« 紫香楽の宮8(山岳信仰の山、田上山に登る<前編:不動寺と太神山>)~近江山河抄の舞台を歩く(59) | トップページ | 菜の花と、琵琶湖と、雪の比良山系(第一なぎさ公園で撮影後、琵琶湖大橋を歩いて渡る/滋賀県守山市) »

2014年1月19日 (日)

紫香楽の宮9(山岳信仰の山、田上山に登る<後編:矢筈ヶ岳~御仏河原・富川道>)~近江山河抄の舞台を歩く(60)


矢筈ヶ岳(562m)の頂上からの眺め。ここまでの山道に台風18号の影響は殆どなかった。
同じ湖南アルプスの金勝に台風の被害が出ていたので、田上のことが気になっていた。
今回は、滋賀県南部に位置する田上山(たなかみやま)の現状を中心に掲載します。


太神山と矢筈ヶ岳の分岐点にあった看板に、台風の被害状況が掲載されていた。
2013年秋の台風18号により本願谷で土砂崩れがあり、通行止めになっている。
太神山へ向かう東海自然歩道では、道の脇に崩落が一箇所あったが、通行に支障はない。
太神山から矢筈ヶ岳へは普通に歩く事ができた。問題は矢筈ヶ岳の先だった。


矢筈ヶ岳から御仏河原へ向かう山道は、御覧のような倒木が何箇所か見られた。
写真は倒木が数メートルに渡って道を塞いでいた箇所で、下をくぐって通り抜けた。

笹間ヶ岳との分岐点は、道が川になっていた上、がれた道(小岩の上を歩く状態)だった。
笹間ヶ岳はもともと道の状態が良くないので、現状で(特に冬は)おすすめできない状況。
今回は予定通り、御仏河原からそのまま富川道を下った。


御仏河原の「御仏堰堤(えんてい)」。
高さ4.3m、堤長9.6mで明治20年(推定)に造られた滋賀県最古の空石積み堰堤。
緊張して歩いてくると、穏やかな場所にほっとする。しばらくここで休憩する。


御仏堰堤の隣に広がっていたシダ。幻想的な風景が続く。


富川道は沢の水が凍り、道は雪で覆われていた。
沢の脇の岩場を歩いて通り抜ける。岩場も水溜りが凍っていて、注意が必要。


田上山独特の花崗岩に囲まれながら歩く。
この場所の左には川が流れていて、台風18号によると思われる土砂崩れが見えていた。
その後は、がれた道が続き、人の背の高さくらいの陥没箇所が続いていた。
このように、富川道は総じておすすめできない状況。
太神山まで行って同じ道を戻るか、矢筈ヶ岳まで行って引き返すルートをおすすめします。


富川道を下りてきて、再び出会った迎不動(むかえふどう)。


今回のコース。アルプス登山口→不動寺・太神山→矢筈ヶ岳→富川道。

コースタイム(2013年12月末)
9:37天神川2号堰堤付近→10:40泣不動→10:48分岐点→11:20不動寺参道入り口
→不動寺→太神山→不動寺境内で昼食→12:20不動寺出発→12:40分岐点
→13:44矢筈ヶ岳→14:24分岐点(富川道)→15:20天神川沿いの車道に出る

太神山(不動寺)へは、アルプス登山口のほか、新免、信楽から登るルートがある。
アルプス登山口へは、JR石山駅から帝産バス(アルプス登山口行き)で約25分。
新免へは、同じくJR石山駅から帝産バス(田上車庫行き)が出ている。

▼帝産バス石山駅の時刻表
http://www.teisan-qr.com/jikoku/stop/254.php

▼三上・田上・信楽県立自然公園(滋賀県HPへのリンク)
http://www.pref.shiga.lg.jp/d/shizenkankyo/furusato/park/mikami.html


付記:太神山(不動寺)には信楽ルートが残っているという事実の持つ意味について

前回、太神山(不動寺)には信楽から登るルートが残っているという話を書いた。
信楽(滋賀県甲賀市信楽町)は、かつて、聖武天皇が紫香楽宮を置いた場所である。
紫香楽宮を諦めた後、聖武天皇は奈良に平城京を置き、東大寺と大仏を造営した。
奈良の鬼門に建てられたのが、滋賀県栗東市の金勝寺(こんしょうじ)である。
田上山の山続きにある金勝山(こんぜやま)の山中に、ひっそりと寺が建っている。

金勝寺は天平5年(733)、聖武天皇の勅願により、良弁(ろうべん)によって開かれた。
良弁は近江出身で、奈良の大仏を造営した功績で東大寺の初代別当となった僧である。
東大寺の起源は天平5年(733)、若草山麓に創建された「金鐘寺」であるというから驚きだ。
聖武天皇は、信楽に造ろうとした大仏を、東大寺に造っているという経緯もある。

(東大寺の)三月堂は、いわば金勝山の再生であり、
奈良の東山を、金勝山に見立てたぐらいのことは言えると思う。

白州正子さんは『近江山河抄』の中で、持論をそう述べている。
つまり、金勝寺は東大寺の原型になったと思われるような特別な寺なのだ。

金勝寺正面参道と仁王門
金勝寺(写真)と奈良とのつながりは深く、8世紀中頃までに興福寺の仏教道場となった。
弘仁6年(815)、嵯峨天皇の勅願により、興福寺の僧・願安(がんあん)が伽藍を整えた。
その後、比叡山の勢力が入ってきて、平安時代後期には天台宗の寺になっている。

金勝寺の旧正面参道は奈良の方向を向いており、信楽に通じていたといわれている。
ところが、金勝寺の現参道はとても短いもので、かつてのように信楽へ続いていない。
他方で不動寺は、信楽へ続く参道が残っている。この違いはどこから来るのだろうか。

田上山は、藤原京だけでなく、平城京造営に必要な木材を切り出した場所でもある。
金勝寺(金勝山)同様、この地もまた奈良の影響圏にあった。
奈良の影響力が薄れた後、さして離れていない信楽との関係が変化したのはなぜか。

金勝寺は「西の比叡山、東の金勝寺(こんしょうじ)」と言われた湖南仏教の中心地だった。
比叡山が京都の鬼門に当たり、京都を守護するのと対照的である。
官営の寺ゆえに、都が京都に移るに伴い、奈良・信楽との関係も変化したのではないか。

他方、不動寺は、太神山に不動寺を開いたとされる円珍(智証大師)と不動明王を祀る。
民間の信仰は、政治とは関係ないものである。信楽との繋がりは変わらなかったのだろう。
田上不動(不動寺)に対する地元の方の信仰は厚い。この日も参道の掃除をされていた。

小屋谷観音(こやがたにかんのん)
小屋谷観音(こやがたにかんのん)。金勝寺の南、旧正面参道沿いの山中にある。
この写真は分かりやすいように、横倒しになっている石仏を本来の姿で撮影している。
本来はもっと山の上にあって、何かのはずみで旧参道近くの岩の上に落ちてきたらしい。
そのおかげで再び人目に触れるようになった。旧正面参道の守り神だったと考えられている。

旧正面参道の入り口は良弁杉の前にあるが、現在はやや荒れた山道になっている。
地元の方の案内がないと行くのは困難で、あまり知られているコースではない。
小屋谷の先で栗東信楽線(車道)に突き当たるため、道の先が続いているかは不明だ。
その点でも、かつての金勝寺と信楽の関係を彷彿させる、不動寺・信楽ルートは貴重だ。


良弁は僧侶であると同時に、公共工事の親方のような存在であったといわれている。
石山、石部、岩根など、良弁には石と縁のある地名がつきまとうと白州さんは指摘する。
紫香楽宮と良弁の文化圏は、思っている以上に広い。その手がかりは各地に点在している。
田上山は、金勝山と併せて間違いなく紫香楽宮を支えた功労者である。

紫香楽の宮の背後には、莫大な勢力と、財産が蓄積されていた。奈良の大仏は、忽然と出現したのではない。三千世界を象徴する毘廬遮那仏(びるしゃなぶつ)の理想は、金勝山を中心とする信仰と、歴史の層の厚みによって、はじめて達成することを得たのである。肝に銘じて、そのことを知っていたのは、或いは良弁と聖武天皇の二人だけであったかも知れない。
-白洲正子『近江山河抄』「紫香楽の宮」


▼紫香楽の宮シリーズ バックナンバー
紫香楽の宮1(瀬田川と石山寺)
紫香楽の宮2(奈良平城京の鬼門・金勝寺と狛坂磨崖仏/知られざる金勝の石仏たち)
紫香楽の宮3(かくれ里「金勝」。大野神社から金勝寺里坊、金胎寺から金勝寺へ)
紫香楽の宮4(聖武天皇と良弁僧正ゆかりの寺、安養寺と西応寺)
紫香楽の宮5(青もみじの季節に行く、常楽寺と長寿寺)
紫香楽の宮6(正福寺と廃少菩提寺)
紫香楽の宮7(紫香楽宮跡/宮町遺跡と内裏野地区)
紫香楽の宮8(山岳信仰の山、田上山に登る<前編:不動寺と太神山>)


大きな地図で見る


◆バレンタインギフト2014◆(郵便局のネットショップ)

« 紫香楽の宮8(山岳信仰の山、田上山に登る<前編:不動寺と太神山>)~近江山河抄の舞台を歩く(59) | トップページ | 菜の花と、琵琶湖と、雪の比良山系(第一なぎさ公園で撮影後、琵琶湖大橋を歩いて渡る/滋賀県守山市) »

2016年12月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
サイト内検索
ココログ最強検索 by 暴想

東日本大震災の記事を御覧の皆さまへ

このブログのご案内

  • ご訪問ありがとうございます♪

  • 風景写真家、アマナイメージズ契約作家。故郷滋賀の里山や寺社、各地の知られざる風景を撮影して歩いています。2007年12月から琵琶湖畔の町・堅田の写真を更新してきた写真ブログです。

  • ▼公式ホームページ(堅田を初めとする風景写真・自然写真を掲載しています) junphotoworks.com

    フェイスブックへのリンクは下記をご利用下さい。応援ありがとうございます!



  • Copyright(C)2007-2015.
    兼松 純(Jun Kanematsu)

    写真に電子透かしを使用しています。

    当ブログに掲載されている写真・画像・文章・イラストの無断複写、転載等の使用および二次使用を禁じます。
    No reproduction or republication without written permission.

    ■当ブログ掲載写真は、地域の方に楽しんでいただく作品発表の場として、2007年より掲載してきました。2014年には、祭事写真のために筆者(兼松)が書いた解説文を専門家が新聞コラムに無断使用する事態があり、弁護士相談の上で関係者各位に申し入れを行いました。 判断に迷うときは、事前にお問い合わせいただきますようお願いします。

    ■2014年春からアマナイメージズに作品の一部を預けています。 WEBに掲載していない作品もございますので、詳細はお問い合わせ下さい。

連絡先/Contact

堅田の町のご紹介

お気に入りサイト・ブログ

無料ブログはココログ