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2014年5月

2014年5月24日 (土)

【京都・祇園祭】山鉾巡行の曳き手ボランティア募集のお知らせ(申込締切:2014/5/30・募集対象:18歳~40歳の男性)

 


本日たまたま知った情報で、申込締め切りが近いのですが、
祇園祭での山鉾巡行の曳き手ボランティア募集のお知らせです。
京都の祭りに参加したい皆様のご参考になれば幸いです。

巡行日時:2014年7月17日(水)または24日(木)のいずれか
(集合:午前7時、解散:午後4時)

申し込み資格:18歳~40歳の男性。
※事前にオリエンテーション(6月29日午後1時受付開始・京都市内)に必ず参加できる方。
※写真を祇園祭ボランティア21のホームページ等で掲載されることを了解していただける方。

受付期間:2014年5月15日(木)~5月30日(金)
申し込み方法:往復はがきまたはインターネット
主催:<京都・祇園祭ボランティア21>
※受付期間を過ぎた場合は応募できません。応募者多数の場合は抽選となります。

▼詳細はこちらをご覧下さい。(リンク先から申し込めます)
http://www.gionmatsuri.jp/volunteer/hikite/index.html


 

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【葵祭前儀「献撰供御人行列」の写真】 京都・下鴨神社巡行編(2014/5/14) #kyoto #japan #festival #photo

 



雅楽の調べに乗せて、葵祭前儀「献撰供御人行列」、下鴨神社巡行スタートです。


葵祭の前日にあたる5月14日。
琵琶湖畔の本堅田から、京都の下鴨神社へ、鮒と鮒寿司を献上する祭事が行われています。
1090年(平安時代)、本堅田の神田神社は下鴨神社の御厨(みくりや)となりました。
下鴨神社の庇護の下、中世の堅田は琵琶湖最大の自治都市を築いたと伝えられています。

この歴史を現代にも伝えようと、1990年から献饌供御人行列が行われています。
(※堅田町内だけでなく下鴨神社へも巡行する現在のスタイルは1994年からです。)


神田神社の紋には、下鴨神社と同じカモアオイの紋が使われています。
中世の琵琶湖では、このカモアオイの紋は特別な意味を持っていました。

当時の琵琶湖のルールでは、船は出港したのと同じ港に帰ってこなければなりませんでした。
しかし下鴨神社は、堅田の漁民・船主にどの港に停泊してもいいという特権を与えました。
カモアオイの紋の旗をつけた船は、堅田の者が乗るのと同じ扱いがなされるようになります。
堅田は湖上関を置いて上乗料(手数料)を徴収することで、経済的・交通的特権を確立。
大阪の堺のような自治都市を築いたと言われています。


行列が糺の森(ただすのもり)の中に入りました。


下鴨神社関係者の出迎えを受け、鳥居をくぐります。行列のクライマックスです。






楼門の下をくぐり、下鴨神社本殿へと向かいます。
楼門右側の柱に「式年遷宮」とある通り、下鴨神社は平成27年(2015年)に式年遷宮を迎えます。


舞殿の前を通ります。着物の色目がそろっていて綺麗ですね。


下鴨神社本殿へと向かいます。


本殿に到着。神事の前の緊張した表情です。



続いて神事の前後の様子を掲載します。



本殿にて神事が続きます。


本殿には葵祭と同じ飾り付けがされていました。カモアオイの紋がキュートです。


今年も無事に堅田から鮒と鮒寿司を奉納することができました。
参加者の皆さん、お疲れさまでした!
※記念写真は例年通り湖族の郷事務局にお渡ししますので、事務局までお問い合わせ下さい。


 


最後に堅田関連のお知らせです。

※今回の行列の模様は、NHK BSプレミアムの番組「新日本風土記」で7月放送予定です。
「鮒寿司」に関する放送の一環として堅田(本堅田)が登場します。お楽しみに!

(追記)「新日本風土記」放送日のお知らせ
テーマ「寿司」(仰木の棚田・堅田・献撰供御人行列が登場する予定です)
放送日 2014年7月4日(金)午後9時
再放送 7月9日(水)午後8時
再放送 7月12日(土)午後6時
http://www.nhk.or.jp/fudoki/upcoming.html

※昨年5月にエキストラ募集のお知らせをした映画「幕末高校生」が公開されます。
ロケ地に大津市内各所が登場します。昨年春には琵琶湖岸(本堅田)でロケが行われました。
公開日は2014年7月26日。主演は石原さとみさん、玉木宏さんです。
予告編はこちら⇒http://youtu.be/1MmInOPqoOY


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In the second half in the 11th century (Heian era last years) ,Katata was a territory in Shimogamo
Shrine in Kyoto, and "Mikuriya" was put under Kanda Shrine, and the obligation to which an attendant
table to Kamonoyashiro and seafood for an attendant festival are presented was carried.
As the reward, Katata got every rights and interests from fishery or the service of Lake Biwa
and built the greatest town around Lake Biwa in the Middle Ages.Every year, "Kensen Kugonin Gyoretsu"
procession which leaves the Kanda Shrine and sends crucian carps to Shimogamo Shrine is performed
gracefully with the traditional ritual on May 14,the day before Aoi Festival of Kyoto.


 

(2015/1/10追記)
新聞コラムが当ブログの文章を「引用」したのでは?と指摘されている件について~新聞社に申し入れを行いました

新聞社に類似箇所の具体的な指摘を行ったため、しばらくブログの現状(表現)を変更できませんでした。
2015年を迎えたのを機に、ブログ、YouTube(文章)とも該当箇所を訂正させていただきました。


訂正箇所は献饌供御人行列の開始年度です。

× この歴史を現代にも伝えようと、1994年から献饌供御人行列が行われています。

○ この歴史を現代にも伝えようと、1990年から献饌供御人行列が行われています。
(※堅田町内だけでなく下鴨神社へも巡行する現在のスタイルは1994年からです。)

なお訂正を行った記事は以下のとおりです。
(1)2009/5/20  臨時増刊号・献饌供御人行列の動画(2009年5月14日(木)撮影)
(2)2010/4/17  献饌供御人行列(01) 神事の日の朝、神田神社 ~Honkatata/本堅田 253
(3)2010/4/30  献饌供御人行列(14) カモアオイ(双葉葵、賀茂葵)の御神紋を掲げて ~Honkatata/本堅田 282-283
(4)2013/5/17   【葵祭前儀「献撰供御人行列」の写真】 滋賀・堅田町内巡行編(2013年5月14日撮影) #shiga #otsu #japan #photo
(5)2014/5/22   【葵祭前儀「献撰供御人行列」の写真】 滋賀・堅田町内巡行編(2014/5/14) #katata #shiga #japan #festival #photo
(6)2014/5/24   【葵祭前儀「献撰供御人行列」の写真】 京都・下鴨神社巡行編(2014/5/14) #kyoto #japan #festival #photo
(7)YouTube(動画の解説文):献撰供御人行列 2009年5月14日(木)
(追記ここまで)


 

 

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2014年5月22日 (木)

【葵祭前儀「献撰供御人行列」の写真】 滋賀・堅田町内巡行編(2014/5/14) #katata #shiga #japan #festival #photo

 



葵祭の前日にあたる5月14日。
琵琶湖畔の本堅田から、京都の下鴨神社へ、鮒と鮒寿司を献上する祭事が行われています。
葵祭の公式関連行事の一つになっている「献撰供御人行列」です。
2009年以降、堅田から同行して撮影させていただき、今回で6年目となりました。
本堅田の美しい町並みとともにお楽しみいただければ幸いです。

1090年(平安時代)、本堅田の神田神社は下鴨神社の御厨(みくりや)となりました。
堅田は「御膳料」としての鮮魚を進上する代わりに国司によって所役を免除されました。
下鴨神社の庇護の下、中世の堅田は琵琶湖最大の自治都市を築いたと伝えられています。

この歴史を現代にも伝えようと、1990年から献饌供御人行列が行われています。
(※堅田町内だけでなく下鴨神社へも巡行する現在のスタイルは1994年からです。)


神田神社の紋には、下鴨神社と同じカモアオイの紋が使われています。
中世の琵琶湖では、このカモアオイの紋は特別な意味を持っていました。

堅田が下鴨神社の御厨となった当時、琵琶湖にはあるルールがありました。
出港した船は同じ港に帰ってこなければならなかったのです。
下鴨神社は、堅田の漁民・船主にどこに停泊してもいいという特権(通行権)を与えました。
カモアオイの紋の旗をつけた船は、堅田の者が乗るのと同じ扱いがなされるようになります。
堅田は湖上関を置いて上乗料(手数料)を徴収することで、経済的・交通的特権を確立。
大阪の堺のような自治都市を築いたと言われています。


朝8時過ぎ、神田神社を出発。鮒と鮒寿司をお払いするために伊豆神社へと向かいます。


神田神社と伊豆神社の氏子の皆さんに続いて、町人姿の皆さんが行きます。
どなたでも参加できますので、ご関心のある方はぜひどうぞ!
2014年度のチラシはこちら(※連絡先や申込締切は毎年同じです)


土壁の蔵のある界隈を行きます。


今年はNHKの取材を受けました。機材を担いでカメラマンさんも走ります。


伊豆神社の参道にて(浮御堂のすぐそばです)。一行と、NHK取材班の皆さんと。


伊豆神社では氏子の皆さんが待っていました。


伊豆神社での神事の様子です。鮒の入った木箱もお払いを受けます。


伊豆神社を後にする一行。この後、行列は本堅田1丁目を巡行します。


本堅田1丁目の郵便局前にて。浮御堂のすぐそばです。


伊豆神社脇の白壁の蔵のある界隈を行きます。


こちらは鮒寿司の入った木箱です。右の角を曲がれば港橋です。


堅田港近くの港橋にて。
下を流れているのは、江戸時代に堅田城(堅田陣屋)の掘割として使われていた水路です。


ところで、なぜ鮒なのか?以前、琵琶湖博物館の学芸員の方から伺ったことがあります。
琵琶湖といえば堅田、堅田と言えば鮒というくらい、有名なものだったそうです。
鮒は繁栄する堅田の象徴であり、献上品としても特別な意味を持っていました。


堅田に多いのが、お地蔵さんと地蔵堂です。
堅田はもともと琵琶湖の内湖(ないこ・琵琶湖と水路で繋がった水域)が広がっていた地域です。
江戸時代の古絵図を見ると、現在住宅地になっている場所が内湖の一部だったりします。
地蔵は堅田内湖の畔に守り神として置かれた名残ではないかと考える研究者の方もいます。
この話はいずれまた。


木箱が重たいので担ぎ直しです。担いでいる方に聞くと、かなり肩にずっしりくるそうです。


別の地蔵堂前で。ツタの緑が映えます。


角を曲がり、浮御堂の方向へ。妙盛寺のそばにある燃料店さんの前にて。


浮御堂に続く、大道町と呼ばれる界隈です。
「本堅田の町並み」として知られる通りで、生活の中に町屋が残っています。


こちらも本堅田の町並み(大道町の町屋)です。
湖族の郷資料館前から貸切バスに乗り、大原・八瀬を経由して下鴨神社へ向かいます。


約1時間後・・・京都の下鴨神社(賀茂御祖神社)に近い場所にて。


下鴨神社の神職の皆さんがお待ちでした。


茶色の着物の3人は雅楽を演奏する方々です。
この続きは次回、「京都・下鴨神社巡行編」で掲載します。

※今回のNHKの取材は「鮒寿司」に関する取材の一環と伺っています。
NHK BSプレミアムの番組「新日本風土記」で7月放送予定です。お楽しみに!

(追記)「新日本風土記」放送日のお知らせ
テーマ「寿司」(仰木の棚田・堅田・献撰供御人行列が登場する予定です)
放送日 2014年7月4日(金)午後9時
再放送 7月9日(水)午後8時
再放送 7月12日(土)午後6時
http://www.nhk.or.jp/fudoki/upcoming.html


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In the second half in the 11th century (Heian era last years) ,Katata was a territory in Shimogamo
Shrine in Kyoto, and "Mikuriya" was put under Kanda Shrine, and the obligation to which an attendant
table to Kamonoyashiro and seafood for an attendant festival are presented was carried.
As the reward, Katata got every rights and interests from fishery or the service of Lake Biwa
and built the greatest town around Lake Biwa in the Middle Ages.Every year, "Kensen Kugonin Gyoretsu"
procession which leaves the Kanda Shrine and sends crucian carps to Shimogamo Shrine is performed
gracefully with the traditional ritual on May 14,the day before Aoi Festival of Kyoto.


 

(2015/1/10追記)
新聞コラムが当ブログの文章を「引用」したのでは?と指摘されている件について~新聞社に申し入れを行いました

新聞社に類似箇所の具体的な指摘を行ったため、しばらくブログの現状(表現)を変更できませんでした。
2015年を迎えたのを機に、ブログ、YouTube(文章)とも該当箇所を訂正させていただきました。


訂正箇所は献饌供御人行列の開始年度です。

× この歴史を現代にも伝えようと、1994年から献饌供御人行列が行われています。

○ この歴史を現代にも伝えようと、1990年から献饌供御人行列が行われています。
(※堅田町内だけでなく下鴨神社へも巡行する現在のスタイルは1994年からです。)

なお訂正を行った記事は以下のとおりです。
(1)2009/5/20  臨時増刊号・献饌供御人行列の動画(2009年5月14日(木)撮影)
(2)2010/4/17  献饌供御人行列(01) 神事の日の朝、神田神社 ~Honkatata/本堅田 253
(3)2010/4/30  献饌供御人行列(14) カモアオイ(双葉葵、賀茂葵)の御神紋を掲げて ~Honkatata/本堅田 282-283
(4)2013/5/17   【葵祭前儀「献撰供御人行列」の写真】 滋賀・堅田町内巡行編(2013年5月14日撮影) #shiga #otsu #japan #photo
(5)2014/5/22   【葵祭前儀「献撰供御人行列」の写真】 滋賀・堅田町内巡行編(2014/5/14) #katata #shiga #japan #festival #photo
(6)2014/5/24   【葵祭前儀「献撰供御人行列」の写真】 京都・下鴨神社巡行編(2014/5/14) #kyoto #japan #festival #photo
(7)YouTube(動画の解説文):献撰供御人行列 2009年5月14日(木)
(追記ここまで)


 

 

 

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2014年5月16日 (金)

滋賀の天然記念物・日野鎌掛のホンシャクナゲと熊野のヒダリマキガヤ/そして藤の寺(正法寺)、日野祭~滋賀県蒲生郡日野町

 



滋賀の堅田では、葵祭の前日に、琵琶湖の鮒と鮒寿司を京都に運ぶ祭事があります。
その「献撰供御人行列」の写真を掲載する前に・・・5月の滋賀の花咲く風景を掲載しますね。

今年は鎌掛(かいがけ)のホンシャクナゲが見事ですよーと聞いて、5月3日に伺ってきました。
近江鉄道・日野駅から臨時バス(※GW中のみ運行)に乗って、終点で下車。
林の中を15分ほど歩いていくと、神秘的な池の前に出ます。


左側の山中にホンシャクナゲ渓谷の入り口があり(写真)、さらに10分ほど歩くと・・・


視界がぱっと開けて、一面のホンシャクナゲの花が咲いていました。
鎌掛のホンシャクナゲは、低地に群生しているのが大変珍しく、天然記念物になっています。
水辺に近い場所、目の高さ、そして高いところまで、見事なホンシャクナゲでした。
見ごろは4月下旬から5月上旬まで。


▼滋賀のことを調べている方のアクセスが多いので、観光協会のHPへリンクしておきます。
※アクセスなど詳細はこちら⇒花の名所(日野町観光協会)
※臨時バスなどの情報が出るのはこちら⇒最新情報(日野町観光協会)


ちなみに日野町には、もうひとつ天然記念物があります。熊野のヒダリマキガヤです。
※こちらは2013年11月撮影。後日『近江山河抄の舞台を歩く』でご紹介する予定です。



鎌掛のホンシャクナゲ群落の手前には、藤の寺と呼ばれる正法寺があります。
正法寺前にバス停があったので、この機会に立ち寄ってみました。
こちらでも地元の方が道案内に出ておられて、とても良くしていただきました。


正法寺境内には、樹齢300年以上(!)の見事な藤があります。


こちらの見ごろは5月中旬まで。
※5/12(月)に満開を迎えたそうです⇒開花情報(日野町観光協会)


正法寺境内には、国の重要文化財になっている、鎌倉時代後期の石造宝塔があります。
白洲正子さんの『近江山河抄』には載っていないので、情報として追加しておきます。

歩けば歩くほど深くなる近江。
きちんと知られていないのは本当にもったいないと思い、網羅的な撮影を続けてきました。
『近江山河抄の舞台を歩く』は、おかげさまでたくさんのアクセスやご感想を頂いています。
いつか何かの形でまとめることができればと考えています。




ところで5月3日といえば、日野祭本祭の日でした。
日野祭は馬見岡綿向神社の春の例祭で、800年以上の歴史があります。
湖東(琵琶湖の東側の地域)最大の春祭りで、滋賀県内屈指の曳山祭です。


日野町観光協会から頂いた資料によれば、今年(2014年)は13基の曳山が巡行しました。
日野高校前でバスを降りて、馬見岡綿向神社(まみおか わたむき じんじゃ)へと歩きます。
ちなみに歩くと2km弱ですが、歩くといつも長く感じる道です。


綿向神社の参道に着くと、ちょうど神輿がやってきました。


綿向神社境内には、すでに曳山が集結していました。
写真の「蒲生氏郷公」は、中世にこの地を支配した蒲生(がもう)家のお殿様です。
中世の綿向神社は蒲生家の氏神として庇護されてきました。

蒲生氏郷は早くから織田信長に見込まれた武将で、信長の娘の冬姫と結婚しています。
信長亡き後は秀吉に仕え、東北(伊達政宗)の押さえとして会津の黒川城主となりました。
ちなみに黒川城とは、会津若松城のことです。
氏郷は、綿向神社の参道周辺にあった「若松の杜」にちなんで、黒川を「若松」と改めました。
そうです、皆さんご存知の会津若松は、近江に大変ゆかりが深い場所でした。
この話はまた改めて『近江山河抄の舞台を歩く』の中でご紹介しますね。


日野祭では、曳山に流行を採り入れた「だし」と呼ばれる人形を飾るのが特徴です。
曳山は町ごとに出るので、「だし」もどれひとつ同じものはありません。
今年の大河ドラマにちなんで、軍師官兵衛の曳山もありました!


12時半過ぎ、綿向神社拝殿を神輿が出発していく様子を撮影することができました。







神輿に引き続き、お旅所に向けて一行が綿向神社を出発していきました。


日野の町には、日野祭を見るための独特の切り窓「桟敷窓」が見られます。
この日のために板壁に穴を開けて、一年に一度、祭りを見物します。

滋賀の日野は近江商人で栄えた町で、江戸時代には関東を中心に全国で活躍しました。
近江商人の町といえば五個荘や近江八幡が知られていますが、桟敷窓があるのは日野だけ。
そして日野祭の曳山は、日野商人の寄付により江戸時代に製作されています。
ちなみに日野祭のお囃子は関東が源流と考えられているそうです。


古道具屋さんの前で。おそろいの法被姿がいいですね!


こちらは日野椀を売るお店の前で。店の前には藤の花が咲いていました。
江戸時代に日野商人が関東で商いができたのは、この日野椀が大ヒットしたからです。
※日野については後日『近江山河抄の舞台を歩く』「あかねさす 紫野」でご紹介する予定です。

<日野と蒲生野>
滋賀県の蒲生野(がもうの)と呼ばれるエリアを、昨秋から撮影しています。
現在の東近江市(旧・八日市市)を中心に、北は安土から南は水口のあたりまで、
西は鏡山(注:竜王町と野洲市の境)から日野のはずれに及
ぶ広い地域です。
(引用は白洲正子さんの『近江山河抄』「あかねさす 紫野」による。)

「茜さす紫野行き標野(しめの)行き野守は見ずや君が袖ふる」(額田王)
「紫草(むらさき)のにほへる妹(いも)を憎くあらば人妻故にわれ恋ひめやも」(大海人皇子)
万葉集でおなじみのこの歌が詠まれた「紫野」は蒲生野のどこかにあったといわれています。
はっきりしているのは、天智天皇が薬草園を置いた場所だったということです。

「蒲生郡」日野町には何度か寄せて頂き、綿向山のふもとの熊野地区も撮影してきました。
ちなみに、熊野は最初でご紹介したヒダリマキガヤの木がある所です。
そして馬見岡綿向神社の馬見岡(うまみおか)は、朝廷の牧場があったことの名残だそうです。
『日本書紀』には天智天皇が日野に行幸したという記述があり、興味深いです。



<話は堅田に戻ります・・・>
そして近江商人といえば・・・堅田の献撰供御人行列のときに興味深い話を聞きました。
堅田には、近江八幡より前の年代に近江商人が居て、陸奥へ出かけた記録があるそうです。
これが史実ならば「堅田は近江商人発祥の地だった」ことになります・・・(!!)
撮影先で地元の年配の方とお話していると、こういった話が出てくることがあります。

堅田は比叡山による焼き討ちで町が焼けてしまっていて、古い家屋が残っていません。
そのため、堅田と近江商人を結びつけて考えることはあまりなかったのでしょうが・・・
私が思い出したのは、堅田の献撰供御人行列の由来である「御厨」のことでした。

「御厨」(みくりや)とは、天皇、摂関、神社などに魚介類を納める荘園(所領)のことです。
ちなみに堅田の神田神社は、平安時代に京都の下鴨神社の御厨となりました。
そして、御厨で活動した人たちのことを「供御人」(くごにん)と呼びました。

御厨については、大津市歴史博物館の古文書講座で興味深い話を聞いています。
同じ大津の粟津(あわづ・現在の滋賀県大津市晴嵐付近)にも御厨が置かれていました。
この「粟津供御人」が16世紀に京都の醍醐で塩を売って、京の商人と訴訟になったという話です。

「大津」で「魚介類」を扱う供御人が、「京都」で「塩」も商っていた。
彼らは大変商売上手だったようで、京都でよく訴訟を起こされていたようです。
ということは、堅田の供御人も外で手広く商売をしていた可能性は十分考えられることです。

ちなみにこの話は、粟津御厨を束ねていた山科言継という公家の日記の中に出てきます。
(出典:『言継卿記』天文十九年閏五月一九日条(続群書類従完成会))


中世の堅田には湖上関が置かれ、琵琶湖の湖上水運の中心的な町として栄えました。
湖上水運のネットワークで、美濃や信州、全国各地から人も物も集まってきました。
若狭(福井)から大陸のものや海産物が入ってきて、京都にも近い場所です。

戦国時代には、宣教師ルイス・フロイスによって「甚だ富裕なる町」と評された堅田。
堅田衆(堅田湖族)によって、大阪の堺のような自治都市を築いたといわれています。
その堅田の商人が、早い時期に陸奥へ出かけていてもおかしくないですよね。

こういう話を丁寧に掘り起こして、地元の皆さんと何かに繋げて行けたらいいなと思っています。
というわけで、次回は、堅田の「献撰供御人行列」の話につながる(はず)と思いつつ。
次回更新まで日が空いてしまったときはすみませんm(_ _)m


 

 

 

 

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2014年5月 7日 (水)

【葵祭前儀「献撰供御人行列」2014年度参加者募集】葵祭前日(5/14)、滋賀堅田から京都下鴨神社へ、琵琶湖の鮒を納めに行く行事です。(写真ブログKatata/堅田より) #shiga #otsu #photo

 

◆献饌供御人行列(けんせん くごにん ぎょうれつ)とは・・・
葵祭の前日(5月14日)、琵琶湖畔の町・本堅田から、京都の下鴨神社へ、
鮒(ふな)と鮒寿司を献上する祭儀です。

近年は”葵祭「前儀」”として、葵祭の公式行事になっています。
詳細は、YouTube動画のiボタン(画面の一番右)をクリックして下さい。解説が出ます。↓


◆どなたでも参加できます。参加費は無料です。
衣装準備の都合上、前日までに湖族の郷資料館までご連絡ください。
お問い合わせ・参加申し込み:湖族の郷資料館(電話077-574-1685)

▼昨年度までの様子はバックナンバーをご覧下さい。
献饌供御人行列&葵祭/festival at Katata and Kyoto

◆5月14日の日程
1.堅田町内巡行:午前8時から9時
神田神社→旧西浦の小路→伊豆神社→港橋→本町商店街通り→出町通り→みくりや参道→湖族の郷資料館(バスにて下鴨神社へ)
2.下鴨神社糺の森参道巡行:午前10時から11時

(ポスター提供:堅田湖族の郷事務局様)
Kugonin2014


 

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2014年5月 5日 (月)

桜の頃、京都(3) 祇園白川から清水寺へ歩く、清閑寺と高倉天皇陵、毘沙門堂と山科疏水

 



京都撮影3日目(最終日)は、早朝の祇園白川から始まりました。
写真は、柳の新緑が美しい巽橋(たつみばし)です。
京都市営地下鉄・三条京阪駅を降りて南へ10分ほど歩くと巽橋に到着します。


路地から見た巽橋です。
花見小路通を東へ抜けて、朝の祇園を歩いてみることにしました。少しどきどきします。


辰巳大明神・巽橋⇒花見小路通を南へ⇒四条通を渡って⇒弥栄会館・建仁寺の方向へ直進します。


祇園の静かな朝。お茶屋さんや京料理の店が立ち並びます。
この少し前まで、板前さんらしい男性がお店の前で水を撒いていました。


都をどり会場に近い「弥栄会館」の前を通り過ぎると・・・突き当たりに建仁寺があります。


建仁寺は京都最古の禅寺で、日本に臨済宗を伝えた栄西によって開山されました。
今年(2014年)は栄西の没後800年にあたるので、様々な記念行事が開かれるそうです。
建仁寺の角は坂道になっていて、10分ほど歩いていくと東山安井の交差点に出ます。
周辺は狭い路地で、宅配便のドライバーさんがカートを押して荷物を運ぶ姿を見かけました。


雰囲気のある坂道に入ると、法観寺の五重塔(通称八坂の塔)が姿を現しました。
このあたりは清水寺の近くなので、そのまま歩いていってみますね。


出勤途中らしい男性が、子どもさんをだっこして坂を上っていきます。
なんだかほほえましい光景と五重塔。古都・京都ならではの朝の風景です。


法観寺は臨済宗建仁寺派の寺院で、聖徳太子が開いたと伝えられている古刹です。
普段は閉まっていますが、時期によっては拝観できるようです。
ちなみに、この近くの高台寺も、法観寺と同じく建仁寺の末寺です。


趣のある民家や店が立ち並ぶ坂道を、清水寺の方向へ登っていきます。ほぼ一本道です。


振り返ると、法観寺の五重塔(八坂の塔)。


二年坂と合流したので、しばし寄り道。


二年坂。和傘と店の佇まいがいいですね。
二年坂・三年坂を少し行くと松原通に合流します。大勢の観光客の中を歩き、清水寺到着です。
松原通から清水寺界隈も「中国語、日本語、ときどき英語」の聞こえてくる別世界でした。


清水寺の境内にあるのが、縁結びで有名な「地主神社」(じしゅじんじゃ)。


境内には2つの「恋占いの石」があって、修学旅行生に大人気でした。
目を閉じて2つの石の間を歩き、他方にたどりつければ恋が叶うと伝わる石です。
男子の学生さんが一生懸命挑戦している姿は、スイカ割りのときみたいな微笑ましさでした。


清水の舞台と清水寺本堂。
前回掲載の醍醐寺・二条城と同様、「古都京都の文化財」として世界遺産になっています。


清水寺の子安塔。
清水の舞台に立つと正面に見える朱塗りの三重塔が、この子安塔です。
聖武天皇・光明皇后の祈願所と伝わっていますが、詳しい創建時期は不明だそうです。
現在の建物は明応9年(1500)のもので、2013年に修復が終わったばかりです。



子安塔の先に清閑寺という寺があると、看板が出ていました。せっかくなので行ってみます。


15-20分ほど山道を行くと、突然目の前に、六條天皇陵・高倉天皇陵が現れました。


そこはまるで、大津・逢坂越の蝉丸神社(上社)のような雰囲気でした。
高倉天皇陵の隣の高台に、ひっそりと建つ清閑寺。
眼下には山の間を縫うように、東山ドライブウェイと国道1号線が走ります。
京都市街が一望できる静かな境内には、小督局が愛したという桜の大木がありました。


私はそこで初めて小督局(こごうのつぼね)のことを知りました。
高倉天皇との間を裂かれた彼女は清閑寺に幽閉され、この地で亡くなりました。
高倉天皇といえば、後の安徳天皇の父。高倉天皇と小督の間を裂いたのは、平清盛。


清盛は、娘・徳子の入内に小督が邪魔になると考え、小督を無理やり出家させました(写真)。
胸を痛めた高倉天皇は、小督局のいる清閑寺に葬ってくれと言い残し21歳で亡くなります。
遺言は守られ、高倉天皇は清閑寺で葬儀・埋葬されました。
そして清閑寺の隣にある「高倉天皇後清閑寺陵」のそばに、小督局の墓塔があるそうです。

好きな人と引き裂かれた悲しみを思うと、なんだか涙が出てきました。
地主神社で会った学生さんのひたむきな恋が叶うように、願わずにはいられませんでした。


幕末には、清閑寺の茶室「郭公亭」は西郷隆盛と月照上人の密談場所となったといいます。
清水寺の住職だった月照上人は、尊皇攘夷派の僧侶で郭公亭に隠棲していました。
隆盛はしばしばここを訪ねて、王制復古の謀議を図ったと言われています。
清閑寺の鐘楼の上にあったという郭公亭ですが、腐食が激しくなり平成3年に解体されました。


清閑寺の要石(かなめいし)。
「願いあらば あゆみをはこべ 清閑寺 庭に誓いの 要石あり」(よみ人しらず)
古くからこの石に願いをたてると願いがかなうという信仰を持つ石です。
清水寺へ参拝の折は、ぜひ清閑寺にもお立ち寄りくださいませ。


清閑寺を後にして、バスで京都駅に戻り、今度は山科へと向かいます。


前回までの中で、琵琶湖疏水の大津側と京都側をご紹介してきました。
今回は山科(京都市山科区)の琵琶湖疏水をご紹介しますね。


毘沙門堂へ行く参道の途中に橋があって、琵琶湖疏水が流れています。
春は桜と菜の花がとてもきれいで、地元の方が手入れをされています。


疏水に沿って遊歩道が続き、緑地公園と小関越を経て、最後は大津へ抜けることができます。
(ちなみに大津の長等公園・長等神社・三井寺の近くへ出てきます。)
今度は小関越を歩いてみようと思っています。


山科の毘沙門堂。天台宗の門跡寺院で、春は桜、秋は紅葉の名所です。
境内のしだれ桜が有名ですが、駐車場の桜も見事です。


毘沙門堂と桜。長い歳月を経た大木が多いのが毘沙門堂の桜の特徴です。


毘沙門堂の帰り道で見つけた石柱にあった言葉。何度か来ていて初めて気がつきました。
平常心是道(びょうじょうしんぜどう)。仏教の言葉のようです。
普段の生活・ありのままを軽んじることなく、日常を大切に生きなさいということでしょうか。
意味はこちらのサイトが詳しいです。また勉強になりました。
撮影の道もまだまだ続きます・・・

<お知らせ>
ブログを通じて様々な方に御連絡頂き、地元の皆様、ご覧頂いている皆様には厚くお礼申し上げます。
このたび、写真エージェンシーのアマナイメージズと契約し、写真の一部を委託しております。

今回掲載している写真を中心に、後日、アマナイメージズにて掲載・販売予定です。
※現在サイトへの登録作業中で、掲載時期はアマナイメージズによります。ご了承下さい。
※詳細は後日、このブログとホームページでお知らせします。

これからもふるさとの美しい風景を撮影していきたいと思っております。
どうぞよろしくお願いいたします。

<追記・アマナイメージズでの取り扱いについて>
JUN KANEMATSU/SEBUN PHOTO /amanaimages
・5/15掲載開始⇒RM(ライツマネージド/作家番号02698)
・6/21掲載開始⇒RF(ロイヤリティフリー/作家番号10737)

<2014年春の桜シリーズ>

吉野山の桜(奈良)(2014年4月16日(水)撮影)

滋賀の桜(1) ひこにゃんと彦根城(2014年4月11日(金)撮影)
滋賀の桜(2) 海津大崎:琵琶湖畔の桜の並木道(2014年4月12日(土)撮影)


滋賀の桜(3) 近江八幡の水郷と、時代劇のロケ地・八幡堀(2014年4月11日(金)撮影)
滋賀の桜(4) 長浜曳山まつりと、長浜城・豊公園の桜(2014年4月15日(火)撮影)
滋賀の桜(5) 三井寺(園城寺)、琵琶湖疏水(鹿関橋)、石山寺と瀬田川(2014年4月3日(木)撮影)

桜の頃、京都(1) 蹴上インクライン、南禅寺、哲学の道、岡崎疏水、平安神宮、円山公園、嵐山、嵐電の桜の通り抜け(2014年4月7日(月)撮影)


桜の頃、京都(2) 醍醐寺、南禅寺、元離宮二条城(2014年4月8日(火)撮影)

桜の頃、京都(3) 祇園白川から清水寺へ歩く、清閑寺と高倉天皇陵、毘沙門堂と山科疏水(2014年4月9日(水)撮影)


 

 

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2014年5月 1日 (木)

桜の頃、京都(2) 醍醐寺、南禅寺、元離宮二条城

 



何の説明もないと唐突かな・・・と、もやもやして前文をつけました。

このブログは、滋賀県の地名(堅田)から名前をとったブログです。
掲載写真は3000枚近くになりますが、今でも堅田の写真が半数を占めています。
京都の写真は、堅田から下鴨神社へ鮒を納める神事くらいしか掲載してきませんでした。

どうして冒頭にこんなことを書くかというと、ほぼ堅田の写真ばかり載せていた頃に、
地元の年配の方に「やっぱり載せているのは堅田以外の写真が多いでしょ?」と聞かれて、
「やっぱり」とか「どうせ」という言葉がなんだか悲しくて、
逆に「そうか、堅田以外の写真を載せるのもOKなんだ!」と思って外に出てみたからです。

京都には華やかなものがたくさん残っていて、いろんな方が撮って発信もされている。
だから、私自身はあえて京都は撮ってきませんでした。
学生時代を滋賀と京都で過ごしたこともあって、どちらも身近な存在です。
今回仕事で京都を撮ることになって、あのときの会話を思い出していました。

その後撮影で訪ねた別の町で、「どうせ」を御自分の故郷に向ける人に会ったことがあります。
言葉の奥に感じたのは、故郷をありのまま認めたいのにできない悲しみのような葛藤でした。
深い愛情があるからこそ、人は葛藤するのだと感じました。
そして、その葛藤を受けて立つ存在の代表が、京都のように思いました。

関東から京都を憧れの目で見ている方には、なんだかややこしく見える感情かもしれません。
私もそういったところから少し離れたくて写真を撮っている部分がありました。

京都と滋賀の文化的な繋がりというのは、皆さんが思っている以上に深いものです。
たとえば、京扇子の骨の殆どは、滋賀県高島市安曇川町で作られています。
今回思い出したのは、その話―京扇子の成り立ち―でした。

そういったことが解って、なおかつ淡々と撮れたなら、もうそれでいいじゃないと思ったのです。
私はただ、ありのままの美しさを撮っていきたい。京都でもどこでもそれは変わりません。
というわけで今回は、4月上旬に3日連続で行った京都撮影の2日目の写真です。


京都の醍醐寺といえば、豊臣秀吉が開いた「醍醐の花見」で知られる場所です。
醍醐の花見は三宝院裏の山麓において催されたといいます。写真は三宝院唐門(国宝)です。
三宝院の建物内部と庭園は撮影禁止なので、金堂のある下醍醐を中心にご紹介します。


参道の桜並木は満開で、「醍醐の花見」気分を十分味わうことができました。
醍醐寺は「古都京都の文化財」(全17ヶ所)の一つとして、世界遺産に登録されています。


桜まつりのぼんぼりが立ち並ぶのは、醍醐寺の金堂周辺。
とても広い境内なので、下醍醐エリアと三宝院だけでも1-2時間かかります。
上醍醐エリアへは、山道を1時間歩く必要があるということで、また後日に。


醍醐寺はもともと、醍醐山頂上一帯(上醍醐)を中心に修験道の霊場として発展しました。
↑この写真は下醍醐にある不動堂です。


「醍醐の花見」の約5ヶ月後、秀吉は亡くなったといいます。
醍醐寺を訪ねた4月8日、清瀧宮の桜は散り際でした。
それでも、満開時を彷彿させる見事な存在感に、シャッターを切っていました。


この後は京都市営地下鉄に乗って、醍醐から蹴上(けあげ)へ移動。
前回ご紹介した「インクライン」のある公園の奥から、裏道を通って南禅寺へと向かいました。
水力発電所の脇に階段があって、水路に沿って山側へ道が続いています。
実はこの水路が、琵琶湖疏水の一部なのです。しかもここは南禅寺の境内です。
初めて見たときはさすがにびっくりしました。


この美しい水路は、南禅寺水路閣と呼ばれています。
琵琶湖疏水は明治時代に造られた水路で、琵琶湖(大津市)から京都市に水を引いています。
現在も、水道用水や水力発電、灌漑、工業用水などに使われています。


こちらは南禅寺の参道から見える水路閣。
歩いているのは外国からの観光客が多かったです。


水路閣の下を、子どものように覗いて見るのも楽しいです。(私だけかな?)


南禅寺三門と桜。
朝の三門は逆光になるので、昼過ぎに来て撮影しました。


この日最後に訪ねたのは「元離宮二条城」。こちらも世界遺産です。
京都市営地下鉄の二条城前駅で降りて地上に上がると、目の前に二条城があります。
こちらは欧米からの観光客が多かったです。城内アナウンスも英語と日本語でした。


二条城は京都市街の中にある平城で、最後は徳川氏の城でした。
家康が初めて秀頼に対面した場所であり、大政奉還が行われた場所でもあります。


二の丸御殿唐門。本当に見事な細工です。




敷地はかなり広く、お堀、庭園、城壁と見所はたくさん。
城内のところどころで、いろんな種類の桜に出会いました。


ちなみに二条城内にはソメイヨシノやヤマザクラなど約400本の桜があるそうです。
入り口(東大手門)で詳細な桜マップをいただきました。


二条城では現在、1603年の徳川家康による築城以来の大修理を行っています。
「1日城主」になると、非公開の場所も見学できるそうです。
平成の城持ち大名になってみたい方は、ぜひどうぞ。
世界遺産・二条城一口城主募金(京都市ホームページ)

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・6/21掲載開始⇒RF(ロイヤリティフリー/作家番号10737)

<2014年春の桜シリーズ・内容&次回予告>

吉野山の桜(奈良)(2014年4月16日(水)撮影)

滋賀の桜(1) ひこにゃんと彦根城(2014年4月11日(金)撮影)
滋賀の桜(2) 海津大崎:琵琶湖畔の桜の並木道(2014年4月12日(土)撮影)


滋賀の桜(3) 近江八幡の水郷と、時代劇のロケ地・八幡堀(2014年4月11日(金)撮影)
滋賀の桜(4) 長浜曳山まつりと、長浜城・豊公園の桜(2014年4月15日(火)撮影)


滋賀の桜(5) 三井寺(園城寺)、琵琶湖疏水(鹿関橋)、石山寺と瀬田川(2014年4月3日(木)撮影)

桜の頃、京都(1) 蹴上インクライン、南禅寺、哲学の道、岡崎疏水、平安神宮、円山公園、嵐山、嵐電の桜の通り抜け(2014年4月7日(月)撮影)
桜の頃、京都(2) 醍醐寺、南禅寺、元離宮二条城(2014年4月8日(火)撮影)
桜の頃、京都(3) 祇園白川、二年坂、清水寺、清閑寺、毘沙門堂、山科疏水(2014年4月9日(水)撮影)


 

 

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