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2014年3月13日 (木)

伊吹の荒ぶる神5(岐阜と滋賀の県境、伊吹山の麓を歩く~伊夫岐神社と息長陵、早春の三島池(滋賀県米原市伊吹・村居田・池下))~近江山河抄の舞台を歩く(63)


白洲正子さんの随筆『近江山河抄』の中に、「伊吹神社」が出てくる。
ところが、その場所がはっきりしなかった。手がかりは次の一文と「伊吹村」の記述のみ。

伊吹神社には、今でも伊吹氏という宮司がおられるが、麓の平野はかつて息長(おきなが)氏の所領で、姉川に面して大きな前方後円墳が立っている。-白洲正子『近江山河抄』「近江路」

「大きな前方後円墳」は、滋賀県米原市村居田にある息長陵をさしている。
ところが「伊吹神社」で検索すると、出てくるのは伊富岐神社(岐阜県不破郡垂井町)。
あるいは、伊吹神社 (滋賀県長浜市山階町)。だが、どちらも条件にあわないのだ。

改めて地図を見ると、姉川の畔を走る車道のそばに、伊夫岐神社という神社を見つけた。
場所は滋賀県米原市伊吹。伊吹山の麓の集落である(写真一枚目)。
湖北に撮影に出ると一日がかりになるので、息長陵と併せて伺う事になった。
姉川の畔にある伊夫岐神社を訪ねたのは、2月の終わりだった。(撮影日:2014年2月26日)


伊夫岐神社の裏に広がっていた風景。伊吹山、そして姉川発電所。
その日は気温が10度を超える温かい日で、全国でPM2.5が観測された日でもあった。
近江長岡駅から湖国バスに乗って、「伊吹診療所前」というバス停で降りる。
想像通りの静かなところだった。朝の9時前にここへ来る人は、さすがにいないだろう。
運転手さんには、本当にここでいいのか念を押された。(撮影です・・・)


伊夫岐神社へは、診療所前から坂道を下って姉川のほうへ20分程歩いた。
車の場合は、「伊吹の里・旬彩の森」(道の駅)に割合近い場所にある。


伊夫岐神社(いぶきじんじゃ)は、伊吹山を御神体とする神社である(滋賀県米原市伊吹)。
創祀年代は不明で、最初は伊吹山山頂にあったといわれている。
参道入口には「式内郷社伊夫岐神社」と刻まれた石柱が建っていた。


伊夫岐神社の鳥居。入ってすぐ本殿がある。

伊吹は、伊夫岐、伊夫気、伊福岐とも書き、記紀では五十葺、胆吹、伊服岐能山などの字を当てている。・・・イブキ、イブクという言葉は、息を吹くことを意味するから、霧の多い伊吹山に、古代の人々は、神のいぶきを想ったに違いない。-白洲正子『近江山河抄』「伊吹の荒ぶる神」


伊吹山を背後にした伊夫岐神社の姿。

伊吹神社には、今でも伊吹氏という宮司がおられるが、麓の平野はかつて息長(おきなが)氏の所領で、姉川に面して大きな前方後円墳が立っている。
・・・
伊吹山のイブキと、オキナガの「息」には、何か関係がありはしないか。伊吹山は霧が深いので有名だが、先年登ったとき、・・・私は目くるめく思いがした。それはまさしく神のいぶきとしかいいようのない凄まじさであった。そのいぶきが、長くあれかしと念じたのが、息長の名のはじまりではなかったであろうか。-白洲正子『近江山河抄』「近江路」


伊吹の集落で見かけたお地蔵さん。段々と霧が晴れてきて、光が差し込む。


快晴の空。伊吹小学校の校舎の上に、雪を頂いた伊吹山が見えていた。
「伊吹診療所前」の次のバス停である「伊吹登山口(三之宮神社前)」からバスに乗りこむ。


バスの窓から見えたのは、鳥居の向こうに、雪を頂いた伊吹山の姿だった。
出発まで5分ほどあったので、いったんバスを降り、三之宮神社で何枚か写真を撮る。
このあたりの神社は、伊吹山を意識して建てられている。そう実感した出来事だった。

伊吹山を開いたのは、三修上人と呼ぶ行者で、観音寺、弥高寺、長尾寺、太平寺の四寺を建立し、その総称を「伊吹山寺(いぶきさんじ)」といった。一時は三百数十の山房が、峰や谷を埋めていたというが、織田信長が浅井氏を攻めた時、灰燼に帰した。-白洲正子『近江山河抄』「伊吹の荒ぶる神」


かつてこの地は修験道で栄えたところだった。
昭和60年、地元の僧侶の方の尽力で、伊吹山の麓に伊吹山寺が再建された。
回峰行のコースも整備され、天台宗から伊吹山修験道として認可されている。
http://www.ubasoku.jp/organization/36jisha/ibukisanji.htm


伊吹の次に向かったのは、先程から何度か出てきた息長氏ゆかりの場所である。
伊吹登山口から長浜駅行きの湖国バスに乗り、村居田(むらいだ)で降りる。
ここも米原市の一部だが、旧坂田郡と言った方がわかりやすいかもしれない。


村居田のバス停の向かいに、「息長御陵道」の大きな柱が建っていた。
この息長陵は、敏達天皇の皇后の息長広姫(おきなが ひろひめ)の陵墓と伝えられている。
息長広姫は、天智天皇(近江大津宮を開いた天皇)の曾祖母にあたる人物だ。
ちなみに天智天皇の父(舒明天皇)の諡名は、息長足日広額(おきなが たらしひ ひろぬか)。

息長氏について、ウィキペディアに以下のような記述がある。

息長氏の根拠地は美濃・越への交通の要地であり、天野川河口にある朝妻津により大津・琵琶湖北岸の塩津とも繋がる。 -ウィキペディア

前回紹介した朝妻湊には、大津との間に船の定期便があったという案内板が出ていた。
近江大津宮の背後には、琵琶湖、そして天智天皇の先祖の故郷が控えていたのである。

もしかして天智天皇が近江に遷都したのは、自身のルーツも影響していたのではないか。
大化の改新・白村江の戦いを経て、天皇は国づくりに尽力したかったに違いない。
権謀術数に明け暮れた中で、近江は、安心できる数少ない場所だったのかもしれない。


息長陵。参道の奥に寺があり、その奥に宮内庁管理の陵墓がある(写真)。
安(注:現在の野洲)の三上氏も、坂田郡の坂田氏も、みな息長の一族であった
オキナガタラシヒメと呼ばれた神功皇后も、この一族の出であった
当時は天皇家に匹敵する力を蓄えていたに相違ないと白洲さんは記す。


寺の隣に「息長広姫陵古墳群」という石碑の建つ古墳がある。


息長広姫陵古墳の向こうに、白い雪を頂いた伊吹山が見えていた。
伊吹は息長氏にとってシンボルのような山だったに違いない。


息長陵のある寺の前から撮影。息長御陵道の向こうに伊吹山が見える。


村居田のバス停のそばに広がる風景。右側に伊吹山が見える。

坂田郡には、前方後円墳だけでも、二十基近くあると聞くが、中でも印象に強いのは「息長陵」と呼ばれるもので、姉川の古戦場から東へ入った川岸にある。・・・荒涼とした河原をへだてて、伊吹山を仰ぎ見る風景は、何とも言えず神秘的な印象を受ける。
-白洲正子『近江山河抄』「伊吹の荒ぶる神」


息長陵の近くには、青蓮寺(せいれんじ)という別のお寺がある。
美しい水が流れる村居田の集落の一角で、惹かれるように青蓮寺に立ち寄った。
青蓮寺は、教如上人(1558年~1614年)の頃の創始と推測される寺だという。


青蓮寺の本堂の彫刻。柱の上に刻んであった。


見事な獅子に見とれる。こちらは目が入っている。


村居田の集落。背後の山にも古墳がありそうな雰囲気が漂っている。
実際、村居田の北(次のバス停)に、今荘橋という集落がある(長浜市東上坂町)。
そこには、姉川古戦場を望む自然の山を利用した前方後円墳(茶臼山古墳)があるという。
ご関心のある方はぜひどうぞ。
茶臼山古墳(滋賀県観光情報へのリンク)


撮影を終えて村居田の交差点の近くで出会ったのが、このトトロ。
見た人の心を温かくするような、素敵な刈り込み。ちゃんと目と歯がついている。
嬉しい出会いだった。


最後に、村居田から南へ、三島池までの約4.5kmを一時間かけて歩いてみた。
気温は13度。左に伊吹山を見ながらの小さな旅。早春を感じさせる風景をどうぞ。


伊吹山と水路。米原はどこへ行っても水が美しい。(米原市朝日にて)


伊吹山と麓の林。(米原市朝日にて)


伊吹山と早春の畑。伊吹山がぐっと迫る。(米原市市場にて)


三島池にて。ここから見る伊吹山が美しいと言われている。

ここから近江長岡駅(最寄り駅)まで2.3km。
(三島池ビジターセンター(最寄のバス停)から、近江長岡駅までは約10分。)
西(琵琶湖側)へ、長浜(滋賀県長浜市)まで10km。
東(関ケ原側)へ、中山道・柏原宿(滋賀県米原市)まで7.5km。
東(関ケ原側)へ、寝物語の里(滋賀と岐阜の県境)まで9km。関ヶ原ICまで14km。



次回予定:伊吹の荒ぶる神6(寝物語の里から不破の関(滋賀県米原市~岐阜県関ケ原))

※バックナンバーのご紹介です。
伊吹の荒ぶる神1(中山道・柏原宿から醒井宿を歩く~前編:やいと祭と柏原宿歴史資料館、寄り道して清滝寺徳源院へ)

伊吹の荒ぶる神2(中山道・柏原宿から醒井宿を歩く~後編:柏原一里塚から醒井「居醒の清水」とバイカモの花)

伊吹の荒ぶる神3(水のまち・醒井から、木彫りの里・上丹生へ。醒井渓谷、霊仙三蔵記念堂、醒井養鱒場、いぼとり水と西行水)

伊吹の荒ぶる神4(琵琶湖岸の神話の町~朝妻湊跡と湖底遺跡、世継の七夕伝説、山内一豊の母・法秀院ゆかりの地、元伊勢・坂田神明宮(滋賀県米原市朝妻筑摩・世継・飯・宇賀野))


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