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2013年11月22日 (金)

鈴鹿の流れ星5(甲賀市甲南町:矢川神社、新宮神社、正福寺。忍者の里の知られざる名刹たち)~近江山河抄の舞台を歩く(49)

ご訪問ありがとうございます!この記事で1300回目となりました。
「鈴鹿の流れ星」では、この秋に甲賀市各地で撮影したさまざまな写真を掲載しています。
次々回は湖東三山の紅葉を掲載予定です。
もうすぐ季節に追いつくので、しばしご容赦を・・・

矢川神社の鳥居
矢川神社という、とても長い歴史を持つ神社がある。
鈴鹿の流れ星3で紹介した飯道神社同様、「延喜式神名帳」に記載がある古社である。
祭神は矢河枝比売(やかわえひめ)といい、湖西の和邇(わに)氏の女性と言われている。

矢河枝比売は応神天皇に見初められて妃となるが、とても深く愛されたようだ。
古事記には、応神天皇が矢河枝比売に送った美しい相聞歌が載っている。
近江八幡市の長命寺の奥には矢河枝比売の伝承が多く、王浜や宮ヶ浜といった地名が残る。

杉谷川と杣川が出会うところ、深川市場の中心に、矢川神社が建っている。
前章に記した矢河枝比売(やかわえひめ)を主神とし、この辺ではもっとも古い社であろう。
・・・
矢河枝比売に出会うのは、いつも水と関係のある場所だが、和邇の一族は琵琶湖だけでなく、その周辺の河川にも、勢力を及ぼしていたに違いない。矢河枝比売は水を司る巫女で、古代の詞でいえば水依(みずより)比売として、大きな権力を握っていたのではあるまいか。応神天皇が結婚を申し込んだのは当り前のことで、それは水利権と同時に、材木も水産物も手に入れることを意味した。-白洲正子『近江山河抄』「鈴鹿の流れ星」

矢川神社楼門
矢川神社楼門。室町時代中期の門である。
社記によれば1472年(文明4)、大和国布留郷五十余村から雨乞いの返礼として寄進された。
二階造りだったが、文禄年間(1592-1596)の大風で組物より上を失い、現在の形になった。

新宮神社と同じ形式の楼門が、うっそうとした森を背景に建っている景色は、さすがに重々しい風格がある。昔はこのあたりを杣の庄といい、南都諸大寺の用材は、すべてこの地で調達され、杣川から宇治川経由で大和へ運ばれて行った。
-白洲正子『近江山河抄』「鈴鹿の流れ星」

そういえば、前回ご紹介した嶺南寺は、奈良に縁の深い良弁の開基である。
栗東市の金勝山周辺と同様、甲南町もまた、奈良の影響下にあったことが分かる。

矢川神社楼門を見上げたところ
矢川神社楼門を見上げたところ。屋根は入母屋造の茅葺で、とても立派なものだ。

矢川神社境内
矢川神社境内。

矢川神社の石橋
楼門の前には見事な石橋がある。
この後、子どもさんがお母さんとやって来て、上に乗って遊んでいた。

甲南町の風景
撮影したのは、10月14日。甲南駅前で自転車を借りて、広い甲南町を約10km走った。
ちなみに気温は30度。これを書いている11月22日とは隔世の感がある。

新宮神社表門とコスモスの花
新宮神社の参道に、突如、茅葺屋根の門が現れた。新宮神社表門である。
墨書から1485年(文明17)の建立だと分かるこの門、実は未完成のままである。
天井の小屋の中に二階柱があることから、当初は楼門を計画していたと考えられている。
とはいえ、室町時代の楼門形式を後世に伝える見事な門である。国の重要文化財。

新宮神社表門

地図で見てもわかるように、この周辺には神社やお寺が無数にあり、その殆どに十一面観音を祀っている。中で印象に残ったのは、新宮神社の茅葺の楼門で、太い円柱が吹きはなしに建っている姿は、実にのびのびとして美しい。-白洲正子『近江山河抄』「鈴鹿の流れ星」

新宮神社の入口と拝殿
新宮神社の入口と拝殿。
ここに来るまでの参道が車道になっており、奥に神社があることが若干分かりにくかった。
長い参道は、春は桜の名所だという。きっと美しいだろう。

新宮神社
新宮神社(甲南町新治)。

732年(天平4)、紀州熊野大明神の分霊を勧請したのが始まりと伝えられている。
このあたりは飯道山麓の杣川一帯で、飯道山は古来より修験道の山として栄えた。
修験道の中心地である熊野の大明神を祀っているのも、うなずける。

飯道山麓の杣川一帯は、中世に杣庄と呼ばれる荘園が広がっていた。
後に新宮・矢川・三大寺の三荘に分かれる。現在の甲南町の一部と水口町三大寺である。
それぞれに新宮神社・矢川神社・三大神社(現・日吉神社)という古刹がある。

新宮神社本殿
新宮神社本殿。見事というほかない。

地元の甲南町新治には、興味深い昔話が伝わっている。
新治の姫を巡って三大寺の神が深川の神と争い、三大寺の神が姫と結ばれたという昔話だ。
これが縁で、甲南町新治では明治の頃まで「新宮の五社祭り」が行なわれていたそうだ。

三大寺の神輿二基と新治の神輿三基が、新治の熊野の刈家で祝言の杯を交わし、
猿楽や流鏑馬などを催していたという。

なお、姫を巡って争った際に深川の神が逃げる途中、左目に刺さった矢を抜いて捨てたという。
その矢がそのまま生えついた所が「一つ藪」と呼ばれ、今でも新治の大明に矢竹が残っている。
甲南町は、飯道山や三大寺とのつながりもまた深い。

新宮神社表門
新宮神社境内にて。本殿の脇にも立派な社があった。
新宮神社そのものについては、参考資料が殆ど見当たらず、本当にもどかしかった。
これだけのものが忘れ去られていくとしたら、本当に口惜しい。
どこも無理に観光地化する必要はないが、資料を残していただけたらありがたいと願う。
微力ながら記録を残そうと思ったのが、『近江山河抄の舞台を歩く』撮影の原点になっている。

この後、新宮神社表門の前から甲南第二小学校の方向へ自転車を走らせた。
『近江山河抄』で一言紹介されていた正福寺を訪ねるためである。

岩尾山との分岐点
途中で岩尾山との分岐点に出た。岩尾山は6km先なので、今回は立ち寄らなかった。
岩尾山は、飯道山同様、忍者が修行した山と言われている。
ただし、ここは甲賀だけでなく、伊賀の忍者の行場でもあったと白洲正子さんは記す。

岩尾山との分岐点(337号線)
岩尾山との分岐点(337号線)。案内板には「新名神 甲南IC 1.3km」とある。
ここから、前回ご紹介した「嶺南寺」まで1.9km、「甲賀流忍術屋敷」まで2.7km。
また、ここから自転車で10分程行くと、目指す正福寺がある。

この道は観光協会HPに紹介されていたレンタサイクルのルートだが、あまりお勧めできない。
というのも、甲南ICに近く、広域農道なので、車やダンプが飛ばして通り過ぎて行くからだ。
自転車に乗っているほうは冷や冷やするが、自動車の運転手さんもまた怖いだろうと思う。

なぜこのような話を書くかというと、湖南市の「正福寺」へ行った時も同じ経験をしたからだ。
各地でレンタサイクルを利用させて頂いたが、車道をコースにしているところが多い。
コースを考える方にお願いしたいのは、実際に一度自転車で走ってもらえればという事である。
自転車は重宝するだけに、ルート次第で、もっといろんな人に利用してもらえるのではないか。

正福寺
正福寺(甲南町杉谷)。
聖徳太子の創建と伝えられている寺院で、当初は天台宗、後に徳川家ゆかりの寺となった。
1681年(天和元年)江戸幕府5代将軍徳川綱吉により再興され、臨済宗の寺院となっている。

正福寺のお地蔵さん
石段の下には、お地蔵さん。

正福寺山門
石段を登っていくと、立派な仁王像が二体、山門の中からこちらを睨んでいた。

正福寺の石仏
正福寺の山門をくぐると、鐘楼のそばに無数の石仏があった。

正福寺の宝篋印塔
正福寺の宝篋印塔。南北朝時代の作。

正福寺本堂
正福寺本堂。賽銭箱に徳川家の「葵の紋」がついているのが御覧頂けるだろうか。
徳川家ゆかりの寺となったのは、第5代将軍綱吉の世継ぎの祈祷が叶ったからだという。
本尊の十一面観音菩薩に出生祈願をしたところ、綱吉は息子(徳松)を授かったとある。
江戸時代以降は徳川家の祈願所として、また世継ぎ観音の寺として信仰されてきた。
・・・世継ぎ世継ぎというけれど、私はどうしても女の人の気持ちを考えてしまう。
今も昔もなんだかせつない話だ。

八坂神社境内の翁の像
正福寺の隣に八坂神社があり、境内の奥に翁の像があった。
どういうものなのかよく分からなかったが、雰囲気があったので撮影。

正福寺山門前にベンチがあったので、お弁当を食べていたら、地元の人に声をかけられた。
甲南駅の近くでお店を経営されている方だという。正福寺は予約すれば拝観できるとのこと。
駅からレンタサイクルで回っていると言ったら、近道など教えていただいた。
自転車の場合は、新宮神社から野田に出て、甲南駅へ帰るのがいいようだ。

お花畑
新宮神社から野田に出る途中、見かけたお花畑。
とにかく広い甲南町。何より田園風景の美しいところだった。次の機会に岩尾山に伺いたい。

次回:鈴鹿の流れ星6(甲賀のかくれ里:油日神社と櫟野寺)の予定です。


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