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2013年11月20日 (水)

鈴鹿の流れ星4(甲賀市甲南町:竜法師と瀬古の流星、甲賀流忍術屋敷、嶺南寺)~近江山河抄の舞台を歩く(48)

甲賀流忍術屋敷の忍者(甲賀市甲南町竜法師)
甲賀市甲南町は甲賀流忍術発祥の地で、竜法師地区には忍者屋敷が現存する。
「鈴鹿の流れ星」と聞いて思い出したのは、竜法師で見た「瀬古の流星」のことだった。
瀬古の流星は忍者が合図のために打ち上げたという狼煙で、花火の原型ともいわれている。

竜法師を初めて訪ねたのは約15年前、「流星」の打ち上げ日である9月12日の夕方だった。
最寄駅はJR草津線の甲南駅。上下線とも1時間に1本が通る、とても静かな駅だった。
会場の瀬古薬師堂という名前を頼りに、夕闇迫る静かな町をひたすら歩いた記憶がある。

薬師堂の近くで会ったおじいさんが、道路向かいの田んぼで打ちあげると教えてくれた。
駅からご一緒した若いご夫婦と3人でほっとしたのを、昨日の事のように覚えている。

瀬古薬師堂(甲賀市甲南町竜法師)
瀬古薬師堂(甲南町竜法師‎)。

当地の疫病流行を深く痛んだ最澄が、薬師如来を刻んで東北の地(瀬古)に安置し、
疫病退散の修法を行なったのが起源とされている。

油日岳を水源とする杣川(そまがわ)は、竜法師付近で浅野川と合流する。
そして、野洲川最大の支流である杣川沿いは、古くから交通の要衝だった。
古東海道である杣街道(現・県道4号草津伊賀線)が通り、三重県の柘植へと通じている。
竜法師という地を選んで瀬古薬師堂が建てられ、忍術屋敷が残ったのである。

今年の春、『近江山河抄』「鈴鹿の流れ星」を読んで、話が竜法師から始まっていて驚いた。
花火は狼煙から発達したもので、「流星火」と呼ぶこともあったとある。
そして、竜法師(りゅうぼうし・ryuboshi)は流星の転訛だともいわれていると・・・。
「鈴鹿の流れ星」は、やはり、竜法師に伝わる狼煙花火のことだった---。

瀬古の流星が復活したのは昭和51年。『近江山河抄』の刊行は、その2年前の昭和49年。
白洲さんが「鈴鹿の流れ星」を実際に御覧になったのかどうかは、分からない。
だが、9月になったら、もう一度、瀬古の流星を見に行こうと決めた。

瀬古薬師堂のそばで咲いていたコスモスと、アゲハチョウ(甲賀市甲南町竜法師)
瀬古薬師堂のそばで咲いていたコスモスと、アゲハチョウ。(撮影日:2013年9月12日)
「流星」までは時間があったので、忍者屋敷と嶺南寺まで行ってみることにした。
嶺南寺は、忍術屋敷近くにある天台宗寺院で、あの良弁の開基だという。
夕方なのでコミュニティバスはなく、レンタサイクルも17時終わりなので、歩くしかない。
甲南町は、広い。本当に広い。気温は30度、湿度も高かったので汗だくだった。

忍術屋敷に入ると、お茶を出していただいた。
甲賀忍者秘伝の薬草茶で、屋敷の中で販売もしている。あっさりとした味だった。

甲賀流忍術屋敷の門(甲賀市甲南町竜法師)
甲賀流忍術屋敷。忍者自身の住居として現存する日本で唯一の建物である。
内部では実際にかくし梯子を上ることもできる。
隠し部屋の仕掛けや、忍者の道具についても、詳しく説明していただいた。
印象的だったのが、どんでん返しに落とし穴。

甲賀流忍術屋敷(甲賀市甲南町竜法師)

この家は望月出雲守といって、五十三軒の忍者の筆頭であった。・・・徳川家康が、本能寺の変で急いで三河へ逃げ帰った時、この家に泊ったと伝えられ、さすがにどっしりした構えである。

・・・中でも驚いたのは、屋内に深い井戸のあることで、揚板に人が乗ると落ちる仕掛けになっており、ある時は三十六人もの敵が一度にはまって死んだという。

こういう話は興味本位に聞くと面白いが、さて彼らの身になって考えると、陰惨な心地になる。人の秘密をさぐることは、また自分も一生追われる身で、私生活などまったくなかったことがわかる。せめてもの楽しみは、人をあざむいたり、おとし入れるための秘術をつくすことで、殆ど芸術的といいたい程の道具の数々を眺めていると、「因果者」という言葉が浮んで来る。

・・・そういう陰花植物的な存在が、鈴鹿の山麓に芽生えたことは興味がある。このあたりの入り組んだ地形と陰湿な風土は、彼らを育むに適しており、団結の精神も殊の外強かったのではないかと想像される。 -白洲正子『近江山河抄』「鈴鹿の流れ星」

嶺南寺山門と天満宮(甲賀市甲南町竜法師)
嶺南寺(甲賀市甲南町竜法師)
嶺南寺。竜法師地区、忍術屋敷近くにある天台宗寺院。奈良時代末期、良弁の開基。
良弁は近江出身で、聖武天皇の信任が厚く、奈良の東大寺の別当となった僧侶である。
近江南部には、石山寺、金勝寺、安養寺、常楽寺、長寿寺など良弁開基の寺が多い。

嶺南寺の石仏(甲賀市甲南町竜法師)
嶺南寺の境内にあった石仏。近江は本当に石の文化だとつくづく思う。

嶺南寺隣の天満宮・鳥居(甲賀市甲南町竜法師)
嶺南寺隣の天満宮・石段(甲賀市甲南町竜法師)
嶺南寺隣の天満宮・本殿(甲賀市甲南町竜法師)
嶺南寺の隣にある天満宮。なかなか趣のある天満宮だった。

嶺南寺隣の天満宮・撫で牛(甲賀市甲南町竜法師)
天満宮の「撫で牛」。いい顔をしている。

瀬古の流星打ち上げ会場付近(甲賀市甲南町竜法師)
話は瀬古の流星に戻る。(写真は打ち上げ会場のあたりで撮影。)

実際に見た瀬古の流星は、まさに狼煙で、素朴ながらも残光が印象的な花火だった。
暗闇に弧を描いて、上へと、あるいは横へと、気ままにひゅーっととんでいった。

あの日ご一緒した二人は、私と同じ学校の出身だと、帰りの電車の中で分かった。
夢がかなったらまた「流星」を見に来たいと仰っていたが、どうされているだろうか。

その後、竜法師には商業施設ができて賑やかになり、「流星」を撮影する人も増えた。
お二人とも元気にお過ごしなら、とても嬉しいです。

▼瀬古の流星の写真はこちら(甲賀市観光協会HP)
http://www.koka-kanko.org/res/?evid=249


次回:鈴鹿の流れ星5(甲賀市甲南町:矢川神社、新宮神社、正福寺)の予定です。


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