入手はかなり難しそうだ。
「『藤川の記』 (現代語訳V2.0)」さんのサイトで、貴重な現代語訳を読むことができる。

◆堅田の箇所⇒http://teppou13.fc2web.com/hana/itijo/FUJIKAWA/fuji_4.html

▼『藤川の記』 (現代語訳V2.0)
http://teppou13.fc2web.com/hana/itijo/FUJIKAWA/fujikawa_no_ki.html



今須峠を抜けると、山中という美しい集落に出た。「常盤地蔵」が迎えてくれる。

源義経の母・常盤御前と、乳母の千種が、山中村で盗賊に襲われ亡くなったといわれている。
2人は東国に向かった牛若(源義経)の身を案じ、後を追ったという。時に常盤43歳だった。
哀れに思った村人は塚を築き、手厚く葬った。そして塚の近くに常盤地蔵を安置したという。



山中の集落に入ると、東海道本線のそばに小さな公園がある。常盤御前の墓である。

常盤地蔵から歩いて5分弱の場所で、松尾芭蕉の句碑(後ろの石碑)と一緒に並んでいる。
前回も近江国境(寝物語の里)のところで書いたが、この辺りには義経にまつわる伝承が多い。
恋人の静御前は、義経の家臣と寝物語の里で再会できたが、こちらは何とも切ない話だ。



鶯の滝。年中ウグイスが泣くことからこの名がついたと言われている。

山中村(現在の関ケ原町山中)は、鎌倉~室町時代には東山道の宿駅として栄えた。
江戸時代に中山道が整備されると、今須宿と関ヶ原宿の間の休憩地として賑わったという。

今須峠のところでご紹介した一条兼良の歌にも、この「鶯の滝」が出てくる。
「夏きては 鳴く音をきかぬ 鶯の 滝のみなみや ながれあふらむ」
峠を越えてきた旅人にとって、涼やかな滝は一服の清涼剤となったことだろう。



黒血川。もともとは山中川と呼ばれていた川で、先程の鶯の滝が黒血川の源流にあたる。

壬申の乱(672)の際、この山中の地で大友皇子・大海人皇子両軍初の衝突が起きた。
天智天皇の皇子が大友皇子で、天智天皇の弟が大海人皇子(後の天武天皇)である。
両軍の兵士の流血が、川底の岩石を黒く染めたことから、この名が付いたといわれている。

現在は川を横切るように東海道本線の高架があり、音をたてて貨物列車が通過していった。
川の右からトンネルに続いている道は東海自然歩道で、城山(砦跡)に通じている。



山中の集落にて、来た道(旧中山道)を振り返ったところ。

国道21号線が見えてくるころ、長い間歩いてきた山中の集落に別れを告げた。



再び国道21号線と交わると、またすぐに旧中山道に入る(関ケ原町藤下)。

すぐ眼に跳びこんで来るのが、「弘文天皇御陵候補地・自害峯の三本杉」の丘である。
壬申の乱は、天智天皇亡き後、大友皇子(弘文天皇)と大海人皇子の間に起きた内乱である。
山中、そして藤下(とうげ)は、壬申の乱の戦地となった場所で、ともに激戦地となった。

日本書紀によれば、672年6月、大海人皇子は野上行宮(関ケ原町大字野上)に入り、
「関の藤川」(関ケ原町大字藤下)で大友皇子と決戦を行っている。

大友皇子の首実検(身元確認)や天武天皇の即位も、この野上行宮で行ったと言われている。
敗れた大友皇子は「山前(やまさき)」で自死したとされるが、どこなのかは謎のままだ。
このシリーズでお伝えした滋賀県大津市衣川の「鞍掛神社」は、その伝承地のひとつである。

鞍掛神社拝殿で舞う巫女さん-1

当地の伝承は、「鞍掛神社」(写真)のものと両立するとも、矛盾するとも言えるものだった。

大友皇子の御首は、首実検後に地元の人々が貰い受け、藤下の丘に葬ったというのだ。
印として三本の杉を植え、自害峯と名づけたと伝わっている。


なぜ、藤下(とうげ)の地が選ばれたのか。それには歴史的な理由がある。
壬申の乱の際、大友皇子(弘文天皇)に味方したのは、藤下と山中の人々だった。
御陵候補地になっているのは、伝承にまつわる場所が付近に集中している事も大きいと思われる。



矢尻の池(井)。

壬申の乱の際、水を求めた大友軍の兵士が矢尻で掘ったという伝承がある。
現在は枯れていて、ほとんど分からない状態だった。
隣に地蔵堂があり、付近で出土した地蔵と自害峯の地蔵をあわせて祀っている。



藤古川。古くは「関の藤川」と呼ばれたこの川を挟んで、壬申の乱の大激戦が繰り広げられた。

(ちなみに上流には、室町時代に一条兼良が滞在した藤川(滋賀県米原市藤川)の集落がある。)

藤古川の東側(写真奥)は松尾という集落で、大海人皇子に味方し、大海人軍が陣を張った。
西側(写真手前)の藤下(とうげ)、そして山中集落は大友皇子に味方し、大友軍の陣地となった。



壬申の乱の直後、松尾では天武天皇(大海人皇子)を祀った「井上神社」を創建している。
他方、藤下・山中では、亡くなった大友皇子を祭神として、藤下に「若宮八幡宮」を建立した。

どちらの神社も地元の方に守られて現在に至っている。ここは歴史の舞台そのものなのだ。



藤下(とうげ)の集落にて(藤古川の手前で撮影)。

大友皇子を祀っている「若宮八幡宮」の参道入り口は、旧中山道に面している。
藤古川を渡ると松尾の集落で、高台に不破関資料館の森が見えた。

 



藤川に面して、こんもりとした森が遠望されるのは、やはりふつうの所とは雰囲気が違う。川の右岸には、「伊勢街道」と記した道しるべがあり、壬申の乱に、天武天皇が、この細々とした道を辿って来られたのかと思うと、感慨にふけらざるを得ない。関ケ原は、「不破の関の原」で、鈴鹿と伊吹にはさまれた狭隘な地形は、ここで度々合戦が行われたのも不思議ではないと思う。
-白洲正子『近江山河抄』「伊吹の荒ぶる神」

 




旧中山道をはさんで、道の両側に「不破関跡」(写真の建物)と不破関資料館がある。

壬申の乱の翌年、天武天皇はこの松尾の地に、関所(不破関)を置いた。
この不破関を境に「関東」「関西」と呼ばれるようになったとも言われている。
関所へ行く前に不破関資料館に行くことになり、出土品などを見学した後、資料をいただいた。



不破関跡では、不破関守の館跡の庭園を見ることができる。

「不破関」は平安時代以降有名な歌枕だったことから、この庭園にはたくさんの歌碑が置いてある。
ここでも松尾芭蕉の句碑に出合った。 「秋風や 藪も畠も 不破の関」(芭蕉)



不破関跡の庭園にあったのが、「美濃国不破故関銘」の大きな石碑。

風格と立派な漢文が気になって、後から調べてみると、読み下し文を見つける事ができた。
最後に文政五年(1822)に市河 三亥 (いちかわ みつい)が題額したとの銘があり、とても驚いた。
市河 三亥(1779-1858)は江戸時代後期の書家・漢詩人で、米庵の号で知られる書の大家だ。
どうやら天武天皇(壬申の乱)と徳川家康(関ケ原の合戦)の正当性をうたった内容のようだ。

▼石碑の全文(内容)は、下記サイト(「四季・コギト・詩集ホームぺージ」)をご参照下さい。
美濃国不破故関銘并序(1822 文政五年)


 


関ヶ原駅まで行く途中、福島正則の陣地跡があるというので立ち寄ってみた。
正則の陣地跡は春日神社の境内にあり、樹齢800年という「月見の宮大杉」が迎えてくれた。


関ヶ原駅の近くには関ケ原宿脇本陣跡があり、商店街の一角に門だけが残っていた。
その隣の本陣跡には推定樹齢300年以上というスダジイ(天然記念物)があり、眺めて帰った。
知らなかったことがあまりにも多くて、柏原から関ケ原までの8kmは印象に残る行程になった。

▼ご参考までに、今回の行程を掲載。
11:50~12:35妙応寺、12:42一里塚、12:44今須峠入り口、12:59常盤地蔵、
13:04~13:11常盤御前の墓、13:15鶯の滝、13:19黒血川、13:31藤下の集落へ入る、
13:33自害峯の三本杉の矢印看板前、13:36矢尻の池(井)、13:40藤古川、13:49不破関、
13:50不破関資料館、14:10不破関庭園、14:18福島正則陣地跡、14:46関ケ原宿脇本陣跡、
14:51関ヶ原駅到着。(撮影日:2013年11月8日)

▼当日、関ケ原町観光協会さん・米原観光協会さんからいただいた資料はこちら。
関ケ原町 観光ガイドブック「せきがはら巡歴手帖」(※ダウンロード&郵送可能)
中山道柏原宿散策マップ(※ダウンロード&郵送可能)


白洲正子さんの紀行文『近江山河抄』(1974年刊)の舞台を、写真とともにご紹介しています。


伊吹の荒ぶる神1(中山道・柏原宿から醒井宿を歩く~前編:やいと祭と柏原宿歴史資料館、寄り道して清滝寺徳源院へ)

伊吹の荒ぶる神2(中山道・柏原宿から醒井宿を歩く~後編:柏原一里塚から醒井「居醒の清水」とバイカモの花)

伊吹の荒ぶる神3(水のまち・醒井から、木彫りの里・上丹生へ。醒井渓谷、霊仙三蔵記念堂、醒井養鱒場、いぼとり水と西行水)

伊吹の荒ぶる神4(琵琶湖岸の神話の町~朝妻湊跡と湖底遺跡、世継の七夕伝説、山内一豊の母・法秀院ゆかりの地、元伊勢・坂田神明宮(滋賀県米原市朝妻筑摩・世継・飯・宇賀野))

伊吹の荒ぶる神5(岐阜と滋賀の県境、伊吹山の麓を歩く~伊夫岐神社と息長陵/◆早春の三島池(滋賀県米原市伊吹・村居田・池下))

伊吹の荒ぶる神6(中山道・柏原宿から関ケ原へ~柏原から寝物語の里、今須宿、不破の関跡を歩く<前編>)


 

 

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2014年9月 9日 (火)

十六夜の月、スーパームーン(2014年9月9日撮影)

 



今年(2014年)の十六夜の月は、普段よりも大きな満月「スーパームーン」でした!
撮影していると、雲に光の輪ができて、とてもきれいでした。


光がとても強かったので、その感じをそのまま写してみました。
ちなみに次回のスーパームーンは、2015年9月28日だそうです。
(2014年9月9日20時30分および20時49分、滋賀県内にて撮影)


 

 

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2014年9月 3日 (水)

伊吹の荒ぶる神6(中山道・柏原宿から関ケ原へ~柏原から寝物語の里、今須宿、不破の関跡を歩く<前編>)~近江山河抄の舞台を歩く(68)

 



伊吹山の麓の柏原(かしわばら・滋賀県米原市)は、岐阜の関ケ原と8km程しか離れていない。
江戸時代、中山道・柏原宿の名物といえば「伊吹もぐさ」だった。

江戸時代の柏原宿には、最盛期に10軒のもぐさ屋があったといわれている。
現在はJR柏原駅から西へ10分ほどのところに、「伊吹堂亀谷佐京商店」一軒が残るのみ。

 



かくとだに えやはいぶきの さしも草 さしも知らじな 燃ゆる思ひを  藤原実方
百人一首で有名なこの歌は、近江の伊吹山ではなく、下野の伊吹をよんだともいわれる。
・・・
前記の歌によまれた「さしも草」は、もぐさのことで、伊吹山で採れるよもぎ(もぐさの原料)は特別いいとされてきた。下野の伊吹山も、もぐさの産地ということだが、それは近江の山の名を踏襲したのであろう。山麓の柏原には、「伊吹堂」という古い看板をかけたもぐさ屋があり、どっしりとした旧家の構えに、往年の宿場の名残りを止めている。
-白洲正子『近江山河抄』「伊吹の荒ぶる神」

 


亀谷佐京商店は寛文元年(1661)の創業で、現在の建物は文化6年(1809)の築造だという。
商店として営業されているため、観光施設としての公開はされていないのでご注意を。



もぐさ店の少し手前にあるのが、柏原宿本陣跡である。

案内板の下側には、徳川14代将軍家茂が第二次長州征伐の途上に泊まったと書いてあった。

米原観光ボランティアガイド協会さんにいただいた資料によれば、文久元年(1831)10月24日、
皇女和宮が将軍家茂に嫁ぐ際、柏原宿本陣に泊まったという記録がある。
お供の者は4000人超、4日にわたる行列で、その間に「長持3竿半分」のもぐさが売れたという。

長持の一般的な大きさは、長さ8尺5寸(約174cm)前後、幅と高さは2尺5寸(約75cm)
ウィキペディア
というから、大人数で複数買い求めたのだろう、当時の繁盛振りが伺える。



柏原駅へ戻り、今度は東の方向(関ケ原)へ向かった。

左手にJR(東海道本線)と伊吹山を見ながら、旧中山道を歩いていく。



柏原の集落のはずれ(野瀬)で、「照手姫笠地蔵(てるてひめかさじぞう)」に出合う。
中世の仏教説話 『小栗判官照手姫』 にまつわる地蔵だという。


常陸国(茨城県)小栗の城主、小栗判官助重が毒酒を飲まされ危篤になるが、餓鬼阿弥となって
一命を取り留める。人間に戻るため、箱車に乗せられて、熊野めざして東山道を行くことになる。

愛妾の照手姫は、夫とは知らずに、青墓から大津まで人々と一緒に懸命に箱車を引いていく。
野瀬の地で、路傍の石地蔵に自分の笠を掛け、一心に祈ると、地蔵は次のお告げをした。
『立ちかへり 見てだにゆかば 法の船に のせ野が原の 契り朽ちせじ』

熊野の湯で療養した小栗判官は平癒し、当地に石地蔵を本尊とする「蘇生寺」を建立した。
のちに慶長の兵火で寺は消失し、石の地蔵だけが残ったと伝わっている。(案内板より)
照手姫が笠を掛けたという笠地蔵は、上の写真右側の小さな地蔵だと伺った。


旧・東山道(とうさんどう)の道標があった。街道としての東山道は、中山道の前身にあたる。
東山道は古い街道名だと思っていたが、調べると律令時代の行政区分の意味も持っていた。
行政区分の名前である同時に、東山道の地を通る街道を指すようになったらしい。

古代から中世に、近江から美濃・信濃・上野(群馬県)・下野(栃木県)・武蔵(埼玉県等)を経て、
陸奥(福島県、宮城県、青森県、岩手県、秋田県北東部)に至るのが、東山道である。
江戸時代になって五街道が整備された際、東山道は中山道・奥州街道などに再編されている。

前回(6月)にご紹介した滋賀県蒲生郡竜王町の「鏡」も、東山道の宿場のひとつだった。
源義経は鏡の宿で元服し、鎌倉の兄・頼朝の下へ向ったと伝えられる歴史の道である。


旧中山道を、柏原から長久寺へと向かう。
長久寺(ちょうきゅうじ)は、滋賀県米原市と岐阜県との境にある集落である。
長久寺にある「寝物語の里」は、近江(滋賀県)と美濃(岐阜県)の境界にある場所だ。
国境の小さな溝を隔てて並ぶ旅籠に泊まった旅人が、壁越しに話をしたという伝承がある。

 



番場の宿から、醒ヶ井、柏原を経て、中山道の旧道を行くと、「寝物語の里」に来る。
近江と美濃の境の宿で、両国の人々が壁ひと重をへだてて、寝物語をしたというので知られている。不破の関は、ここから近い。-白洲正子『近江山河抄』「伊吹の荒ぶる神」

 



寝物語の里。伝承どおり、「滋賀県」と「岐阜県」の境には、小さな水路(溝)が残っている。

米原観光ボランティアガイド協会さんからいただいた資料によれば、
江戸時代、近江(滋賀県)側に20軒、美濃(岐阜県)側に5軒あったといわれている。
当時、近江側には「近江屋」、美濃側には「両国屋」という茶屋があった。
「両国屋」が刷った「寝物語之里由来」には、源義経にまつわるこんな話が書いてあったという。

源義経が(今度は)兄頼朝に追われて東国を去った際、
主の後を追いかけてきた義経の家臣・江田源蔵広成が、当地の宿の主と寝物語をしていた。
隣国の宿に泊まっていた義経の恋人・静御前が、偶然会話を耳にして、二人はめでたく再会。
翌朝、二人で義経を追って旅立ったといわれている。

ご案内いただいたボランティアガイドさんからは、こんな話を伺った。
江戸時代、「美濃、尾張」に行く旅人は、美濃に入ってわらじを近江に投げ返したという。
「身の終わり」と音が同じで縁起が悪いことから、国境で験担ぎをしたらしい。



寝物語の里(滋賀県側・滋賀県米原市長久寺)。

柏原から長久寺まで、中山道の宿場町の面影を残す、落ち着いた町並みが続いている。



寝物語の里(岐阜県側・岐阜県不破郡関ケ原町大字今須)。

地元の方に、県境ならではの話を聞かせていただいた。
岐阜の中で今須だけが、中部電力ではなく関西電力の供給区域になっているとのこと。
今まで何気なく見ていた電柱が、特別な感慨を持って見えてくる。

岐阜に入ると、駐車場にある車のナンバーが、一気に岐阜と名古屋ナンバーに変わった。
滋賀ナンバーは見当たらない。先程まで滋賀の車ばかりだったので、強く印象に残った。
こういったことを肌で感じられるから、境界を歩いて超えるのは面白い。



岐阜県不破郡関ケ原町大字今須に入る。今須の交差点を渡ると、「車返しの坂」がある。

坂の上には地蔵堂(車返し地蔵尊)があり、高台から中山道と東海道本線がよく見える。
この坂の名前には、面白い由来がある。

南北朝時代、歌人の二条良基(にじょう よしもと)が京都から牛車に乗ってここまでやってきた。
「不破の関」が荒れ果て、関屋のひさしから漏れる月明かりが興味深いと聞いたからである。
ところが、不破の関では、都から高貴なお方が来ると聞いて屋根を直してしまった。
坂を上る途中、その話を聞いた良基は引き返してしまったいう伝承から、「車返しの坂」という。



中山道から少し外れて、今須八幡神社に立ち寄った。目印はこの常夜灯である。

ボランティアガイドさんの話では、この常夜灯は今須八幡神社の常夜灯として置かれたもの。
常夜灯の右脇にある小道を奥へと歩いていくと、集落を抜けて名神高速道路の近くに出る。
名神と逆方向へ川沿いに少し歩くと、川の上に朱塗りの立派な橋が架かっている。
その橋を渡ると、見事な本殿がある。



今須八幡神社(岐阜県不破郡関ケ原町大字今須152)。

創建は暦仁元年(1238)で、相模国より鎌倉三熊野権現の一社を勧請したことに始まる。
本殿は嘉永2年(1849)に再建されたという桧皮葺きの一間社流造り。関ヶ原町重要文化財。



今須八幡神社境内から参道の橋を見たところ。不思議な雰囲気がある橋だった。




中山道まで戻る途中、名神高速道路の向こうに小さく見えていたのが伊吹山。

どんどん伊吹が遠くなっていく。ここから先、伊吹を見ることはなかった。



中山道に戻り、江戸時代の常夜灯の前を通り、今須宿の本陣跡・脇本陣跡に着いた。

関ケ原今須活改善センターの前が本陣跡で、ここでちょうどお昼の時間になった。
センターの道路向かいには公衆電話とトイレがあって、ハイカーにはありがたい。
ガイドさんと地元のご好意で、近くの妙応寺の境内で、持参したお弁当を食べた。

9:50頃柏原駅を出て、10時にもぐさ屋さん、10:48寝物語の里、11:11車返しの坂、
11:17今須八幡神社の常夜灯、11:24今須八幡神社、11:45今須宿本陣跡・脇本陣跡。
ご参考までに。(撮影日:2013年11月8日)


次回予定:今須宿から不破の関跡、関ヶ原駅まで歩きます。


白洲正子さんの紀行文『近江山河抄』(1974年刊)の舞台を、写真とともにご紹介しています。

伊吹の荒ぶる神1(中山道・柏原宿から醒井宿を歩く~前編:やいと祭と柏原宿歴史資料館、寄り道して清滝寺徳源院へ)

伊吹の荒ぶる神2(中山道・柏原宿から醒井宿を歩く~後編:柏原一里塚から醒井「居醒の清水」とバイカモの花)

伊吹の荒ぶる神3(水のまち・醒井から、木彫りの里・上丹生へ。醒井渓谷、霊仙三蔵記念堂、醒井養鱒場、いぼとり水と西行水)

伊吹の荒ぶる神4(琵琶湖岸の神話の町~朝妻湊跡と湖底遺跡、世継の七夕伝説、山内一豊の母・法秀院ゆかりの地、元伊勢・坂田神明宮(滋賀県米原市朝妻筑摩・世継・飯・宇賀野))

伊吹の荒ぶる神5(岐阜と滋賀の県境、伊吹山の麓を歩く~伊夫岐神社と息長陵/◆早春の三島池(滋賀県米原市伊吹・村居田・池下))


 

 

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2014年9月 1日 (月)

琵琶湖畔【十六夜お月見イベント】のお知らせ(近江八景「浮御堂」近く・滋賀県大津市本堅田「十六夜公園」にて。2014/9/9(火)19時開演、雅楽の生演奏あり)

 


十六夜の月が出てくる直前の浮御堂(2011年9月13日撮影)
近江八景のひとつ、堅田の浮御堂は、琵琶湖に浮かぶようにして建つ禅寺です。
その浮御堂から歩いて5分くらいの湖畔に、十六夜公園という小さな公園があります。

公園の名は、「十六夜」の日に、松尾芭蕉が堅田でお月見の会をしたことにちなみます。
芭蕉は「堅田十六夜の弁」という俳文を残しました。

 



望月の残興なほやまず。二三子いさめて、舟を堅田の浦に馳す。
その日、申の時ばかりに、何某茂兵衛成秀という人の家のうしろに至る。
「酔翁・狂客、月に浮れて来たれり」と、舟中より声々に呼ばふ。
あるじ思ひがけず、驚き喜びて、簾をまき塵をはらふ。
・・・(中略)・・・
もとの岸上に杯をあげて、月は横川(よかわ)に至らんとす。

鎖(じょう)明けて月さしいれよ浮御堂
やすやすと出でていざよふ月の雲    -松尾芭蕉「堅田十六夜の弁」

 


今回ご紹介するイベントは、芭蕉にちなんで「月見酒ほろよいシンポジウム」になっていますが、
ジュースやお茶を飲みながら、生演奏を楽しんだりお話を伺ったりする、ゆったりイベントです。
(お酒、缶ビールもあります^^)

主催者様から今年もご案内をいただきましたので、皆様にご案内させていただきます。
お近くの方はぜひどうぞ。




堅田湖族の郷主催 第23回月見酒ほろよいシンポジウム

◆日時:2014年9月9日(火) 午後7時より
◆場所 琵琶湖畔「十六夜公園」(堅田港・堅田水上派出所の南隣)
※午後5時の時点で雨天の場合は「堅田なぎざ苑」にて開催します。

☽トークやクイズで楽しむ「芭蕉とその足跡」
☽雅楽「千年の調べコンサート」(出演:膳所・和田神社「奏和会」の皆さん)
☽「堅田十六夜の辨」朗詠

◆会費 おひとり(飲み物とも)¥1000
※チケットは当日会場でお求めいただけます。

◆主催:堅田 湖族の郷
◆お問い合わせ:湖族の郷資料館(電話077-574-1685)

□アクセス:京都駅よりJR湖西線で約20分、堅田駅下車。
堅田駅より江若バス堅田町内循環線で約5分、「堅田出町」下車。
湖岸方面(東洋紡・堅田高校の反対方向)へ徒歩約10分。


□雨天時の会場・堅田なぎざ苑 ※十六夜公園は都久生須麻神社のそばです。

大きな地図で見る

▼「堅田十六夜の弁全文」はこちらの後半に掲載しています。
http://katata.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/katata201210119.html


 

 

 

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