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2013年11月13日 (水)

鈴鹿の流れ星2(滋賀県甲賀市から湖南市:信楽の日雲神社、水口の笠山神社、三雲の上乗寺。倭姫命の伝承と甲可日雲宮続編)~近江山河抄の舞台を歩く(45)

日雲神社参道(甲賀市信楽町牧)
伊勢神宮は、伊勢に鎮座するまで、大和・伊賀・近江・美濃・尾張を移動した伝承をもつ。
一時的に鎮座した場所は元伊勢(もといせ)と呼ばれる。その一つが近江の甲可日雲宮だ。
滋賀県甲賀市とその周辺には、甲可日雲宮の伝承地が10以上存在する。
前回はその中から、甲賀市土山町の甲可日雲宮(日雲神社)と田村神社をご紹介した。

甲賀市信楽町牧にも日雲神社がある。最寄駅は信楽高原鉄道の雲井である。
昼過ぎに貴生川から信楽高原鉄道代行バスに乗って、雲井へ向かった。
雲井駐在所前が臨時のバス停で、駐在所の角を右へ数分行くと日雲神社の看板がある。
鳥居をくぐり、長い参道を歩く。とても気持ちのいい、きれいな参道だった。


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日雲神社境内(甲賀市信楽町牧)
日雲神社境内。
実は信楽高原鉄道の線路を越えて来ている。線路が参道を横切っているためだ。

姫の宮(日雲神社、甲賀市信楽町牧)
本殿の脇に「姫の宮」があり、一番左に「倭姫神社」とある。

伊勢神宮の鎮座をめぐる神話は、いわば、旅する神様の話といえるだろう。
天照大神の杖となって大和から伊勢を旅した皇女が、倭姫命(やまとひめのみこと)である。
第11代垂仁天皇の皇女で、伊勢神宮内宮を創建したとされる人物だ。
倭姫命は、伊勢神宮に仕える未婚の内親王(斎王)の直接の起源とも言われている。

日雲神社太鼓踊りの由来(甲賀市信楽町牧)
日雲神社の由来。太鼓踊りの由来を見ても、長い歴史のある神社だと分かる。
土山の田村神社同様、清冽で強く印象に残る神社だった。
両者とも間違いなくパワースポットといえるだろう。日雲宮はどちらでもおかしくない。

日雲神社の狛犬(甲賀市信楽町牧)
日雲神社の狛犬。どこかエキゾチックだ。

日雲神社拝殿(甲賀市信楽町牧)

『日本書紀』によると、垂仁二十五年、倭姫は「菟田の篠幡(うだのささはた)」から、近江・美濃を経て、伊勢の五十鈴の川上に落着いた。・・・祭政一致の時代には、皇室の威光を示すために、天照大神を奉じて、諸国を巡ったのはあり得ることだし、前もって落着く場所を探した事実もあったに違いない。野洲川を前方にひかえた肥沃な平野と、美しい自然の環境は、大神宮の候補地にふさわしい場所で、そういう伝説[日雲の宮の伝説]が生れたのは当然のことのように思われる。
-白洲正子『近江山河抄』「鈴鹿の流れ星」

日雲神社鳥居(甲賀市信楽町牧)
日雲神社へ続く道(甲賀市信楽町牧)
帰りのバスの時間を気にしながら、日雲神社の長い参道を、後ろ髪を引かれつつ帰る。
そういえば日雲神社から、聖武天皇の紫香楽宮跡(甲賀寺跡)まで、さほど離れていない。
前回ご紹介した土山町の甲可日雲宮のそばには、平安時代に頓宮が置かれている。
日雲宮は後世においても特別な場所と考えられていたといえるだろう。

鹿嶋神社(甲賀市信楽町牧)
日雲神社の鳥居と、道をはさんで向き合って建っていたのが、鹿嶋神社。
日雲神社と何か関係があるのかもしれないが、詳しいことは分からなかった。
ちなみに日雲神社の鳥居から、雲井駐在所前まで徒歩(早足)で7分位で行ける。
なんとかバスには間に合った。貴生川駅まで戻り、貴生川から徒歩で笠山神社へ向かう。


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杣川(甲賀市水口町)
橋の上から見た杣川(そまがわ)は、とても静かだった。
この少し上流で、信楽高原鉄道の鉄橋の橋脚が流されたとは、とても思えない。
杣川の河川敷に沿って、甲賀市水口町高山の笠山神社へ、片道20分のウォーキング。
笠山神社には、倭姫命が笠をかけた杉(笠杉)の伝承が残っているのだ。

杣川の水神(甲賀市水口町)
笠山神社への道案内(甲賀市水口町)
水神様の碑に出会う。近くには笠山神社への道案内。向こうに草津線の踏切が見える。
ここから高山の集落へと入っていく。

花(甲賀市水口町高山にて)
笠山神社の竹林(甲賀市水口町高山)
花を見ながら歩く。中央の竹林の手前に笠山神社がある(緑の生垣の辺り)。

伝承に、倭姫命が天照大神を祀って鎮座地を探す道中、白笠をこの地の神木の杉に掛けた。
以来、笠山と呼ばれるようになったという。
「笠」が「瘡」(天然痘・疱瘡)に通じることから、古来より病気平癒の神として参拝されてきた。
そのため瘡山神社ともいわれる。最近は交通安全の守護としても知られている。
(参考:飯道山観光協会「飯道山系ハイキングマップ」)

笠山神社の二代目笠杉(甲賀市水口町高山)
実はこの笠杉、二代目である。先代は昭和55年に600年の木寿を終えている。
ただ、倭姫命が活躍したのは紀元前とされているので、600年では年代が合わない。
『近江山河抄』の刊行は昭和49年なので、白洲正子さんは先代を御覧になったらしい。

笠山神社境内(甲賀市水口町高山)
先代の笠杉の幹は、神社の奉安殿(写真左の建物)で大切に保管されている。

樹齢二千年といわれる大木で、私は未だかつてこのような立派な杉を見たことがない。ここでは杉が御神体で、笠山神社という小祠が建っているが、笠は瘡に通じることから、おできのお呪い(まじない)に利くとされているのも、民衆の信仰がうかがわれて面白い。
この辺はまだ発掘が行なわれていないが、裏の山には古墳群があり、倭姫の伝説も、笠杉も、土地の人々が大事にしたから残ったのであろう。
-白洲正子『近江山河抄』「鈴鹿の流れ星」

上乗寺(湖南市三雲)
貴生川から草津線に乗り、次の駅(三雲)で降りる。地名は甲賀市から湖南市三雲へ。
日雲・・・三雲・・・ご想像のとおり、地名の三雲は日雲から転じたと言われている。
三雲の上乗寺(じょうじょうじ)は、甲可日雲宮の伝承地のひとつである。

上乗寺(臨済宗)は、古くは雲野山天号寺と称したらしく、南禅寺仏燈国師の開山という。
この地の三雲定持らが壇徒だったが、織田信長が三雲城を攻めた際の兵火で焼失した。
その後、大厳が中興し、慶安元年(1648)木食回道が住み、観音山上乗寺と改めた。
元禄5年(1692)妙心寺に属したが、享和年間に火災にあい全焼した。
本寺はもと観音山北麓にあったが、今の地の神明宮境内に建立し、円通山上乗寺と改めた。
(甲西町(※平成2年当時)教育委員会設置の案内板より)

上乗寺の石仏(湖南市三雲)
上乗寺は、三雲駅から徒歩20分の竹林の中にある。
普段は無住の寺のようで、墓地の奥に本堂への山道が続いていた(通行は徒歩のみ可)。
石段は崩れかけていて、薄暗い。女性は一人で行かないほうがいいかもしれない。

上乗寺と庭園(湖南市三雲)
上乗寺本堂と庭園。
本堂の脇に車道があったが、しばらく人が来た気配が無かった。
町が設置した案内板は風雨にさらされ、一帯は空気が止まったみたいに静まり返っている。
あまり長居はできないと感じ、すぐに引き上げた。

夕方に近かったせいか、曇ってきたせいか分からないが、「気」は感じなかった。
全てのものが止まっているような、例えば軍艦島のような、と言えば表現できるだろうか。
人がいないという事と、長い間人や生き物が来た気配がない事は、まったく違う。
今回は最初に日雲神社へ伺ったから、対照的で、余計に強く感じたのかもしれない。

甲可日雲宮と倭姫命の伝承地は、いずこも独特の雰囲気を持っていた。
かなりの歴史もある。それゆえに甲乙つけがたいのが実感だった。
撮影していると、色々なものに出会う。色んな寺社に出会った半日だった。
(撮影日:2013年10月30日)

日雲の宮は大神宮の跡ではないかもしれないが、諸国に見られる太陽信仰の遺跡で、天照大神と同系であったことは確かである。現在は勅使野の上乗寺に、その跡が残っているが、宮居には絶好の場所のように見える。飯道山の西側、紫香楽の宮の近くにも、日雲神社があるが、飯道山は古くイイミチヤマと呼び、農耕民族が祀った神山であった。・・・山岳信仰も、[飯道山の]修験道も、ひいては[甲賀]忍者に及ぶまで、ひと筋につながる伝統のなかから発生した。
-白洲正子『近江山河抄』「鈴鹿の流れ星」

次回:鈴鹿の流れ星3(滋賀県甲賀市:飯道山と飯道神社)の予定です。


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