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2014年6月11日 (水)

あかねさす 紫野2(道の駅 竜王かがみの里周辺の隠れた名所をめぐる。老々塚古墳・東山道鏡宿・義経元服池・鏡神社・西光寺跡の宝篋印塔:滋賀県蒲生郡竜王町)~近江山河抄の舞台を歩く(65)


それはまるで石舞台古墳のような、見事な古墳だった。
住宅街のはずれにある児童公園に案内板を見つけて、山へと続く小道をたどってゆく。
公園入口から1、2分しか歩いていないのに、山中に突如現れた老々塚古墳(三ッ山古墳群)。
鏡山周辺には古墳が多いと聞いていたが、この古墳には本当に驚いた。
石室というのは地中に埋まっていることが多いが、ここではほとんどが地表に現れている。


石室上部にはかなり大きな石を使っている。
三ッ山古墳群は6世紀中頃から7世紀前半頃の古墳群で、代表的な古墳がこの老々塚古墳だ。
所在地は滋賀県蒲生郡竜王町山面(やまづら)。美松台という住宅街の一角にある。


石室内部の様子。精緻に石が積み上げられているのが分かる。
前回ご紹介したように、竜王町と野洲市の境にある鏡山周辺は、須恵器の一大生産地だった。
鏡山周辺に多い古墳群は、須恵器生産に関わった人々と関連があると考えられているようだ。
老々塚古墳からは、竜をデザインした金銅製の太刀飾りが出土している。


こちらは横から見たところ。
天井には板状の石を2つ使っていることや、石の積み方がよく分かる。

中山道は・・・小篠原を経て、鏡山、竜王山とあまり高くない丘陵がつづくが、
そのいずれにも大きな古墳群があり、銅鐸もこの辺からたくさん出土している。
-白洲正子『近江山河抄』「あかねさす 紫野」

ちなみに、鏡山周辺(竜王町)にある古墳は、分かっているだけで以下の通り。
星ヶ崎古墳、広谷池古墳、三ッ山古墳群(老々塚古墳)、砂山北古墳群、岩屋古墳、オウゴ古墳。
隣の野洲市では銅鐸が多数出土し、日本一の大きさの銅鐸が発見されている。

☆三ッ山古墳群へは、野洲駅または近江八幡駅発の近江バスで「山面」(やまづら)下車。
食品会社と美松台の間の坂道を行くと、分岐点に矢印看板がある。
さらに進むと児童公園があって、「高塚古墳」と「三ッ山古墳」の看板が出ている。

▼アクセスなど、こちらの地図にまとめてみました。


滋賀県蒲生郡竜王町鏡は、東山道の宿駅「鏡宿」として栄えた場所である。
東山道は中山道の前身となった街道で、鏡宿は京都から東国へ行く際に通る場所だった。
「道の駅竜王かがみの里」の周辺には、隠れた名所が多い。


「道の駅 竜王かがみの里」バス停そばには、源義経が元服したという言い伝えの池がある。
鞍馬山を出た牛若丸(義経)は、追っ手の目をくらますために鏡宿で元服したと言われている。
鏡宿は東山道の宿駅として平安末期から室町時代にかけて栄えた。ちょうど義経の時代である。
江戸時代に中山道が整備された際、隣の守山宿と武佐宿が宿駅となったことで、鏡宿は衰退する。
現在は国道8号線となっているが、車が勢い良く走り抜けていく以外は、とても静かな場所だ。


現在の鏡宿と、国道8号線。
写真左側の民家の奥、緑が見えているのが鏡神社の入り口付近になる。
この少し先に、本陣跡と脇本陣跡、義経が泊まったという白木屋跡がある。


鏡神社の入り口にて。当地で元服したという義経は、鏡神社に参拝したと伝わっている。
境内社の八幡神社(はちまんじんじゃ)では、応神天皇と源義経を合祀している。
左側の御神木(松の木)のアップが、こちら↓


「源義経の烏帽子掛けの松」。
これにちなんだ謡曲「烏帽子折」の前半の舞台が、鏡神社である。

▼義経元服に際しての物語は、竜王町観光協会ホームページに詳しいのでご参照下さい。
http://www.town.ryuoh.shiga.jp/yoshitune/genpuku.html


撮影したのは5月中旬だったので、鏡山周辺の麓ではあちこちでツツジが咲いていた。


義経の元服の話だけでなく、鏡には興味深い伝承が多い。

「あかねさす紫野」の歌で知られる額田王は、一説に鏡の出身だったと言われている。
額田王の父・鏡王は、近江国野洲郡鏡里の豪族とも、神官だったとも伝わっている。

また鏡神社の祭神・天日槍(あめのひぼこ)は新羅の王子で、当地に須恵器を伝えたという。
日本書紀には、天日槍と鏡山、近江国の鏡村の陶人(すえびと)の話が出てくる。
鏡山周辺には須恵器の窯跡が多く、竜王町には「須恵」という地名が残っている。
※詳細は前回(あかねさす紫野1)をご覧下さい。


「道の駅竜王かがみの里」の駐車場の隣には、最澄が中興したという西光寺の跡がある。
室町時代の石灯籠(写真中央)と鎌倉時代の宝篋印塔が残っている。いずれも重要文化財。


西光寺跡の宝篋印塔。
二段の基壇の上に基礎を置き、基礎には向かい合う孔雀が彫られた格狭間がみられる。
高さは2.1mと大きい。塔身(ベージュ色の部分)の四隅にあるふくろうの彫刻が特徴だという。

そこ[鏡神社]から南側へ渡った松林の中に有名な鏡山の宝篋印塔が建っている。・・・
ふくろうを彫った塔身・・・が、閑散とした赤松林の中に突然、現れたときはびっくりした。
このような石塔はお寺の中に建っているより、自然の中で見る方が美しい。
それもなるべくなら思いがけなく出会った方がいい。-白洲正子『近江山河抄』「あかねさす 紫野」


西光寺跡の石灯籠と宝篋印塔。この奥はハイキングコースになっている。
案内板には、ここから30分程歩くと星ヶ崎古墳と星ヶ崎城跡があると出ていた。
星ヶ崎城は東山道と鏡宿を見渡せる場所にあることから、軍事上の要衝だったと考えられている。

星ヶ崎城は、鏡を本拠とした鏡氏(近江源氏佐々木氏の一族)の居城と伝わる城である。
その鏡氏が従ったのが、同じく佐々木氏の一族である六角氏だった。
六角氏といえば、鎌倉から戦国時代にかけて近江南部を拠点とした守護大名である。
六角氏は安土の観音寺城を居城とし、観音寺城には佐生(さそう)城などの支城があった。
星ヶ崎城は佐生城と建築上の特徴が似ていることから、六角氏に関連する城と考えられている。


この地図の左下↑にある「鏡山」(星ヶ崎城)からは、観音寺城まで望めるという。
観音寺城といえば、寺院(観音正寺)を山城の一部として利用した城だった。
鏡山北東端・星ヶ峰の山頂にある星ヶ崎城には、かつて山岳寺院があったといわれている。
星ヶ崎城と麓の西光寺の間にも、何か関連性があったのではと考えられているようだ。


「道の駅 竜王かがみの里」駐車場付近から見た、鏡山と西光寺跡(仁王堂)。
ドライブやハイキングの際にはぜひお立ち寄り下さい。

ご参考に:「あかねさす 紫野2」関連リンク集~2014年6月現在

竜王の遺跡(竜王町観光協会)
※古墳の解説と周辺地図です。

西光寺跡の宝篋印塔(滋賀県観光情報)
鏡山周辺の文化財(滋賀県教育委員会/PDF)
※解説と周辺地図です。

観光情報 歴史民俗博物館(野洲市)
※竜王町のお隣、野洲市の銅鐸博物館の情報です。

バス時刻表
【近江バス時刻表】野洲駅(美松台経由三井アウトレットパーク行き)
※道の駅へは「道の駅竜王かがみの里」で下車して下さい。(片道380円)

【近江バス時刻表】道の駅竜王かがみの里
※野洲駅行き・近江八幡駅行きの両方が止まります。
※三ッ山古墳群へは近江八幡駅行き又は三井アウトレットパーク行きで山面下車。(片道180円)
※鏡山登山にもどうぞ。周辺地図⇒鏡山周辺の文化財(滋賀県教育委員会/PDF)

【近江バス時刻表】山面(やまづら)
※野洲駅行き・近江八幡駅行きの両方が止まります。(近江八幡駅へは片道420円)


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