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2014年5月16日 (金)

滋賀の天然記念物・日野鎌掛のホンシャクナゲと熊野のヒダリマキガヤ/そして藤の寺(正法寺)、日野祭~滋賀県蒲生郡日野町


滋賀の堅田では、葵祭の前日に、琵琶湖の鮒と鮒寿司を京都に運ぶ祭事があります。
その「献撰供御人行列」の写真を掲載する前に・・・5月の滋賀の花咲く風景を掲載しますね。

今年は鎌掛(かいがけ)のホンシャクナゲが見事ですよーと聞いて、5月3日に伺ってきました。
近江鉄道・日野駅から臨時バス(※GW中のみ運行)に乗って、終点で下車。
林の中を15分ほど歩いていくと、神秘的な池の前に出ます。


左側の山中にホンシャクナゲ渓谷の入り口があり(写真)、さらに10分ほど歩くと・・・


視界がぱっと開けて、一面のホンシャクナゲの花が咲いていました。
鎌掛のホンシャクナゲは、低地に群生しているのが大変珍しく、天然記念物になっています。
水辺に近い場所、目の高さ、そして高いところまで、見事なホンシャクナゲでした。
見ごろは4月下旬から5月上旬まで。


▼滋賀のことを調べている方のアクセスが多いので、観光協会のHPへリンクしておきます。
※アクセスなど詳細はこちら⇒花の名所(日野町観光協会)
※臨時バスなどの情報が出るのはこちら⇒最新情報(日野町観光協会)


ちなみに日野町には、もうひとつ天然記念物があります。熊野のヒダリマキガヤです。
※こちらは2013年11月撮影。後日『近江山河抄の舞台を歩く』でご紹介する予定です。



鎌掛のホンシャクナゲ群落の手前には、藤の寺と呼ばれる正法寺があります。
正法寺前にバス停があったので、この機会に立ち寄ってみました。
こちらでも地元の方が道案内に出ておられて、とても良くしていただきました。


正法寺境内には、樹齢300年以上(!)の見事な藤があります。


こちらの見ごろは5月中旬まで。
※5/12(月)に満開を迎えたそうです⇒開花情報(日野町観光協会)


正法寺境内には、国の重要文化財になっている、鎌倉時代後期の石造宝塔があります。
白洲正子さんの『近江山河抄』には載っていないので、情報として追加しておきます。

歩けば歩くほど深くなる近江。
きちんと知られていないのは本当にもったいないと思い、網羅的な撮影を続けてきました。
『近江山河抄の舞台を歩く』は、おかげさまでたくさんのアクセスやご感想を頂いています。
いつか何かの形でまとめることができればと考えています。




ところで5月3日といえば、日野祭本祭の日でした。
日野祭は馬見岡綿向神社の春の例祭で、800年以上の歴史があります。
湖東(琵琶湖の東側の地域)最大の春祭りで、滋賀県内屈指の曳山祭です。


日野町観光協会から頂いた資料によれば、今年(2014年)は13基の曳山が巡行しました。
日野高校前でバスを降りて、馬見岡綿向神社(まみおか わたむき じんじゃ)へと歩きます。
ちなみに歩くと2km弱ですが、歩くといつも長く感じる道です。


綿向神社の参道に着くと、ちょうど神輿がやってきました。


綿向神社境内には、すでに曳山が集結していました。
写真の「蒲生氏郷公」は、中世にこの地を支配した蒲生(がもう)家のお殿様です。
中世の綿向神社は蒲生家の氏神として庇護されてきました。

蒲生氏郷は早くから織田信長に見込まれた武将で、信長の娘の冬姫と結婚しています。
信長亡き後は秀吉に仕え、東北(伊達政宗)の押さえとして会津の黒川城主となりました。
ちなみに黒川城とは、会津若松城のことです。
氏郷は、綿向神社の参道周辺にあった「若松の杜」にちなんで、黒川を「若松」と改めました。
そうです、皆さんご存知の会津若松は、近江に大変ゆかりが深い場所でした。
この話はまた改めて『近江山河抄の舞台を歩く』の中でご紹介しますね。


日野祭では、曳山に流行を採り入れた「だし」と呼ばれる人形を飾るのが特徴です。
曳山は町ごとに出るので、「だし」もどれひとつ同じものはありません。
今年の大河ドラマにちなんで、軍師官兵衛の曳山もありました!


12時半過ぎ、綿向神社拝殿を神輿が出発していく様子を撮影することができました。







神輿に引き続き、お旅所に向けて一行が綿向神社を出発していきました。


日野の町には、日野祭を見るための独特の切り窓「桟敷窓」が見られます。
この日のために板壁に穴を開けて、一年に一度、祭りを見物します。

滋賀の日野は近江商人で栄えた町で、江戸時代には関東を中心に全国で活躍しました。
近江商人の町といえば五個荘や近江八幡が知られていますが、桟敷窓があるのは日野だけ。
そして日野祭の曳山は、日野商人の寄付により江戸時代に製作されています。
ちなみに日野祭のお囃子は関東が源流と考えられているそうです。


古道具屋さんの前で。おそろいの法被姿がいいですね!


こちらは日野椀を売るお店の前で。店の前には藤の花が咲いていました。
江戸時代に日野商人が関東で商いができたのは、この日野椀が大ヒットしたからです。
※日野については後日『近江山河抄の舞台を歩く』「あかねさす 紫野」でご紹介する予定です。

<日野と蒲生野>
滋賀県の蒲生野(がもうの)と呼ばれるエリアを、昨秋から撮影しています。
現在の東近江市(旧・八日市市)を中心に、北は安土から南は水口のあたりまで、
西は鏡山(注:竜王町と野洲市の境)から日野のはずれに及
ぶ広い地域です。
(引用は白洲正子さんの『近江山河抄』「あかねさす 紫野」による。)

「茜さす紫野行き標野(しめの)行き野守は見ずや君が袖ふる」(額田王)
「紫草(むらさき)のにほへる妹(いも)を憎くあらば人妻故にわれ恋ひめやも」(大海人皇子)
万葉集でおなじみのこの歌が詠まれた「紫野」は蒲生野のどこかにあったといわれています。
はっきりしているのは、天智天皇が薬草園を置いた場所だったということです。

「蒲生郡」日野町には何度か寄せて頂き、綿向山のふもとの熊野地区も撮影してきました。
ちなみに、熊野は最初でご紹介したヒダリマキガヤの木がある所です。
そして馬見岡綿向神社の馬見岡(うまみおか)は、朝廷の牧場があったことの名残だそうです。
『日本書紀』には天智天皇が日野に行幸したという記述があり、興味深いです。



<話は堅田に戻ります・・・>
そして近江商人といえば・・・堅田の献撰供御人行列のときに興味深い話を聞きました。
堅田には、近江八幡より前の年代に近江商人が居て、陸奥へ出かけた記録があるそうです。
これが史実ならば「堅田は近江商人発祥の地だった」ことになります・・・(!!)
撮影先で地元の年配の方とお話していると、こういった話が出てくることがあります。

堅田は比叡山による焼き討ちで町が焼けてしまっていて、古い家屋が残っていません。
そのため、堅田と近江商人を結びつけて考えることはあまりなかったのでしょうが・・・
私が思い出したのは、堅田の献撰供御人行列の由来である「御厨」のことでした。

「御厨」(みくりや)とは、天皇、摂関、神社などに魚介類を納める荘園(所領)のことです。
ちなみに堅田の神田神社は、平安時代に京都の下鴨神社の御厨となりました。
そして、御厨で活動した人たちのことを「供御人」(くごにん)と呼びました。

御厨については、大津市歴史博物館の古文書講座で興味深い話を聞いています。
同じ大津の粟津(あわづ・現在の滋賀県大津市晴嵐付近)にも御厨が置かれていました。
この「粟津供御人」が16世紀に京都の醍醐で塩を売って、京の商人と訴訟になったという話です。

「大津」で「魚介類」を扱う供御人が、「京都」で「塩」も商っていた。
彼らは大変商売上手だったようで、京都でよく訴訟を起こされていたようです。
ということは、堅田の供御人も外で手広く商売をしていた可能性は十分考えられることです。

ちなみにこの話は、粟津御厨を束ねていた山科言継という公家の日記の中に出てきます。
(出典:『言継卿記』天文十九年閏五月一九日条(続群書類従完成会))


中世の堅田には湖上関が置かれ、琵琶湖の湖上水運の中心的な町として栄えました。
湖上水運のネットワークで、美濃や信州、全国各地から人も物も集まってきました。
若狭(福井)から大陸のものや海産物が入ってきて、京都にも近い場所です。

戦国時代には、宣教師ルイス・フロイスによって「甚だ富裕なる町」と評された堅田。
堅田衆(堅田湖族)によって、大阪の堺のような自治都市を築いたといわれています。
その堅田の商人が、早い時期に陸奥へ出かけていてもおかしくないですよね。

こういう話を丁寧に掘り起こして、地元の皆さんと何かに繋げて行けたらいいなと思っています。
というわけで、次回は、堅田の「献撰供御人行列」の話につながる(はず)と思いつつ。
次回更新まで日が空いてしまったときはすみませんm(_ _)m


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