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2013年11月 6日 (水)

比良の暮雪8(高島市安曇川町、高島市鴨:神代文字の石、鴨稲荷山古墳、高島歴史民俗資料館、藤樹書院跡、陽明園)~近江山河抄の舞台を歩く(43)

石敢当(高島市安曇川町)
石敢当案内板(高島市安曇川町)
安曇川駅からさほど離れていない南市の交差点に、「石敢当」(いしがんとう)がある。
道路のつきあたりや村の辻々に建てられ、集落の守護や魔除けの意味をもつ石柱だ。
石敢当は南九州から沖縄によく見られるが、これは滋賀県唯一のもので道標も兼ねている。

この石敢当は江戸時代のものだが、集落自体はかなり昔からあったようだ。
というのも、近くには、古墳時代の建物跡が発見された東窪田遺跡や八反田遺跡がある。
高島市の資料では、古墳時代の集落がこの一帯に広がっていた可能性を指摘している。

南市の交差点から、湖西線に平行してまっすぐ南へ行くと、北出地区に出る。
途中でふたまたに分かれる道の右側を行くとすぐ、滋賀県最大級の石造宝塔がある。

石造宝塔「鶴塚」(高島市安曇川町)
石造宝塔「鶴塚」。鎌倉時代の宝塔で高さ4.2m。二体の仏像が彫刻されているのが特徴。
伝承によると、昔、ある武将がこのあたりで雄鶴を射落としたが、頭がなかったという。
翌年、同所で雌鶴を射落としたところ、その鶴は翼の下に雄鶴の頭を抱いていた。
心打たれた武将は塔を建て、鶴夫婦の霊を弔った(鶴塚)と伝わっている。

鶴塚の姿は同じく鎌倉時代に作られた長安寺の牛塔(大津市)を彷彿させた。
前回ご紹介した三重生神社、田中神社、玉泉寺にも見事な石造宝塔が残っている。

淡海の国のもう一つの枕詞を「石走る(いわばしる)」というのも、石に恵まれていたことの形容かも知れない。と、『近江山河抄』の中で白洲正子さんが書いていたのを思い出す。

神代文字の石と力石(高島市安曇川町)
同じ北出地区にあるのが、安閑神社そばの「神代文字の石」。
絵画とも文字とも判別のつかない陰刻を残し、古くから神代文字の石として伝えられている。
同じ安曇川町の三尾神社旧跡には神代文字書「秀真伝」40巻が伝わっており、興味深い。

神代文字の石(高島市安曇川町)
神代文字の石と力石の案内板(高島市安曇川町)
「神代文字の石」の隣には、当時の水争いの一端をうかがわせる「力石(水口石)」。
鶴塚が作られたのと同じ鎌倉時代、このあたりに力持ちの娘さんがいたらしい。

この二つの石が置いてある安閑神社は、祭神が安閑天皇(継体天皇の第一皇子)である。
継体天皇は高島で誕生したと言われており、安曇川には継体天皇の関連遺跡が多い。
安閑神社から湖西線の方向に少し行き、箕島神社の前を南下すると三尾里という集落に入る。
ここに継体天皇ゆかりの円墳がある。安曇川町で唯一、平地に築かれた円墳である。

胞衣塚(高島市安曇川町)
胞衣塚案内板(高島市安曇川町)
三尾里地区の南にあるのが、継体天皇のへその緒を埋めたと言う「胞衣塚(えなづか)」。
胞衣塚は直径約12m、高さは約2mで、6世紀頃の築造と考えられている。
そして、南を流れる川は「御殿川」と呼ばれている。

伝承によれば、継体天皇の父・彦主人王は「近江国高島郡三尾之別業」に住んでいた。
越前国高向(福井県坂井市丸岡町高椋)より振姫を妃に迎え、継体天皇が産まれた。
そして、この三尾里一帯が、「三尾之別業」の伝承地だとされている。

胞衣塚と御殿川(高島市安曇川町)
胞衣塚(写真右)と御殿川(写真左)。川のそばに立派な常夜灯がある。
ここからさらに南下すると、高島市鴨(北鴨地区)に入る。

天皇橋(高島市鴨)
鴨川に架かる「天皇橋」。もとは天王(てんおう)橋と呼ばれていた。
この橋を渡ってすぐの宿鴨地区で、1902年(明治35年)鴨稲荷山古墳が発見された。
鴨稲荷山古墳の発見後に、天皇橋と呼ばれるようになったそうだ。

鴨稲荷山古墳(高島市鴨)
鴨稲荷山古墳。全長60mの周濠を有する前方後円墳で、現在は後円部だけが残っている。
写真右側の小屋(覆い屋)は、後円部の横穴式石室の上にあり、地元の寄付で建てられた。
内部に石棺があって、ガラスごしに見学できる。内部の写真を滋賀県よりご提供いただいた。

鴨稲荷山古墳石棺(高島市鴨)
鴨稲荷山古墳石棺(写真提供:滋賀県広報課)
鴨稲荷山古墳は、湖西地方では平野部に立地する唯一の前方後円墳である。
築造時期は6世紀前半、継体天皇を擁立した三尾氏の族長が被埋葬者と考えられている。
副葬品の複製の一部は、近くの高島歴史民俗資料館で見ることができる。

金銅製宝冠複製(高島歴史民俗資料館にて)
金銅製宝冠複製(高島歴史民俗資料館、原品は京都大学総合博物館)。
鴨稲荷山古墳に埋葬された人物が身に着けていた金銅製の副葬品を再現したもの。
金色の飾り靴や耳飾、太刀の複製なども展示されていて、きらきら輝いていた。
これらの副葬品は、朝鮮半島の新羅王陵の出土品とよく似ていることが分かっている。
また、副葬品の配置は奈良県斑鳩町の藤ノ木古墳と同様だという。

高島歴史民俗資料館は1階と2階に展示室があり、考古資料を無料で見学できる。
以前ご紹介した大溝城や、晩年を高島で過ごした近藤重蔵に関する展示もあった。
そして、今年の夏のあの話題に関する新聞記事なども展示してあった。
高島市の上御殿遺跡で国内に類がない「双環柄頭」型の短剣が見つかっている。
中国北方のオルドス式銅剣に似た短剣だという。

▼毎日新聞 2013年08月09日 大阪朝刊の解説記事(リンク)
http://mainichi.jp/feature/news/20130809ddn041040013000c.html

高島歴史民俗資料館
所在地:高島市鴨2239
TEL:0740-36-1553
開館時間:9:00~16:30 
休館日 :月曜日、火曜日、祝祭日(5/5・11/3は開館)、年末年始(12月28日~1月4日)
アクセス:安曇川駅より徒歩約20分又は江若バス近江高島駅行(南鴨経由)宿鴨下車

鴨川の上を走るJR湖西線(高島市鴨)
鴨川の上を走るJR湖西線。おなじみ、緑色の電車(113系)が走っていく。
対岸(竹林の辺り)の河川敷に沿って車道があり、中江藤樹の里の入口まで続いている。
天皇橋を渡って鴨川に沿って歩き、安曇川町の藤樹書院跡まで行くことができた。

藤樹書院跡の庭(高島市安曇川町)
高島市鴨から安曇川町上小川に入ると、水路に導かれるように藤樹書院跡の前に出る。
ここは日本の陽明学の祖と言われる儒学者・中江藤樹(1608-1648)の故郷だ。
上小川から青柳地区にかけては、藤樹神社や記念館、墓所などが集まっている。

藤樹書院跡の庭は掃き清められていて、踏み荒らすのが申し訳ないほどだった。
今回は書院跡のみ立ち寄ったが、隣の「良知館」で地元の方の説明を受けることができる。

「至良知」
人は誰でも生まれながらに美しい心(良知)を持っている。
その心を汚さずに、鏡のように綺麗にしておく事が大切である。

出典:http://www.touju.jp/study.html(近江聖人中江藤樹記念館)

藤樹書院跡にて、五事を正す(高島市安曇川町)
藤樹書院跡に掛けてあった言葉「五事を正す」もまた強く印象に残る言葉だった。
近江聖人と呼ばれる藤樹の教えは、その平明さゆえに広く受け入れられたといえる。

「五事を正す」

    貌(ぼう)-顔かたち
    和やかな顔つきで人と接し

    言(げん)-言葉づかい
    思いやりのある言葉で話しかけ

    視(し)-まなざし
    澄んだ目でものごとを見つめ

    聴(ちょう)-よく聞く
    耳を傾けて人の話を聴き

    思(し)-思いやり
    真心を込めて相手のことを思う

出典:http://www.touju.jp/study.html(近江聖人中江藤樹記念館)

藤樹書院跡(高島市安曇川町)
農家の中江吉次の長男として、近江の小川村で誕生した与右衛門が、後の藤樹である。
9歳の時に祖父・徳左衛門の養子となり、祖父とともに伯耆米子藩、伊予大洲藩に仕えた。
27歳のとき母への孝行を理由に藩に辞職を願い出るが、拒否されたため脱藩する。
近江に戻って郷里の小川村で開いた私塾が、藤樹書院である。
屋敷に藤があったことから、藤樹先生と呼ばれるようになった。

藤樹書院は茅葺き入母屋造りの書院で、藤樹が41歳で亡くなる半年前に完成した。
講堂は明治13年の小川村大火で焼失するが、明治15年に再建されている。
大火の際も遺品などは残り、写真の門は江戸時代後期のままである。
大正11年に国の史跡に指定され、命日の9月25日には儒式の祭典が行われている。

玉桂寺(高島市安曇川町)
玉桂寺の藤樹墓所(高島市安曇川町)
藤樹書院の前から見える日吉神社の角を曲がると、玉桂寺がある。
境内に中江藤樹の墓所があり、儒式の墓に倣って土盛りがあって墓碑が建つ。
母親、三男の常省氏と並んで葬られていて、2007年に国史跡に追加指定された。

藤樹神社鳥居(高島市安曇川町)
藤樹神社。大正11年に県社として創立されている。

陽明園のあづまや(陽明亭)の内部(高島市安曇川町)
藤樹神社の隣にある陽明園。あづまや「陽明亭」の壁面は御覧のとおりの美しさだった。
陽明園は、王陽明の故郷・余姚市の全面協力により建てられた中国式庭園である。
王陽明の生きた明代(1368~1661)の建築様式を復元している。

陽明園(高島市安曇川町)
陽明園の龍(高島市安曇川町)
今回歩いたコースを掲載します。(撮影日:2013年10月31日)

08:24 安曇川駅到着(JR湖西線)
08:35 江若バス 朽木学校行き乗車→08:41 庄堺バス停到着(10分ほど周辺散策)

以下、すべて徒歩(約12km)

08:59 三重生神社 [安曇川町常磐木]
09:10 安産もたれ石 [安曇川町田中]
09:15 彦主人王御陵(田中王塚古墳)
09:21 田中36号古墳
09:25 田中神社(休憩)
09:44 玉泉寺の石仏
10:02 町石[田中交差点近く]

10:16 南市の石敢当
10:27 鶴塚 [安曇川町北出]
10:30 神代文字の石 [安曇川町北出]
10:42 胞衣塚と御殿川 [安曇川町三尾里]

10:50 鴨川と天皇橋 [高島市鴨]
10:55-11:30 鴨稲荷山古墳と高島市歴史民俗資料館
↓鴨川沿いに歩く
11:58 藤樹書院跡[安曇川町上小川]
12:13 藤樹墓所(玉林寺)
12:17 藤樹神社(7分ほど滞在)
12:28 陽明園[安曇川町青柳]

陽明園向かいにある道の駅に立ち寄った後、安曇川駅まで15分歩いて帰路に着いた。
安曇川と鴨は、過去と現代が交錯する貴重な場所だと、改めて実感している。

参考資料:高島歴史探訪ガイドマップ 継体天皇関連遺跡を歩く(滋賀県高島市)
高島遺跡散策マップ-安曇川地域編-(高島市教育委員会、2010年)

次回:鈴鹿の流れ星1(甲賀市土山町:倭姫命の伝承と甲可日雲宮、田村神社、垂水斎王頓宮跡)の予定です。


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「比良の暮雪」バックナンバー(撮影地:大津市北部、高島市)
比良の暮雪7(高島市安曇川町:彦主人王御陵・田中神社・玉泉寺の石仏)
比良の暮雪6(近江高島:白鬚神社、鵜川四十八体石仏群、大溝城跡、乙女が池)
比良の暮雪5(小野から近江高島へ。JR湖西線の車窓の風景と、近江の厳島「白鬚神社」)
比良の暮雪4(小野後編:曼陀羅山古墳群・和邇大塚山古墳)
比良の暮雪3(小野中編:小野妹子神社(唐臼山古墳)からゼニワラ古墳、曼陀羅山古墳群)
比良の暮雪2(小野前編:小野神社、小野篁神社、石神古墳群、小野道風神社)
比良の暮雪1(比良八講(2013年3月26日撮影))


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