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2013年9月 9日 (月)

比良の暮雪3(小野氏ゆかりの地と曼陀羅山を歩く~中編:小野妹子神社(唐臼山古墳)からゼニワラ古墳、曼陀羅山古墳群)~白洲正子「近江山河抄」の舞台を歩く(38)

小野妹子神社の鳥居
遣隋使の小野妹子を祀った神社が、滋賀県大津市水明一丁目にある。
琵琶湖ローズタウンという住宅街の中にあり、小野駅からは徒歩15分圏。
神社の裏側は唐臼山古墳で、小野妹子公園という名の公園になっている。
小野神社から歩いて来たので、公園の入口が見つかりにくかった。

次の地図は、小野駅前にあった案内板を撮影し、歩いた行程を赤で示したもの。
小野周辺を訪ねる方の参考になれば幸いです。

小野駅周辺の地図
地図のほぼ中央、小野小学校のそばに、小野妹子神社がある。
小学校を右手に見ながら坂道を上がっていくと、左手に妹子公園の入口がある。
鳥居のある側ではなかったことと、神社の裏側に出たので、どうも裏口のようだ。

階段を登ると唐臼山古墳の看板とあずまやがあり、眼下に小野小学校と琵琶湖が見えた。
とはいえ、展望台からの眺めは住宅街に近くて、琵琶湖の写真は後日、小野駅で撮り直した。
小野妹子神社は、公園というより里山林になっていて、とても静かだった。

唐臼山古墳(小野妹子神社の裏側)
山道を左に進むと、小野妹子神社の裏側に出る。写真右側の丘が、唐臼山古墳。
妹子の墓とする説と、そうではないとする説があるようだ。

小野妹子は近江の小野出身で、飛鳥時代の政治家・遣隋使として知られる。
隋の皇帝・煬帝に「日出処天子」の国書を渡した使者が、妹子だったと言われている。
「天子」は中国の皇帝にしか使われない言葉だったため、煬帝はかなり立腹したらしい。

後日談を見ると、妹子は、煬帝の家臣である裴世清を連れて帰国している。
返書は盗まれて無くしたと言明する妹子に処罰は無く、再度遣隋使に任命されている。
そうするのが一番穏便だったようで、推古天皇や聖徳太子も了解していたという話もある。

ちなみに小野妹子神社には、外交官や駐在員の方の参拝が多いそうだ。

小野妹子神社
小野妹子神社(唐臼山古墳)

国道沿いの[小野]道風神社の手前を左に入ると、そのとっつきの山懐ろの岡の上に、大きな古墳群が見出される。[小野]妹子の墓と呼ばれる唐臼山古墳は、この岡の屋根つづきにあり、老松の根元に石室が露出し、大きな石がるいるいと重なっているのは、見るからに凄じい風景である。-白洲正子『近江山河抄』「比良の暮雪」

琵琶湖と沖島~奥島山(JR小野駅から撮影)
琵琶湖と三上山と田んぼ(JR小野駅から撮影)

眺めは素晴らしく、真野の入り江を眼下にのぞみ、その向うには三上山から湖東の連山、湖水に浮ぶ沖つ島山[沖島と長命寺・奥島山周辺]も見え、目近に比叡山がそびえる風景は、思わず嘆声を発してしまう。-白洲正子『近江山河抄』「比良の暮雪」

琵琶湖ローズタウン内、ゼニワラ古墳・和邇大塚山古墳への標識
小野妹子公園から、曼陀羅山(ゼニワラ古墳・和邇大塚山古墳)登り口へは、徒歩7分。
妹子神社の鳥居の近くに標識があり、西へ直進すればいい。

ローズタウンの中を歩いていくと、町名が大津市水明から大津市朝日に変わる。
目指すは、ゼニワラ古墳への上り口があるという「朝日2丁目」の集会所。

大津市朝日2丁目、ゼニワラ古墳・和邇大塚山古墳への標識
ゼニワラ古墳のあたり
ゼニワラ古墳案内板
朝日2丁目集会所の後ろに公園があり、ゼニワラ古墳への案内がある。
急な山道を数分登ると、ゼニワラ古墳の案内板とベンチがあった。
このあたりが古墳らしいが、それ以上のことは分からなかった。残念・・・

曼陀羅山にて、和邇大塚山古墳への標識
ゼニワラ古墳の先に、大塚山古墳への右矢印がある。
この先は道案内が何もなかったので、以下、目印を掲載。↓

曼陀羅山の尾根筋に出る目印(赤いリボン)
曼陀羅山の尾根筋に出る目印(赤いリボン)。しばらく上りが続く。
道の状態はよく、地元の方とすれ違った。普段から誰かが歩いている道のようだ。
10分ほど登ると、曼陀羅山の尾根筋に出た。

曼陀羅山の尾根筋から見た眺め(大津市緑町)
曼陀羅山の尾根筋から見た眺め。眼下は大津市緑町(真野北小の校区内)。
左は曼陀羅山(南側)。遠くに見える山の向こうは、京都の大原。

何度か書いているが、小野、堅田、真野を西へ行くと、大原につながる。
平安時代の古事に則り、堅田から下鴨神社に鮒を奉納する時も、大原を通って京都に出る。
この地は古くから、琵琶湖・近江と京都を結ぶ交通の要所だった。

古墳が多いということは、一方から言えば早くから文化が開けたことを示しておりとは、
白洲正子さんの言葉。(『近江山河抄』「比良の暮雪」より)

曼陀羅山の尾根筋から見た、真野北小学校付近の古墳
曼陀羅山の西側も住宅街になっていて、やはり町の中に古墳がある。
写真は真野北小学校付近の古墳で、曼陀羅山古墳群の一部である。
聞いてはいたけれど、実際目にすると、かなりの驚きだった。

8時半に小野神社前バス停から歩きだして、曼陀羅山の尾根筋に出たのが10時40分。
尾根筋を北へ歩いて、真野北小学校付近の古墳を撮影したのが10時44分。
この後、曼陀羅山(大津市真野普門町)を南へ縦走し、清風町南口のバス停まで歩いた。
※曼陀羅山古墳群の写真は、次回掲載します。

※古墳については以下の「大和國古墳墓取調室」のサイトに詳しく掲載されています。

▼曼陀羅山古墳群(※ゼニワラ古墳の石室の写真も掲載されています。)
http://obito1.web.fc2.com/sigatyoumandara.html

▼トピックス:大津市真野北小学校の児童たちが古墳を守る(2013年8月19日)
http://obito1.web.fc2.com/mandara13.html

次回予定:比良の暮雪4(曼陀羅山を歩く~後編:曼陀羅山古墳群・和邇大塚山古墳)


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