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2014年3月

2014年3月22日 (土)

【かくれ里ハイキングのご紹介】春の狛坂磨崖仏と金勝寺を訪ねる(栗東市観光物産協会主催・2014/4/26|事前申込3/28開始)

 


狛坂磨崖仏,Komasaka Stone Buddha (Ritto city,Shiga prefecture,Japan)

栗東市観光物産協会さまより、ハイキングのご案内をいただいたので、ご紹介します。
「近江山河抄の舞台を歩く」でご紹介した場所で、皆様の関心がとても高いコースです。

金勝寺(こんしょうじ)は、琵琶湖の南に位置する金勝山系(こんぜさんけい)の中にある名刹。
奈良時代、聖武天皇の発願により、平城京の鬼門(北東)に建てられました。
狛坂磨崖仏(国史跡)と共に、白洲正子さんの『かくれ里』『近江山河抄』で紹介されています。

私は以前、栗東市観光物産協会の皆さんと、一緒に金勝(こんぜ)を歩いたことがあります。
山と歴史を愛する素敵な皆さんで、雰囲気がとてもよかったのが印象的でした。
金勝をよく知っているスタッフの方と歩く機会はなかなかないので、この機会にぜひどうぞ。

金勝山ハイキング 春の狛坂磨崖仏と金勝寺を訪ねる
日時:2014年4月26日(土) 8時45分~17時頃
集合:上桐生バス停(JR草津駅より帝産バスで約30分)
事前申し込み必要・定員40名(先着順)

お問い合わせ:栗東市観光物産協会
電話 077-551-0126(平日9時~17時)
受付開始 3月28日(金)9時~
※詳細はチラシをご覧下さい。

 

Konze2014spring_1

Konze2014spring_2


 

 

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2014年3月18日 (火)

伊吹山麓のセツブンソウと春の花、「峠のシシ垣」(滋賀県米原市大久保)~2014年3月の撮影日記から(2)

 



(ブログ上で)旅に出て、堅田から滋賀をぐるっと回ってこようと思ったのが、昨年の3月。
比叡山横川から回峰行の道を駆け下りて以降、どんどん奥地に出かけている気がします。

道草続きで、なかなか関ケ原(次回予定)&堅田までたどりつけない管理人ですが、
桜の咲くころにはいったん堅田に戻ってこようと思っていますので、しばしご容赦を・・・

さて、このところ伊吹山麓の風景を掲載していたら、再び撮影する機会に恵まれました。
畑ではフクジュソウの花が咲いていて、どこか懐かしい気持ちになる風景でした。


前々回ご紹介した伊夫岐神社(滋賀県米原市伊吹)から、
姉川に沿って北上していくと、大久保という集落があります。
奥伊吹スキー場へ行く途中にある集落のひとつです。
セツブンソウまつりが終わったばかりの大久保を、昨日(3月17日)訪ねてきました。


大久保の集落を見渡せる高台では、紅梅が咲き始めていました。


セツブンソウの自生地。白っぽいところは、セツブンソウの花が咲いている箇所です。
この日もたくさんの人が春の花を見に訪れていました。


セツブンソウの可憐な花。自生地で見たのは初めてでした。


セツブンソウはとても小さい花で、実際はこんな感じです。
3月中は自由に見学できます(※地元の御好意で無料駐車場・トイレあり)。
大久保地区のホームページ⇒http://setsubunso.jp/


大久保の皆さんには会う人会う人に親切にしていただきました。
ありがとうございました!


大久保の集落。三角屋根が印象的です。
伊吹山麓の集落には、もともと藁葺き屋根だったと思われる三角屋根がよく見られます。


お寺(浄土真宗大谷派「伊吹山 松音寺」)の屋根も三角屋根。
ちなみに背後に見えているのが伊吹山です。
大久保から南へ続く、山麓の古道(通称「峠の古道」)があるというので、歩いてみました。


「峠のシシ垣」と呼ばれる石垣。これを見るために急な坂道を30分以上歩きました。
江戸時代にイノシシや鹿よけに作られた石垣で、延長約2kmにわたって残っています。
シシ垣としては滋賀県内屈指の規模だと伺いました。

シシ垣については、大津市内でも時折見かけることがあります。
そういえば栗原で撮影したとき、耕作放棄地の中にあった立派な石垣がシシ垣でした。

シシ垣については、昨年、研究の第一人者である高橋春成先生の講演を拝聴しました。
実際に出合うと、やはり嬉しいものです。
ご関心のある方はぜひ、こちらをどうぞ。

▼シシ垣ネットワークへようこそ
http://homepage3.nifty.com/takahasi_zemi/sisigaki/index.html

▼伊吹山麓峠のシシ垣解説(シシ垣ネットワーク)
http://homepage3.nifty.com/takahasi_zemi/sisigaki/preservation/preservation_case1.html


「峠の古道」から見える伊吹山。
山肌が白くむき出しになっているのは、セメントの原料として石灰が採掘されてきたためです。

いろんな風景に出会う伊吹山麓。大久保の北には東草野地域(※)があります。
「東草野の山村景観」は、昨年11月、国の重要文化的景観に答申されました。
(追記:2014年3月18日、重要文化的景観に正式選定されました!)
近いうちに訪ねる予定なので「近江山河抄の舞台を歩く」でご紹介できればと思っています。

※東草野地域(旧・東浅井郡東草野村):
現在の米原市甲津原(こうづはら)、曲谷(まがたに)、甲賀(こうか)、吉槻(よしつき)の総称。
東浅井郡東草野村→坂田郡伊吹村(1956年9月1日)→米原市(2005年2月14日)

 


追記:大久保で見ることのできる春の花をまとめた動画です。


 


2015年3月1日追記:2015年に大久保のセツブンソウを見に行かれる方への情報です。

第6回「セツブンソウふれあい祭り」開催のお知らせ
【日時】2015年3月15日(日)9:00~15:00
【場所】滋賀県米原市大久保地区一帯

◎無料駐車場の場所・イベント詳細はリンク先のチラシをご覧ください。
◎3月中は自由に見学できます(※地元の御好意で無料駐車場・トイレあり)。
http://kitabiwako.jp/event/event_18169/(長浜・米原・奥びわ湖観光情報)


 

 

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雪の中のザゼンソウ(滋賀県高島市今津町)~2014年3月の撮影日記から(1)

 




3月上旬、ザゼンソウの撮影で、琵琶湖北西岸に位置する今津へ行ってきました。
ザゼンソウはサトイモ科ザゼンソウ属の多年草。湖北に春の訪れを告げてくれる花です。
僧侶が座禅を組んでいるように見える姿から、この名前がついています。

今津は国内南限のザゼンソウ自生地として知られています。
保全活動をされている地元の方が、花が咲くまで10年近くかかると教えてくれました。
大切に守って生きたい、滋賀の風景です。

撮影地:滋賀県高島市今津町弘川
撮影日:2014年3月8日
アクセス⇒ザゼンソウ群生地(弘川)(高島市観光情報へのリンク)
開花状況⇒ザゼンソウの開花状況(平成26年)(高島市ホームページへのリンク)

▼今津の座禅草の動画です。(momonyan77さん製作)


▼3/24追記:その後の座禅草の様子です(リンク先に写真が掲載されています)

 

 

 

 


 

 

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2014年3月13日 (木)

伊吹の荒ぶる神5(岐阜と滋賀の県境、伊吹山の麓を歩く~伊夫岐神社と息長陵、早春の三島池(滋賀県米原市伊吹・村居田・池下))~近江山河抄の舞台を歩く(63)

 





白洲正子さんの随筆『近江山河抄』の中に、「伊吹神社」が出てくる。

ところが、その場所がはっきりしなかった。手がかりは次の一文と「伊吹村」の記述のみ。

 



伊吹神社には、今でも伊吹氏という宮司がおられるが、麓の平野はかつて息長(おきなが)氏の所領で、姉川に面して大きな前方後円墳が立っている。-白洲正子『近江山河抄』「近江路」

 


「大きな前方後円墳」は、滋賀県米原市村居田にある息長陵をさしている。
ところが「伊吹神社」で検索すると、出てくるのは伊富岐神社(岐阜県不破郡垂井町)。
あるいは、伊吹神社 (滋賀県長浜市山階町)。だが、どちらも条件にあわないのだ。

改めて地図を見ると、姉川の畔を走る車道のそばに、伊夫岐神社という神社を見つけた。
場所は滋賀県米原市伊吹。伊吹山の麓の集落である(写真一枚目)。
湖北に撮影に出ると一日がかりになるので、息長陵と併せて伺う事になった。
姉川の畔にある伊夫岐神社を訪ねたのは、2月の終わりだった。(撮影日:2014年2月26日)




伊夫岐神社の裏に広がっていた風景。伊吹山、そして姉川発電所。

その日は気温が10度を超える温かい日で、全国でPM2.5が観測された日でもあった。
近江長岡駅から湖国バスに乗って、「伊吹診療所前」というバス停で降りる。
想像通りの静かなところだった。朝の9時前にここへ来る人は、さすがにいないだろう。
運転手さんには、本当にここでいいのか念を押された。(撮影です・・・)


伊夫岐神社へは、診療所前から坂道を下って姉川のほうへ20分程歩いた。
車の場合は、「伊吹の里・旬彩の森」(道の駅)に割合近い場所にある。




伊夫岐神社(いぶきじんじゃ)は、伊吹山を御神体とする神社である(滋賀県米原市伊吹)。

創祀年代は不明で、最初は伊吹山山頂にあったといわれている。
参道入口には「式内郷社伊夫岐神社」と刻まれた石柱が建っていた。




伊夫岐神社の鳥居。入ってすぐ本殿がある。

 


伊吹は、伊夫岐、伊夫気、伊福岐とも書き、記紀では五十葺、胆吹、伊服岐能山などの字を当てている。・・・イブキ、イブクという言葉は、息を吹くことを意味するから、霧の多い伊吹山に、古代の人々は、神のいぶきを想ったに違いない。-白洲正子『近江山河抄』「伊吹の荒ぶる神」

 





伊吹山を背後にした伊夫岐神社の姿。

 



伊吹神社には、今でも伊吹氏という宮司がおられるが、麓の平野はかつて息長(おきなが)氏の所領で、姉川に面して大きな前方後円墳が立っている。
・・・
伊吹山のイブキと、オキナガの「息」には、何か関係がありはしないか。伊吹山は霧が深いので有名だが、先年登ったとき、・・・私は目くるめく思いがした。それはまさしく神のいぶきとしかいいようのない凄まじさであった。そのいぶきが、長くあれかしと念じたのが、息長の名のはじまりではなかったであろうか。-白洲正子『近江山河抄』「近江路」

 





伊吹の集落で見かけたお地蔵さん。段々と霧が晴れてきて、光が差し込む。





快晴の空。伊吹小学校の校舎の上に、雪を頂いた伊吹山が見えていた。

「伊吹診療所前」の次のバス停である「伊吹登山口(三之宮神社前)」からバスに乗りこむ。




バスの窓から見えたのは、鳥居の向こうに、雪を頂いた伊吹山の姿だった。

出発まで5分ほどあったので、いったんバスを降り、三之宮神社で何枚か写真を撮る。
このあたりの神社は、伊吹山を意識して建てられている。そう実感した出来事だった。

 



伊吹山を開いたのは、三修上人と呼ぶ行者で、観音寺、弥高寺、長尾寺、太平寺の四寺を建立し、その総称を「伊吹山寺(いぶきさんじ)」といった。一時は三百数十の山房が、峰や谷を埋めていたというが、織田信長が浅井氏を攻めた時、灰燼に帰した。-白洲正子『近江山河抄』「伊吹の荒ぶる神」

 




かつてこの地は修験道で栄えたところだった。

昭和60年、地元の僧侶の方の尽力で、伊吹山の麓に伊吹山寺が再建された。
回峰行のコースも整備され、天台宗から伊吹山修験道として認可されている。
http://www.ubasoku.jp/organization/36jisha/ibukisanji.htm



伊吹の次に向かったのは、先程から何度か出てきた息長氏ゆかりの場所である。

伊吹登山口から長浜駅行きの湖国バスに乗り、村居田(むらいだ)で降りる。
ここも米原市の一部だが、旧坂田郡と言った方がわかりやすいかもしれない。




村居田のバス停の向かいに、「息長御陵道」の大きな柱が建っていた。

この息長陵は、敏達天皇の皇后の息長広姫(おきなが ひろひめ)の陵墓と伝えられている。
息長広姫は、天智天皇(近江大津宮を開いた天皇)の曾祖母にあたる人物だ。
ちなみに天智天皇の父(舒明天皇)の諡名は、息長足日広額(おきなが たらしひ ひろぬか)。

息長氏について、ウィキペディアに以下のような記述がある。

 


息長氏の根拠地は美濃・越への交通の要地であり、天野川河口にある朝妻津により大津・琵琶湖北岸の塩津とも繋がる。
-ウィキペディア

 


前回紹介した朝妻湊には、大津との間に船の定期便があったという案内板が出ていた。
近江大津宮の背後には、琵琶湖、そして天智天皇の先祖の故郷が控えていたのである。

もしかして天智天皇が近江に遷都したのは、自身のルーツも影響していたのではないか。
大化の改新・白村江の戦いを経て、天皇は国づくりに尽力したかったに違いない。
権謀術数に明け暮れた中で、近江は、安心できる数少ない場所だったのかもしれない。




息長陵。参道の奥に寺があり、その奥に宮内庁管理の陵墓がある(写真)。

安(注:現在の野洲)の三上氏も、坂田郡の坂田氏も、みな息長の一族であった
オキナガタラシヒメと呼ばれた神功皇后も、この一族の出であった
当時は天皇家に匹敵する力を蓄えていたに相違ないと白洲さんは記す。




寺の隣に「息長広姫陵古墳群」という石碑の建つ古墳がある。





息長広姫陵古墳の向こうに、白い雪を頂いた伊吹山が見えていた。

伊吹は息長氏にとってシンボルのような山だったに違いない。




息長陵のある寺の前から撮影。息長御陵道の向こうに伊吹山が見える。





村居田のバス停のそばに広がる風景。右側に伊吹山が見える。

 



坂田郡には、前方後円墳だけでも、二十基近くあると聞くが、中でも印象に強いのは「息長陵」と呼ばれるもので、姉川の古戦場から東へ入った川岸にある。・・・荒涼とした河原をへだてて、伊吹山を仰ぎ見る風景は、何とも言えず神秘的な印象を受ける。
-白洲正子『近江山河抄』「伊吹の荒ぶる神」

 





息長陵の近くには、青蓮寺(せいれんじ)という別のお寺がある。

美しい水が流れる村居田の集落の一角で、惹かれるように青蓮寺に立ち寄った。
青蓮寺は、教如上人(1558年~1614年)の頃の創始と推測される寺だという。




青蓮寺の本堂の彫刻。柱の上に刻んであった。





見事な獅子に見とれる。こちらは目が入っている。





村居田の集落。背後の山にも古墳がありそうな雰囲気が漂っている。

実際、村居田の北(次のバス停)に、今荘橋という集落がある(長浜市東上坂町)。
そこには、姉川古戦場を望む自然の山を利用した前方後円墳(茶臼山古墳)があるという。
ご関心のある方はぜひどうぞ。
茶臼山古墳(滋賀県観光情報へのリンク)



撮影を終えて村居田の交差点の近くで出会ったのが、このトトロ。

見た人の心を温かくするような、素敵な刈り込み。ちゃんと目と歯がついている。
嬉しい出会いだった。




最後に、村居田から南へ、三島池までの約4.5kmを一時間かけて歩いてみた。

気温は13度。左に伊吹山を見ながらの小さな旅。早春を感じさせる風景をどうぞ。




伊吹山と水路。米原はどこへ行っても水が美しい。(米原市朝日にて)





伊吹山と麓の林。(米原市朝日にて)





伊吹山と早春の畑。伊吹山がぐっと迫る。(米原市市場にて)





三島池にて。ここから見る伊吹山が美しいと言われている。


ここから近江長岡駅(最寄り駅)まで2.3km。
(三島池ビジターセンター(最寄のバス停)から、近江長岡駅までは約10分。)
西(琵琶湖側)へ、長浜(滋賀県長浜市)まで10km。
東(関ケ原側)へ、中山道・柏原宿(滋賀県米原市)まで7.5km。
東(関ケ原側)へ、寝物語の里(滋賀と岐阜の県境)まで9km。関ヶ原ICまで14km。




次回予定:伊吹の荒ぶる神6(寝物語の里から不破の関(滋賀県米原市~岐阜県関ケ原))


※バックナンバーのご紹介です。
伊吹の荒ぶる神1(中山道・柏原宿から醒井宿を歩く~前編:やいと祭と柏原宿歴史資料館、寄り道して清滝寺徳源院へ)

伊吹の荒ぶる神2(中山道・柏原宿から醒井宿を歩く~後編:柏原一里塚から醒井「居醒の清水」とバイカモの花)

伊吹の荒ぶる神3(水のまち・醒井から、木彫りの里・上丹生へ。醒井渓谷、霊仙三蔵記念堂、醒井養鱒場、いぼとり水と西行水)

伊吹の荒ぶる神4(琵琶湖岸の神話の町~朝妻湊跡と湖底遺跡、世継の七夕伝説、山内一豊の母・法秀院ゆかりの地、元伊勢・坂田神明宮(滋賀県米原市朝妻筑摩・世継・飯・宇賀野))


 


 

 

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2014年3月10日 (月)

伊吹の荒ぶる神4(琵琶湖岸の神話の町~朝妻湊跡と湖底遺跡、世継の七夕伝説、山内一豊の母・法秀院ゆかりの地、元伊勢・坂田神明宮(滋賀県米原市朝妻筑摩・世継・飯・宇賀野))~近江山河抄の舞台を歩く(62)

 





関ケ原を越えて滋賀県に入ると、最初に迎えてくれるのが伊吹山である。

標高1,377m。日本百名山のひとつであり、美しいお花畑で知られている。
その麓に広がる風景を写真でご紹介しているのが、「伊吹の荒ぶる神」シリーズになる。

参考にしたのは、随筆家・白洲正子さんの紀行文『近江山河抄』(1974年刊)である。
2013年夏にまずご紹介したのが、中山道の宿場町である柏原と醒井(米原市柏原、醒井)。
そして、独自の情報として、醒井養鱒場で知られる上丹生(米原市上丹生)を追加した。
今回は3回に分けて、琵琶湖岸から関ケ原まで、伊吹山の麓の風景をご紹介します。
(撮影:2014年2月、2013年10月)



朝妻湊跡(米原市朝妻)。奈良時代から江戸時代に至るまで、湖上交通の要衝だった。

奈良時代、朝妻の隣の筑摩付近に、大膳職御厨(朝廷の台所)が置かれた。
朝妻は、北近江・美濃・飛騨・信濃からの献上品や役人を運ぶための港として賑わった。
朝妻湊からは大津、坂本へ定期便が出ていたという(※大津、坂本から京都へは陸路)。
この付近は「朝妻千軒」といわれ、家屋が千軒以上あったといわれる。
木曽義仲や織田信長が京都に向かって船出したのも、この朝妻湊からだった。

 



醒井の近くの湖水のほとりには、「世継」という村があるが、『大鏡』、『今鏡』などの物語が、「世継の翁」によって語られたのをみると、日本武だけでなく、神功皇后や武内宿禰の伝説の、おおよその出所は見当がつく。『坂田郡志』によると、世継は四ツ木とも書き、大きな木が四本立っていたというが、舞台か祭場のようなものを聯想させる。・・・上古に繁栄した朝妻の港の一部だから、世継の翁の語りを聞きに、集まる人も多かったと想像される。
-白洲正子『近江山河抄』「伊吹の荒ぶる神」

 


慶長18年(1612)、北村源十郎という人物が、現在のJR米原駅付近に米原港を開設する。
米原港、松原港、長浜港が彦根三港といわれ栄えていく中、朝妻湊は廃止となった。
明治18年(1886)、鉄道が敷かれると米原港も廃止され、時代は陸上交通へと変遷していく。
朝妻湊跡は現在、憩いのための公園になっている。




朝妻の尚江集落は、正中2年(1325)の大地震でほとんどが湖中に没したという伝承がある。

調査の結果、朝妻湊跡沖の湖底で、12世紀中葉を中心とする土器や軒平瓦が見つかった。
尚江千軒遺跡である。




筑摩神社に掲示してあった「尚江千軒遺跡」の解説。

筑摩神社沖でも、土坑や7~8世紀の須恵器横瓶を伴う石群が確認されている。




筑摩神社。神功皇后(オキナガタラシヒメ)が祈願したという伝承が残る神社である。

JR米原駅から、米原小学校脇の道を川沿いに30分ほど歩くと到着する。
車だと「入江橋」の信号の南になる。琵琶湖に面した車道のすぐそばに神社がある。




筑摩神社の例祭は「鍋冠まつり」といい、日本三大奇祭の一つとして知られている。

数え年8つの少女8人が狩衣姿に張子の鍋をかぶって、お旅所から筑摩神社まで歩く。
毎年5月3日に行われており、『伊勢物語』に「筑摩の祭」と詠まれている歴史ある祭である。

祭神が食物の神であることから、穀物を土鍋に入れて供えたのが起源と考えられている。
筑摩付近に置かれていた御厨(朝廷の台所)の様子を再現したという説もある。
「近江なる 筑摩の祭 とくせなむ つれなき人の 鍋のかず見む」(伊勢物語)



筑摩神社の南には、磯崎神社という興味深い神社がある。

なんと、ヤマトタケルノミコトは、当地(磯の地)で亡くなったという伝承があるのだ。
伊吹の神と戦って瀕死の重傷を負ったヤマトタケルノミコトは、居醒の清水で傷を癒した。
古事記、日本書紀には、その傷が元で亡くなったと書かれている。
伝承を元に磯崎神社が建てられ、ヤマトタケルノミコトは守護神として祭られた。

「鍋冠まつり」と同じ5月3日に、磯崎神社では「磯武者行列」という例祭が行われている。
ヤマトタケルノミコトにあやかって、男児は武者姿、女児は稚児姿で湖岸を巡行する。
鍋冠まつりといい、磯武者行列といい、民俗学的にも興味深い祭礼だと感じる。



話は世継に戻る。朝妻と世継には、湖北の七夕伝説が残っている。

↑世継の観光地図(写真)です。クリックすると拡大します。




朝妻神社。かつては牛頭天皇社と呼ばれ、境内の外に彦星の墓と言われる石が残っている。





想い人のいる女性は朝妻神社にお参りするといい。地元の方にそう教えていただいた。

ここは恋が叶う神社なのだ。




「天野川」(あまのがわ)にかかる朝妻橋を渡ると、世継の蛭子神社がある。
ここには仁賢天皇の第二皇女・朝濡(織姫)の墓がある。

想い人のいる男性は蛭子神社にお参りするといいと、地元の方に教えていただいた。

正式な手順を踏みたい人は、7月1日からの7日間、男性は姫宮(蛭子神社)へ、
女性は彦宮(朝妻神社)にお参りする。
そして、七夕の夜に2人の名前を書いた短冊を結び、天野川に流すと恋が成就する、という。
これが湖北の七夕伝説である。




天野川(あまのがわ)にかかる朝妻橋。朝妻神社と蛭子神社をつないでいる。





蛭子神社の境内にある句碑。先述した世継の翁の伝承を踏まえた歌である。

「鳰鳥(にほどり)の 息長川は 絶えぬとも 君に語らん 言(こと)つきめやも (万葉集)」
先程の「天野川」の古名が、息長川である。

 



この歌は、聖武天皇と光明皇后が、難波宮に幸された時、「河内の国 伎人(くれ)の郷の馬の国人」が奉ったと伝える。伊吹山中に発する息長川は、天野川となって朝妻で湖水に入るが、その川が絶えることがあっても、お話することはつきないでしょう、という言葉は、あきらかに世継の語りを踏えている。琵琶湖には鳰鳥(かいつぶり)がたくさんいるので、「鳰の海」[注:におのうみ]とも呼ばれたが、水中にもぐっていることの出来る息の長い鳥だから、息長の枕詞にも転用された。・・・伊吹おろしの凄まじさと、鳰鳥の息の長さと、そういうものが交り合って、息長氏の伝承となり、ひいては長命寺の由来を形づくるに至った。-白洲正子『近江山河抄』「伊吹の荒ぶる神」

 



息長(おきなが)氏。伊吹山の麓を歩くと、決まってぶつかる名前だった。


ヤマトタケルノミコトの妃の一人は息長氏だし、米原市内には息長陵と呼ばれる古墳がある。
息長陵に祀られているのは、敏達天皇の皇后・息長広姫(おきなが ひろひめ)といわれている。
調べていくと、息長広姫は、大津に都を開いた天智天皇の曾祖母にあたる人物だった。
ちなみに天智天皇の父(舒明天皇)の諡名は、息長足日広額(おきなが たらしひ ひろぬか)。

安(注:現在の野洲)の三上氏も、坂田郡の坂田氏も、みな息長の一族であった
オキナガタラシヒメと呼ばれた神功皇后も、この一族の出であったと白洲さんは記す。
息長氏は近江の一大勢力だった。

 





天野川が流れる世継の集落には、「かなぼう」と呼ばれる井戸水が見られる。

鉄分を含んだ霊仙山の伏流水が、地下100メートル前後から湧き出しているのだ。
かなぼうは三層になっていて、一層目は飲料水、二層目は冷却用に使う。
三層目(ゴザがかけてある箇所)は、野菜などを洗う生活用水として使われている。




世継からJR坂田駅へ向かって歩くと、天野川のほとりに、飯という集落がある。

ここは、山内一豊の妻として知られる千代のふるさとである。
千代の父は浅井家の家臣で、若宮喜助友興という武士だった。
幼くして両親を亡くした千代は、隣の宇賀野という集落に裁縫と行儀見習いに行っていた。
その人物こそが、一豊の母・法秀院だった。
法秀尼は戦で夫を亡くし、織田信長に追われて、宇賀野の長野家に身を寄せていた。
利発な千代を見初めた法秀院が、息子(一豊)の妻に推したと言われている。




息子の迷惑になることを慮った法秀院は、最期まで宇賀野を離れなかったという。

宇賀野もまた水の美しいところで、集落を水路が巡っていた。
地元の方のご案内で、法秀院や長野家のお話を伺うことができた。




宇賀野にある法秀院の墓。平成9年に現在の新しい墳墓になっている。

現在は地元の方が顕彰会を作って、大切に守っている。




坂田駅前にある、山内一豊と千代の像。地元の彫刻家の方の作品だと伺った。

NHKの大河ドラマ「巧妙が辻」(司馬遼太郎さん原作)の放送に際して作られたものだという。
一豊と千代が二人並んでいる像は、全国でもここだけだという話だった。




坂田駅のそばには「坂田神明宮」がある。内宮の坂田宮は元伊勢(もといせ)の一つである。

伊勢神宮は、伊勢に鎮座するまで、大和・伊賀・近江・美濃・尾張を移動した伝承をもつ。
一時的に鎮座した場所は元伊勢(もといせ)と呼ばれ、その一つが近江の坂田宮である。
伝承には、伊勢への道中、倭姫命は坂田宮(さかたのみや)に2年滞在したとある。

元伊勢については、近江のもうひとつの元伊勢、甲可日雲宮をめぐる話を参照いただきたい。
http://katata.cocolog-nifty.com/blog/2013/11/post-01c0.html




坂田神明宮の境内にあった井戸。神秘的な水の色だった。

歴史ある社寺や建造物を撮っていると、自分の理解の次元を越えるものに出会うことが多い。
そんな時、神話や伝承は何かの寓話であって、暗示するものがあるように感じる。

神話の世界をどう捉えるかは難しいが、何かを政治的に美化するということではなくて、
ただその根底にあるものをつなげてみようというのが、今回の撮影のスタンスにある。
神話は好き嫌いというよりも、共同体の深層心理を探る一つの手がかりになると思っている。

倭姫命に日本武尊、世継の翁と息長氏。織姫に彦星、千代と一豊。
伊吹山の麓には、神話・伝承の人物から実在の人物まで、豊かな物語が残っている。
奇しくも、鈴鹿山脈の北側に坂田宮が、南側に甲可日雲宮があるのは興味深い。


次回予定:伊吹の荒ぶる神5(伊夫岐神社と息長陵(滋賀県米原市伊吹・村居田))


▼「伊吹の荒ぶる神」バックナンバー
1(中山道・柏原宿から醒井宿を歩く~前編:やいと祭と柏原宿歴史資料館、寄り道して清滝寺徳源院へ)
2(中山道・柏原宿から醒井宿を歩く~後編:柏原一里塚から醒井「居醒の清水」とバイカモの花)
3(水のまち・醒井から、木彫りの里・上丹生へ。醒井渓谷、霊仙三蔵記念堂、醒井養鱒場、いぼとり水と西行水)


 

続きを読む "伊吹の荒ぶる神4(琵琶湖岸の神話の町~朝妻湊跡と湖底遺跡、世継の七夕伝説、山内一豊の母・法秀院ゆかりの地、元伊勢・坂田神明宮(滋賀県米原市朝妻筑摩・世継・飯・宇賀野))~近江山河抄の舞台を歩く(62)" »

2014年3月 2日 (日)

奈良・東大寺にて、修二会前日、11人の僧侶(練行衆)が二月堂参籠宿所に入るところ~2014年2月の撮影日記から(6)

 


昨年(2013年)、「近江山河抄の舞台を歩く」の中で、奈良とのつながりをご紹介した。(※)
そのご縁で現在、奈良を撮っている。

東大寺といえば、二月堂での修二会(いわゆるお水取り)が3月1日から始まった。
それに先だって、2月20日より「別火」と呼ばれる前行の期間があった。
練行衆(れんぎょうしゅう)と呼ばれる11名の僧侶が、泊まり込みで行(ぎょう)を行うのだ。
古来より、天下泰安、風雨順時、五穀豊穣、万民快楽など、人々の幸福を願う行である。

*別火について⇒東大寺ホームページ



そして、2月28日の午後。
前行を終えた練行衆が、東大寺戒壇院の庫裡(別火坊)から
二月堂参籠宿所(さんろうしゅくしょ)に移動する。その一場面を撮影させていただいた。


(※)近江(滋賀)と奈良のつながりについて
聖武天皇が発願した大仏は、近江の紫香楽宮(甲賀市信楽町)で造り始められた。
信楽の山続きには、奈良の鬼門に建てられた寺がある(栗東市の金勝寺)。
東大寺初代別当となった良弁は、金勝寺を開いた僧侶。近江出身と言われている。
奈良に都が移ったことで、大仏と国家鎮護の寺は、東大寺で実現された。
金勝(大野神社界隈)には、興福寺や藤原氏との繋がりを伺わせる社寺が残る。


 

 

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奈良公園の鹿寄せ(大雪の後に撮影)~2014年2月の撮影日記から(5)

 


2014年2月13~14日にかけて、奈良でも記録的な大雪が降った。
その直後の日曜日(16日)に、奈良を撮影する予定があった。
地元の方にご案内いただく約束だったので、恐る恐る尋ねてみると「大丈夫です」とのこと。

問題は朝早すぎて、京都から直接行くと、間に合う電車がないこと。
5時起きで6時すぎに家を出て、山科、六地蔵で乗り換えて奈良まで行くことになった。
山科7:24発の京都市営地下鉄に乗り、六地蔵でJR奈良線に乗り換え、7:47発に乗る。
8:40にJR奈良駅に到着。朝9時の約束に間に合いました。



ホルンの音色に誘われて鹿が集まる「鹿よせ」は、冬の奈良の風物詩。
集まってきた鹿たちは、ごほうびの「どんぐり」がもらえます。
1892年(明治25年)、鹿園竣工奉告祭でラッパを使っておこなわれたのが始まりとのこと。

奈良公園の鹿は、古来より神の使いとして大切にされてきました。
都市で観察できる野生動物として、国の天然記念物に指定されています。
オス188頭、メス730頭、子ども177頭、合計1095頭がいます(平成23年7月の調査結果)。
(資料提供:鹿サポーターズクラブ

▼鹿寄せ情報
日時:平成26年2月1日(土)~3月16日(日)午前10時~※毎週月曜日はお休み。
主催:奈良市・公益社団法人奈良市観光協会
料金:無料
場所:春日大社内飛火野(奈良公園)
アクセス:JR・近鉄奈良駅から市内循環バス「春日大社表参道」下車徒歩すぐ
http://naradeer.com/events/


 

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滋賀県米原市村居田で出会った「トトロ」~2014年2月の撮影日記から(4)

 




誰に頼まれたわけでもないけれど、滋賀県内の隠れた名所を撮影して歩いている。
湖北に出かけるのは半日がかりになるが、伊吹山に雪が残るうちにと出かけた。
滋賀県の北部、長浜市との境に近い米原市村居田には、息長陵という古墳がある。

撮影を終えて村居田の交差点の近くで出会ったのが、このトトロだった。
見た人の心を温かくするような、素敵な刈り込み。
ちゃんと目と歯までついている。すごい!すごいな!!嬉しい出会いだった。

村居田や伊吹の写真は、「近江山河抄の舞台を歩く」で近日中にUPする予定です。


 

 

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pm2.5で霞んだ朝の空~2014年2月の撮影日記から(3)

 




その日は朝から何か変だった。どこへ行っても空が霞んでいる。
霧とは違う。黄砂でもない。幻想的なのを通り越して、どこか不気味な霞み方だった。

朝6時過ぎに乗ったJR琵琶湖線の電車は、愛知川を越えて北上していく。
どの町も同じ空だった。いったい何だろう?

霞んだ空は、滋賀と岐阜との県境近くでも変わらなかった。
後から、それがPM2.5だと知った。

(撮影日時:2014年2月26日午前9時過ぎ)


 

 

 

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曼陀羅山古墳を見学する人たち、背後に雪の比良山系~2014年2月の撮影日記から(2)

 




琵琶湖の西側に小野という駅がある。小野は遣隋使として有名な小野妹子の故郷だ。
その小野駅からバスに乗って、曼陀羅山古墳の現地見学会に行ったときの一枚。

曼陀羅山を背景にした写真は、先日のブログでご紹介したけれど、
本当は、曼陀羅山と対をなすように、雄大な雪の比良山系が見えていたのです。

撮影地:曼陀羅山古墳(滋賀県大津市緑町、真野北小学校隣)
撮影日:2014年2月22日


 

 

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琵琶湖畔、菜の花畑と雪の比良山系~2014年2月の撮影日記から(1)

 




風景写真としては、人のいない写真が好まれるのだろうけれど、
本当は、こういうほほえましい写真が好きだ。

菜の花の撮影に夢中な学生さんたち。
女の子も男の子も、仲良しが一番、ですね。

撮影地:第一なぎさ公園(滋賀県守山市今浜)
撮影日:2014年2月11日


 

 

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