« 滋賀県甲賀市・油日神社の大宮ごもり(夜の祭事、夕刻から灯される千数百のあかりを撮影してきました) | トップページ | 比良の暮雪5(琵琶湖の西、小野から近江高島へ。JR湖西線の車窓の風景と、近江の厳島「白鬚神社」)~白洲正子「近江山河抄」の舞台を歩く(40) »

2013年9月17日 (火)

比良の暮雪4(小野氏ゆかりの地と曼陀羅山を歩く~後編:曼陀羅山古墳群・和邇大塚山古墳)~白洲正子「近江山河抄」の舞台を歩く(39)

琵琶湖と琵琶湖大橋、堅田の町と比叡山~曼陀羅山~比良山
琵琶湖大橋の上に、ふたこぶの丘のように見えるのが曼陀羅山だ。
背後は比叡山~比良山。


曼陀羅山北古墳群-1
前回に引き続き、曼陀羅山の尾根筋を「北」へ向かう。山道に石材が放置されていた。

曼陀羅山北古墳群-2
それが曼陀羅山北古墳群だった。横穴式石室が見えるので4号墳と思われる。

曼陀羅山北古墳群-3
曼陀羅山古墳群(まんだらやまこふんぐん)。
大津市真野普門の曼陀羅山丘陵付近に広がる、古墳時代後期の群集墳。
5群117基からなり、そのほとんどが横穴式石室をもつ円墳である。
なお、丘陵の最高所(標高191m)に「和邇大塚山古墳」(前方後円墳)がある。
出典:http://www.rekihaku.otsu.shiga.jp/jiten/data/017.html

曼陀羅山の尾根筋から見た、真野北小学校付近の古墳
眼下の住宅街の中に見えるのが、真野北小学校付近の古墳。
こちらも曼陀羅山古墳群の一つだ。
北古墳群のある場所からさらに北へ数分歩くと、木々の間に見えてくる。

曼陀羅山の尾根筋から見た、真野北小学校付近の古墳(ズーム)
真野北小学校の古墳をズームで撮影したもの。
小学校の北側に5基の古墳があり、小学校には2基が隣接している。

5基の古墳はすべて、調査後に取り壊される予定だったらしい。
小学校の2基は、生徒さんが市長に直訴して保存されることになったという。
詳しくは下記サイトで。

▼大津市真野北小学校の児童たちが古墳を守る
(2013年8月19日 大津市長さんが2基の保存を約束!)
http://obito1.web.fc2.com/mandara13.html

曼陀羅山の尾根筋
残暑の太陽が尾根筋に照りつける。比叡山に近いせいか、どこか神秘的な空気が漂う。
時間の関係で引き返したが、この先も北へ山道は続いていた。

引き返す途中で、地元のご夫婦らしき人とすれ違った。登山口が他にもあるらしい。
県が設置したらしい看板には、市民のために県が整備した山だと書いてあった。
所々に真野普門森林組合の看板が立っていて、手入れをされていることが分かる。

歩きながら思ったのは、たとえば霊山やスピリチュアルなものを探して
人は遠くへ行こうとするけど、
素晴らしい場所が意外な足元にあったりする。

それを掘り起こして撮っていこうというのが、このシリーズの始まりだった。

白洲正子さんの「近江山河抄」を手がかりに歩いてみようと思ったのは、なぜだろう。
この風景を、今のうちにきちんと撮影しておきたいと思ったことが大きい。
・・・
「近江山河抄」の風景は、現に消え行く風景になっていないだろうか。
消え行くことさえ気付かれないまま、静かに消えようとしている風景があるとしたら。
この風景を撮っておきたいと思った。近江(滋賀)は、私の故郷でもある。

-逢坂越1(蝉丸神社と逢坂山) ~白洲正子「近江山河抄」の舞台を歩く(1)

朝日2丁目(ゼニワラ古墳付近)から曼陀羅山の尾根筋に出る合流地点
朝日2丁目(ゼニワラ古墳付近)から尾根筋に出る合流地点が、このあたりだ。
今度はここから「南」へ向かう。

この先に和邇大塚山古墳の案内板があったが、劣化と泥汚れで読めなくなっていた。
石室はすでに破壊されていると聞いていたので、個人で探すのは難しそうだった。

和邇大塚山古墳(わにおおつかやまこふん)
曼陀羅山の山頂北側に築かれた前方後円墳(全長72m、後円部径50m)。
明治40年(1907)に地元住民によって発見されたが、そのときに石室は破壊されている。
鏡や勾玉、刀剣、甲冑、土器などの大量の副葬品が、後円部から発見されている。
築造年代は、古墳時代前期の半ばから後半と推定されている。
出典:http://www.rekihaku.otsu.shiga.jp/jiten/data/244.html

一番奥にあるのが大塚山古墳で、いずれ何がしの命の奥津城に違いないが、背後に比良山がのしかかるように迫り、無言のうちに彼ら[小野氏]が経て来た歴史を語っている。
-白洲正子『近江山河抄』「比良の暮雪」

小野駅周辺の地図
曼陀羅山を金毘羅宮まで歩いたが、大塚山古墳の案内板以外は見つからなかった。
貯水場の脇を抜け、右の道(高台へ続く舗装道)を行くと、金毘羅宮の裏に出てきた。
ここで郷土の偉人、豪恕(ごうじょ)上人のことを知る。

豪恕上人顕彰碑(大津市真野普門・金毘羅宮)
豪恕上人顕彰碑(大津市真野普門・金毘羅宮)。
豪恕(ごうじょ)上人は、曼陀羅山に金毘羅宮を開いた僧侶で、秦荘町(現・愛荘町)出身。
比叡山延暦寺で修行、寛永七年(1795)に大僧正となった人物だ。
水脈や水利に造詣が深く、普門村の溜め池の開発等に尽力したと伝わっている。

昔から、普門村は水利が悪く、経済的にも苦しかったという。
豪恕上人は地域が水に恵まれるよう、見晴らしがよく由緒ある曼陀羅山に金毘羅宮を勧請。
社を建てて、地域の繁栄を祈願したという。
この顕彰碑は文化十二年(1815)、上人が76才のときに建てられた。(没年は92才)
碑文の文字は、達筆で知られた上人の直筆といわれている。(碑文の案内板より)

曼陀羅山の金毘羅宮
曼陀羅山の金毘羅宮。
近くに見晴らしのいい場所があって、眼下に堅田のまちを一望できる。
金毘羅宮の前には、急坂な参道が一直線に続いていて、一気にかけ降りた。

曼陀羅山の金毘羅宮鳥居と参道
曼陀羅山の金毘羅宮入口の鳥居
曼陀羅山の金毘羅宮入口。目の前は住宅街で、清風町南口のバス停がすぐそばにある。
11時19分発、小野駅行きの江若バスに乗って、駅まで戻った。
琵琶湖ローズタウンの中の、ちょっとした冒険でした。

次回予定:比良の暮雪5(琵琶湖の西を、小野から近江高島へ。近江の厳島「白鬚神社」)


大きな地図で見る


« 滋賀県甲賀市・油日神社の大宮ごもり(夜の祭事、夕刻から灯される千数百のあかりを撮影してきました) | トップページ | 比良の暮雪5(琵琶湖の西、小野から近江高島へ。JR湖西線の車窓の風景と、近江の厳島「白鬚神社」)~白洲正子「近江山河抄」の舞台を歩く(40) »

2016年12月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
サイト内検索
ココログ最強検索 by 暴想

東日本大震災の記事を御覧の皆さまへ

このブログのご案内

  • ご訪問ありがとうございます♪

  • 風景写真家、アマナイメージズ契約作家。故郷滋賀の里山や寺社、各地の知られざる風景を撮影して歩いています。2007年12月から琵琶湖畔の町・堅田の写真を更新してきた写真ブログです。

  • ▼公式ホームページ(堅田を初めとする風景写真・自然写真を掲載しています) junphotoworks.com

    フェイスブックへのリンクは下記をご利用下さい。応援ありがとうございます!



  • Copyright(C)2007-2015.
    兼松 純(Jun Kanematsu)

    写真に電子透かしを使用しています。

    当ブログに掲載されている写真・画像・文章・イラストの無断複写、転載等の使用および二次使用を禁じます。
    No reproduction or republication without written permission.

    ■当ブログ掲載写真は、地域の方に楽しんでいただく作品発表の場として、2007年より掲載してきました。2014年には、祭事写真のために筆者(兼松)が書いた解説文を専門家が新聞コラムに無断使用する事態があり、弁護士相談の上で関係者各位に申し入れを行いました。 判断に迷うときは、事前にお問い合わせいただきますようお願いします。

    ■2014年春からアマナイメージズに作品の一部を預けています。 WEBに掲載していない作品もございますので、詳細はお問い合わせ下さい。

連絡先/Contact

堅田の町のご紹介

お気に入りサイト・ブログ

無料ブログはココログ