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2013年9月

2013年9月29日 (日)

写真ブログ「Katata/堅田」|【ななまちフリーマーケットのお知らせ】琵琶湖・浮御堂のそばで、2013/10/19(土)開催です。☆出店申込は10/4まで☆

 

 


第2回ななまちフリーマーケット(堅田旧本町商店街にて)

恒例の「ななまちフリーマーケット」のご案内です。
2013年(第6回)は10月に開催されます。現在、出店者を募集中です!(出店申込は10/4まで)

■日時:2013年10月19日(土)午前10時〜午後3時(雨天の場合、20日(日)に順延)

■場所:堅田旧本町商店街・十六夜公園(滋賀県大津市本堅田1丁目・2丁目)

■内容:フリーマーケットや模擬店の出店のほか、イベントも開催予定!

■主催:ななまちフリーマーケット実行委員会
(堅田本通り商店街・堅田中央商店街・出町繁栄会・浜通り商店街 合同事業)

■協力:大津北商工会(商業部会・観光サービス業部会・工業部会・建設業部会)

■お申込・お問合せ先:ななまちフリーマーケット実行委員会事務局
〒520-0242 大津市本堅田三丁目7-14(大津北商工会堅田支所内)
TEL:077-572-0425 FAX:077-572-1140
URL:http://www.otsukita-sci.com
MAIL:info#otsukita-sci.com(#を@に変えて使ってください)

<出店を希望される方へ>

■ブース:100コマ募集 (1コマのサイズ・・・ 間口2m×奥行1.5m)
■参加資格:18歳以上で当日(又は順延日)必ず参加できる方。
■出店料:1,500円 (模擬店は3,000円 当日受付にて領収)
■申込締切:10月4日(金) 但し、ブースが埋まり次第、応募を締切ります。

■出品物:手づくり雑貨、日用雑貨、リサイクル品等⇒どなたでも出品可
     農水産品⇒大津市北部地域にお住まいの方
     商品の展示・販売、事業所PR等⇒大津市北部地域で事業を営んでいる方
     模擬店(その場で加熱調理するもの⇒大津市北部地域で事業を営んでいる方

※ 大津市北部地域とは、小松・木戸・和邇・小野・葛川・伊香立・真野北・真野・堅田・仰木・仰木の里の11学区地域です。
※ 飲食物の販売は許可を受けている事業所のみ可。模擬店の届出は主催者側が行います。

■申込方法:参加申込書を実行委員会事務局(大津北商工会堅田支所内)までお持ち下さい。
(FAX・郵送・メールでの申込可。)

■大津北商工会のHPから、出店募集要項、出店申込書がダウンロードできます。
http://www.otsukita-sci.com/event.php?no=203

↓こちらは
2010年度(第3回)のチラシです。会場、駐車場の参考にしてください。
↓駐車場は、東洋紡前の「堅田観光駐車場」が確実です。
Nanamachi3rd2011


 


※冒頭に掲載した写真は2009年度(第2回)のものです。

堅田(滋賀県大津市)の写真 本堅田 no.317 2009.10.24 14:07
「第2回ななまちフリーマーケット(堅田旧本町商店街にて)」
Honkatata,Otsu,Shiga,Japan "Nanamachi flea market (2009) "
Photography by J.Kanematsu.October 24, 2009.


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【西村協ジャズコンサートのお知らせ】2008年度第24回「日本ジャズヴォーカル賞」大賞受賞、西村協さんのジャズコンサートです。出身地の堅田(滋賀県大津市)で、2013/10/11開催。

 


堅田出身のジャズシンガー、西村協さん。
2008年度第24回日本ジャズヴォーカル賞 大賞受賞。
2010年SWING JOURNAL JAPAN JAZZ READERS POLL第60回日本ジャズメン読者人気投票男性歌手部門 3位。

「寺内タケシとブルージーンズ」のヴォーカリストとして参加されたことがあり、海外公演も多数。
1980年のTBSテレビドラマ「離婚ともだち」の主題歌「シー・ユー・アゲイン」を歌っておられます。



2011年3月13日に予定されていた
「愛を歌うジャズコンサート」
は震災で延期となっていました。
「また詳しい事がわかれば、このブログでお知らせします。」とお知らせして、約2年半。

先日、十六夜の月を撮影しに出かけたら、浮御堂近くの掲示板でポスターを見つけました。
2013年10月、「愛を歌うジャズコンサート パート2」が、堅田で開催されるお知らせでした。

2013/10/11  西村協 愛を歌うジャズコンサート パート2のお知らせ

西村さんのファンの方には沢山ご訪問いただいていたので、お知らせできてよかったです!
ブログを御覧いただいている皆様に、ジャズコンサートについてお知らせします。

西村協 愛を歌うジャズコンサート パート2

■日時:2013年10月11日(金) 18:30~20:30(開場18:00)
■会場:日本キリスト教団 堅田教会(堅田ヴォーリズホール)
■所在地:滋賀県大津市堅田3丁目18-6

■入場整理券:前渡し¥1700、当日¥2000
■お問い合わせ:堅田教会(tel:077-572-0069)までお願いします。
西村 協 ジャズコンサート♪(堅田教会HP)

西村協さんのオフィシャルサイトはこちらです。 http://www.kyo-nishimura-vocal.com/

ヴォーリズ堅田教会 会場の堅田教会。
 ウィリアム・メレル・ヴォーリズによって、昭和5(1930)年に建てられた教会です。

 ■会場へのアクセス:
 堅田駅→江若交通・堅田町内循環バス乗車4分、
 堅田本町下車→堅田小学校の方向へ徒歩数分


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2013年9月26日 (木)

比良の暮雪6(近江高島:白鬚神社、鵜川四十八体石仏群、大溝城跡、乙女が池)~白洲正子「近江山河抄」の舞台を歩く(41)

 


白鬚神社と琵琶湖-2


白鬚神社といえば、琵琶湖の中に建つ鳥居で知られ、近江の厳島とも呼ばれている。

白洲正子さんは白鬚神社から、対岸の長命寺の方向を見たときの感想を述べている。
とても印象的な一節だったので、いつかこの風景を撮影したいと思ってきた。



湖水の中の鳥居に、すっぽりとはまりこんだ工合に、長命寺の岬が見え、沖の島が霞んでいる。その時私は、妙な気持がした。もしかすると、この鳥居は、向う側を遥拝するために造られたのではないか。

いや、そんな筈はない、とすぐ思い返したが、その印象がぜんぜん間違っていたとは思えない。鳥居は白鬚神社のものに違いないが、同時に、沖の島を遥拝する目的もあったので、比良の麓に居住した帰化人たちは、玄界灘の荒波をしのぎつつ、神の島に航海の無事を祈ったときの光景を、まざまざとそこに見たに相違ない。

・・・厳島神社の祭神も市杵島比売であるのを思う時、鳥居を水中に建てたことのほんとうの意味がわかるような気がする。-白洲正子『近江山河抄』「沖つ島山」

 

 

 


白鬚神社境内(例祭の日に)


白鬚神社は、桧皮葺の社殿が湖岸ぎりぎりに建ち、背後の山には社が並ぶ。

どこかエキゾチックなところがある神社で、以前からどう表していいか分からなかった。
白洲さんの『近江山河抄』を読んだとき、そうか・・・と、腑に落ちる感覚があった。

白鬚神社背後の社-1

白鬚神社背後の社-2

 



この神社も、古墳の上に建っており、山の上まで古墳群がつづいている。祭神は猿田彦神ということだが、上の方には社殿があって、その背後に、大きな石室が口を開けている。御幣や注連縄まではってあるのは、ここが白鬚の祖先の墳墓に違いない。-白洲正子『近江山河抄』「比良の暮雪」

 


白鬚神社社殿(例祭の日、神楽の受付)


9月5日の例祭に撮影させていただいたもの。この日は特別に神楽の受付をしていた。

案内板に書かれていた謡曲「白鬚」の世界を彷彿させる風景だった。

謡曲「白鬚」の案内板(白鬚神社)

 



お能にも「白鬚」という曲がある。・・・社伝と共通するのは、高齢の老人が、湖水で釣りをしていることで、そういう姿が、白鬚の神を象徴したことは確かである。[土地をゆずってくれないかと交渉した]釈迦はいうまでもなく仏教の代表者で、[翁が、六千年も前から、この山の主として住んでいるので、釣りをする場所がなくなるからいやだといって]土地をゆずることを拒んだのは、そこに何らかの抵抗があったことを暗示している。

白鬚神社の建つ岬を、「権現崎」と呼ぶが、その北には安曇(あど)川の三角州がつき出ており、古くは安曇(あずみ)族の根拠地であった。彼らがどこから来たか不明だが、漁業に携わる特殊な集団で、越前の方から流れついた外来民族ではないかといわれている。
-白洲正子『近江山河抄』「比良の暮雪」

 




白鬚神社と琵琶湖-3

白鬚の翁について、白洲さんは興味深い考察をしている。

大津市にある三井寺の「新羅明神」と、石山寺縁起絵巻の「比良明神」に類似性を見出す。
三井寺の新羅明神も老人の姿をしており、シラヒゲはシラギの訛ったものではないかという。
そして何より、比良明神は白鬚神社の別名である。

比良明神影向石(石山寺)


石山寺縁起絵巻では、比良明神は釣りをする老人の姿で現われ、近江の地主と名乗る。

写真は比良明神が座っていたという「比良明神影向石」(ようごうせき)で、石山寺で撮影。

石山寺の開祖・良弁僧正は、大仏建立に必要な黄金の調達を聖武天皇に命じられる。
お告げの地を求めて石山を訪れた良弁に、この地が霊地だと教えた老人が比良明神である。
ここでも釣りをする翁は、自分の土地を提供しようとはいわぬと白洲さんは指摘する。

 



もし私が想像したように、比良山が黄泉比良坂であるならば、・・・たとえ仏僧といえども、近づくことを拒否する禁足地であった。そういうことを思い合わせると、白鬚の神の勢力は、比良山の東側だけでなく、遠く湖南の方まで及んでいたことがわかる。-白洲正子『近江山河抄』「比良の暮雪」

 


秋の澄み切った青空と琵琶湖


白鬚神社例祭の日は、地元の方も声をあげるほどの澄み切った青空と湖面だった。

琵琶湖を撮影した後、歩いて鵜川四十八体石仏群へと向かった。

鵜川四十八体石仏群の入口


白鬚神社の前を通る西近江路を10分程歩くと、鵜川四十八体石仏群の入口がある。

この山沿いの古道が「西近江路」(北陸道)の旧道で、往時の面影を残している。
道路は車が一台通れるくらいの幅で、すれ違いは難しそうだった。
撮影したのは9月初めだったので、林の中ではセミが鳴き、沢山のトンボが飛んでいた。

鵜川四十八体石仏群-1


しばらく歩くと、目の前に突然墓地が現われ、たくさんの石仏が並んでいた。圧倒された。


鵜川四十八体石仏群-2


鵜川四十八体石仏群。花崗岩で作られた、室町時代の阿弥陀如来石像である。


以前ご紹介した近江佐々木氏の一族で、安土の観音寺城の城主・六角義賢が、
母の菩提を弔うため、母の郷里である鵜川の地に、天文22年(1553年)に作ったとされる。

このうち十三体は、江戸時代初めに大津市坂本の慈眼堂に移されている。
また二体は、昭和62年10月に盗難に遭い、鵜川に残るは三十三体である。

慈眼堂の阿弥陀如来石像案内板
慈眼堂の阿弥陀如来石像


写真は、坂本の慈眼堂に移された阿弥陀如来石像。(後ろは穴太積の石垣。)


万葉の句碑(鵜川四十八体石仏群付近)-1


鵜川の旧道を進むと、白鬚浜水泳場の前で車道と合流する。万葉の句碑が置いてあった。

「思いつつ来れど来かねて水尾が崎 真長の浦をまだかへり見つ」

作者が北陸から都に帰る船旅の途中に、真長の浦の風光にひかれて詠んだ歌だとある。
勝野で知り合った人が思い出され、水尾が崎を回りかねているとも読める。
(勝野=現在の滋賀県高島市勝野)

万葉の句碑(鵜川四十八体石仏群付近)-2

高島市勝野は、764年の恵美押勝の乱の戦場になったところである。
恵美押勝(藤原仲麻呂)が孝謙天皇の軍勢に攻められ壊滅したのが、「勝野の鬼江」。
「勝野の鬼江」があったのが、現在の「乙女が池」のあたりだといわれている。
鵜川から西近江路を離れて勝野に入ると、乙女が池が広がっている。

乙女が池と柳と太鼓橋


乙女が池。琵琶湖の内湖で、琵琶湖とつながっている。

太鼓橋と柳の木に風情があり、時代劇のロケ地にできるような雰囲気だ。

乙女が池と民家


乙女が池は、池というよりは小さな湖で、民家の向こうには琵琶湖が広がっている。

歴史の愛好家や釣り人がよく訪れる。ここから近江高島の駅まで徒歩10分ほどだ。

大溝城跡-1


乙女が池の隣にあるのが、大溝城跡。今は本丸跡の石垣が残るのみである。

織田信長が安土城を築いた頃、対岸の高島に築かれたのが、大溝城だった。
琵琶湖と内湖を巧みに取り込んで築いた水城で、明智光秀の設計と伝わっている。

大溝城跡-2


天承六年(1578)、信長は、甥の織田信澄(のぶずみ)を大溝城主とした。

ところが信澄は光秀の娘を妻としていたため、本能寺の変の後、嫌疑をかけられて自害。
後に城主となったのが、以前墓所(徳源院)をご紹介した京極高次である。
高次の正室がお初(浅井三姉妹の次女)で、お初は大溝城で新婚生活を送った。

万葉の句碑と三尾山(乙女が池付近)


乙女が池の太鼓橋の前に、万葉の句碑がある。

「大船の香取の海に碇おろし いかなる人か物思はざらむ」

高島の地は、古くから西近江路(北陸道)と若狭路との分岐点で、水陸交通の要衝だった。
今から1300年前の万葉の時代、琵琶湖は山麓に向かって湾入し、大きな入り江を作った。
それが現在の乙女が池である。歌に詠まれている「香取の海」は乙女が池一帯をさしている。
写真前方に見える山が「三尾山」で、672年の壬申の乱の戦場となった。

万葉の句碑と三尾山

高島は美しいまちで、何度も訪ねている。また必ず伺います。(撮影日:2013年9月5日)
※「比良の暮雪」シリーズは、台風18号の被害地域が落ち着くのを待って再開します。


次回予定:鈴鹿の流れ星1(甲賀市甲南町竜法師:忍者の里の秋)



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2013年9月23日 (月)

芭蕉も愛でた【琵琶湖畔、堅田・十六夜の月】と浮御堂(2013年9月20日撮影) ~the most beautiful place 066-068、Ukimido/浮御堂 074-075 #shiga #japan #photo

 


琵琶湖岸の夕暮れ(2013年9月20日、本堅田)-1

台風18号が接近した日から、今日でちょうど1週間。
滋賀県内の数ヶ所を回りましたが、各地でいろんな影響が出ていました。
20日に訪ねた本堅田の琵琶湖岸は、水が押し寄せて写真のようになっていました。
(湖畔のベンチが箱舟のように見えます。)正面は三上山。美しい夕暮れでした。

琵琶湖岸の夕暮れ(2013年9月20日、本堅田)-2

浮御堂北湖岸では、十六夜公園へ続く湖岸の遊歩道が冠水していました。
写真の左奥に、普段なら道が見えるのですが・・・こんな状態を見たのは初めてでした。
公園へ向かうには商店街から回るしかなく、19時からのイベントは失礼させて頂く事に。

琵琶湖岸の夕暮れ(2013年9月20日、本堅田)-3

堅田に着いて、こちらの浜辺はどうなのか気になって、走って見に行きました。
「おとせの石」は大丈夫でした。
まるで夕日を眺めるかのような、おとせさん(おとせの石)の後姿です。

琵琶湖岸の夕暮れ(2013年9月20日、本堅田)-4

そして、本堅田の琵琶湖岸の夕暮れ。

この日の翌日は、対岸の烏丸半島(草津市)でロックフェスティバルが予定されており
(西川貴教さんのイナズマロックフェスティバルです)、
そのリハーサルらしい音が17時過ぎまで聞こえていました。

浮御堂の夕暮れ(2013年9月20日、本堅田)

浮御堂の周りも暮れていきます。
夕暮れ時の一瞬というのは、撮影していると結構長く感じます。
留学生らしい学生さん数人と、アマチュアカメラマンの男性2人と一緒になりました。



夕暮れから、40分後。浮御堂の右に、見事な十六夜の月が出ました。
元禄4年(1691)8月16日、芭蕉は、堅田の竹内茂兵衛成秀の家で俳句の席を催しました。
ちょうど十六夜の日の夜で、俳文「堅田十六夜の弁」として書き残しています。

鎖(じょう)明けて 月さし入れよ 浮御堂(芭蕉)

19時過ぎに学生さんたちが帰り、カメラマンの方も一人また一人と帰り、ひとりで撮影です。
2011年のときのようなライトアップがなかったので、条件をいろいろ変えて撮ってみました。



帰りの堅田駅ホームには、マンションの上に、十六夜の月が煌々と出ていました。
こうして、先日の油日神社に引き続き、夜間の撮影(第二弾)は無事に終わりました。

油日神社の大宮ごもり-1
ちなみに油日神社の大宮ごもりの日(9月13日)は、上弦の月でした。
一番怖いと思うことをやってみる、それで一歩一歩進んでいくしかないのだろうな。


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2013年9月19日 (木)

琵琶湖畔【十六夜お月見イベント】のお知らせ(近江八景「浮御堂」近く・滋賀県大津市本堅田「十六夜公園」にて。2013/9/20(金)19時開演)

 


Horoyoi_2011091


この写真は、2年前のお月見イベントの夜(2011年9月13日・十六夜)に撮影しました。

写真中央、ステージの向こうに見える赤い光は、堅田港の防波堤にある小さな灯台の光です。
背後はすぐ琵琶湖で、琵琶湖大橋の明かりだけが見える、とても静かな夜でした。

撮影地は、堅田港・堅田水上派出所の南隣にある、十六夜公園(滋賀県大津市本堅田)。
浮御堂から歩いて5分くらいのところにあります。

公園の名は、「十六夜」の日に松尾芭蕉が堅田でお月見の会をしたことにちなみます。
「堅田十六夜の弁」という俳文として残っており、十六夜公園には全文の句碑があります。

このイベントの名前も、芭蕉にちなんで「月見酒ほろよいシンポジウム」になっていますが、
ジュースやお茶を飲みながら、生演奏を楽しんだりお話を伺ったりする、ゆったりイベントです。
(お酒、缶ビールもあります^^)

主催者様から今年のご案内をいただきましたので、皆様にご案内させていただきます。
お近くの方はぜひどうぞ。

台風18号の被害はないか地元の方にお尋ねしたところ、大丈夫ですとのお返事でした。
会場等に変更はありませんとのことです。


第22回月見酒ほろよいシンポジウム(2013/9/20開催) title=


堅田湖族の郷主催 第22回月見酒ほろよいシンポジウム

日時 2013年9月20日(金) 午後7時より
場所 琵琶湖畔「十六夜公園」(堅田港・堅田水上派出所の南隣)
※午後5時の時点で雨天の場合は「堅田なぎざ苑」にて開催します。

☽「堅田十六夜の辨」朗詠
☽ほろよい特別体感講座「これが江州音頭だ」(お話と音頭:志賀国天寿さん)

会費 おひとり(飲み物とも)¥1000
※チケットは当日会場でお求めいただけます。

お問い合わせ 湖族の郷資料館(電話077-574-1685)

アクセス 京都駅よりJR湖西線で約20分、堅田駅下車。
堅田駅より江若バス堅田町内循環線で約5分、「堅田出町」下車。
湖岸方面(東洋紡・堅田高校の反対方向)へ徒歩約10分。


雨天時の会場・堅田なぎざ苑 ※十六夜公園は都久生須麻神社のそばです。

大きな地図で見る

▼「堅田十六夜の弁全文」はこちらの後半に掲載しています。
http://katata.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/katata201210119.html


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2013年9月18日 (水)

比良の暮雪5(琵琶湖の西、小野から近江高島へ。JR湖西線の車窓の風景と、近江の厳島「白鬚神社」)~白洲正子「近江山河抄」の舞台を歩く(40)

 


小野駅前の風景(三上山と琵琶湖、国道161号線)


琵琶湖の西を走るJR湖西線。小野から先は琵琶湖が迫り、美しい風景が広がる。

最初の写真は小野駅にて撮影。左から三上山と琵琶湖、併走して走る国道161号線。
この9月から解体の始まる観覧車(イーゴス108)も見えている。
今回は、白鬚神社の最寄り駅である近江高島までの風景を中心に、お届けします。

 



小野から先は平地がせばまり、国道は湖水のふちを縫って行く。ここから白鬚神社のあたりまで、湖岸は大きく湾曲し、昔は「比良の大話太」と呼ばれた。小さな川をいくつも越えるが、それらの源はすべて比良の渓谷に発し、権現谷、法華谷、金毘羅谷等々、仏教に因んだ名前が多い。-白洲正子『近江山河抄』「比良の暮雪」

 


JR湖西線の車窓から(小野~和邇)

小野~和邇で撮影。
小野から先は、対岸の奥島山(近江八幡市・長命寺周辺)がよく見える。

JR湖西線の車窓から(和邇~蓬莱)

和邇(わに)~蓬莱(ほうらい)で撮影。

JR湖西線の車窓から(蓬莱~志賀)

蓬莱~志賀で撮影。

JR湖西線の車窓から(比良駅)

比良駅で撮影。

JR湖西線の車窓から(比良~近江舞子)

比良~近江舞子(おうみまいこ)で撮影。

JR湖西線の車窓から(近江舞子駅)

近江舞子駅で撮影。

JR湖西線の車窓から(近江舞子~北小松)

近江舞子~北小松で撮影。

JR湖西線の車窓から(北小松~近江高島-1)

北小松~近江高島で撮影。

JR湖西線の車窓から(北小松~近江高島-2)

この先はトンネルに入ってしまうので、JRの車窓から白鬚神社を見ることはできない。

白鬚神社と琵琶湖


こちらが近江の厳島こと、白鬚神社。

神社の前を「西近江路」が走り、付近には万葉集の舞台となった乙女が池がある。
9月5日の白鬚神社例祭の日に、歴史の町・近江高島を歩いた。(次回へ続く)
(撮影日:2013年9月5日)

 



白鬚神社は、街道とぎりぎりの所に社殿が建ち、鳥居は湖水の中にはみ出てしまっている。
・・・が、それははみ出たわけではなく、祭神がどこか遠くの、海のかなたから来たことの記憶を止めているのではあるまいか。
・・・
白鬚神社の建つ岬を、「権現崎」と呼ぶが、その北には安曇(あど)川の三角州がつき出ており、古くは安曇(あずみ)族の根拠地であった。彼らがどこから来たか不明だが、漁業に携わる特殊な集団で、越前の方から流れついた外来民族ではないかといわれている。
-白洲正子『近江山河抄』「比良の暮雪」

 



次回:比良の暮雪6(近江高島:白鬚神社、鵜川四十八体石仏群、大溝城跡、乙女が池)



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2013年9月17日 (火)

比良の暮雪4(小野氏ゆかりの地と曼陀羅山を歩く~後編:曼陀羅山古墳群・和邇大塚山古墳)~白洲正子「近江山河抄」の舞台を歩く(39)

 


琵琶湖と琵琶湖大橋、堅田の町と比叡山~曼陀羅山~比良山


琵琶湖大橋の上に、ふたこぶの丘のように見えるのが曼陀羅山だ。
背後は比叡山~比良山。


曼陀羅山北古墳群-1


前回に引き続き、曼陀羅山の尾根筋を「北」へ向かう。山道に石材が放置されていた。


曼陀羅山北古墳群-2


それが曼陀羅山北古墳群だった。横穴式石室が見えるので4号墳と思われる。


曼陀羅山北古墳群-3


曼陀羅山古墳群(まんだらやまこふんぐん)。

大津市真野普門の曼陀羅山丘陵付近に広がる、古墳時代後期の群集墳。
5群117基からなり、そのほとんどが横穴式石室をもつ円墳である。
なお、丘陵の最高所(標高191m)に「和邇大塚山古墳」(前方後円墳)がある。
出典:http://www.rekihaku.otsu.shiga.jp/jiten/data/017.html

曼陀羅山の尾根筋から見た、真野北小学校付近の古墳


眼下の住宅街の中に見えるのが、真野北小学校付近の古墳。

こちらも曼陀羅山古墳群の一つだ。
北古墳群のある場所からさらに北へ数分歩くと、木々の間に見えてくる。

曼陀羅山の尾根筋から見た、真野北小学校付近の古墳(ズーム)


真野北小学校の古墳をズームで撮影したもの。

小学校の北側に5基の古墳があり、小学校には2基が隣接している。

5基の古墳はすべて、調査後に取り壊される予定だったらしい。
小学校の2基は、生徒さんが市長に直訴して保存されることになったという。
詳しくは下記サイトで。

▼大津市真野北小学校の児童たちが古墳を守る
(2013年8月19日 大津市長さんが2基の保存を約束!)
http://obito1.web.fc2.com/mandara13.html

曼陀羅山の尾根筋


残暑の太陽が尾根筋に照りつける。比叡山に近いせいか、どこか神秘的な空気が漂う。

時間の関係で引き返したが、この先も北へ山道は続いていた。

引き返す途中で、地元のご夫婦らしき人とすれ違った。登山口が他にもあるらしい。
県が設置したらしい看板には、市民のために県が整備した山だと書いてあった。
所々に真野普門森林組合の看板が立っていて、手入れをされていることが分かる。

歩きながら思ったのは、たとえば霊山やスピリチュアルなものを探して
人は遠くへ行こうとするけど、
素晴らしい場所が意外な足元にあったりする。

それを掘り起こして撮っていこうというのが、このシリーズの始まりだった。



白洲正子さんの「近江山河抄」を手がかりに歩いてみようと思ったのは、なぜだろう。
この風景を、今のうちにきちんと撮影しておきたいと思ったことが大きい。
・・・
「近江山河抄」の風景は、現に消え行く風景になっていないだろうか。
消え行くことさえ気付かれないまま、静かに消えようとしている風景があるとしたら。
この風景を撮っておきたいと思った。近江(滋賀)は、私の故郷でもある。

-逢坂越1(蝉丸神社と逢坂山) ~白洲正子「近江山河抄」の舞台を歩く(1)

 


朝日2丁目(ゼニワラ古墳付近)から曼陀羅山の尾根筋に出る合流地点


朝日2丁目(ゼニワラ古墳付近)から尾根筋に出る合流地点が、このあたりだ。

今度はここから「南」へ向かう。

この先に和邇大塚山古墳の案内板があったが、劣化と泥汚れで読めなくなっていた。
石室はすでに破壊されていると聞いていたので、個人で探すのは難しそうだった。

和邇大塚山古墳(わにおおつかやまこふん)
曼陀羅山の山頂北側に築かれた前方後円墳(全長72m、後円部径50m)。
明治40年(1907)に地元住民によって発見されたが、そのときに石室は破壊されている。
鏡や勾玉、刀剣、甲冑、土器などの大量の副葬品が、後円部から発見されている。
築造年代は、古墳時代前期の半ばから後半と推定されている。
出典:http://www.rekihaku.otsu.shiga.jp/jiten/data/244.html



一番奥にあるのが大塚山古墳で、いずれ何がしの命の奥津城に違いないが、背後に比良山がのしかかるように迫り、無言のうちに彼ら[小野氏]が経て来た歴史を語っている。
-白洲正子『近江山河抄』「比良の暮雪」

 


小野駅周辺の地図


曼陀羅山を金毘羅宮まで歩いたが、大塚山古墳の案内板以外は見つからなかった。

貯水場の脇を抜け、右の道(高台へ続く舗装道)を行くと、金毘羅宮の裏に出てきた。
ここで郷土の偉人、豪恕(ごうじょ)上人のことを知る。

豪恕上人顕彰碑(大津市真野普門・金毘羅宮)


豪恕上人顕彰碑(大津市真野普門・金毘羅宮)。

豪恕(ごうじょ)上人は、曼陀羅山に金毘羅宮を開いた僧侶で、秦荘町(現・愛荘町)出身。
比叡山延暦寺で修行、寛永七年(1795)に大僧正となった人物だ。
水脈や水利に造詣が深く、普門村の溜め池の開発等に尽力したと伝わっている。

昔から、普門村は水利が悪く、経済的にも苦しかったという。
豪恕上人は地域が水に恵まれるよう、見晴らしがよく由緒ある曼陀羅山に金毘羅宮を勧請。
社を建てて、地域の繁栄を祈願したという。
この顕彰碑は文化十二年(1815)、上人が76才のときに建てられた。(没年は92才)
碑文の文字は、達筆で知られた上人の直筆といわれている。(碑文の案内板より)

曼陀羅山の金毘羅宮


曼陀羅山の金毘羅宮。

近くに見晴らしのいい場所があって、眼下に堅田のまちを一望できる。
金毘羅宮の前には、急坂な参道が一直線に続いていて、一気にかけ降りた。

曼陀羅山の金毘羅宮鳥居と参道

曼陀羅山の金毘羅宮入口の鳥居


曼陀羅山の金毘羅宮入口。目の前は住宅街で、清風町南口のバス停がすぐそばにある。

11時19分発、小野駅行きの江若バスに乗って、駅まで戻った。
琵琶湖ローズタウンの中の、ちょっとした冒険でした。


次回予定:比良の暮雪5(琵琶湖の西を、小野から近江高島へ。近江の厳島「白鬚神社」)



大きな地図で見る


続きを読む "比良の暮雪4(小野氏ゆかりの地と曼陀羅山を歩く~後編:曼陀羅山古墳群・和邇大塚山古墳)~白洲正子「近江山河抄」の舞台を歩く(39)" »

2013年9月14日 (土)

滋賀県甲賀市・油日神社の大宮ごもり(夜の祭事、夕刻から灯される千数百のあかりを撮影してきました)

 


油日神社の大宮ごもり-1

きのうの夜は、三重県に近い油日(滋賀県甲賀市)に行ってきました。

油日神社の大宮ごもり-2


油日神社の大宮ごもりは、9月11日に油日岳山頂で徹夜で神火を焚き、
13日夕方から深夜まで神社で灯明を点し、油の神様に祈祷をする祭事です。
13日の18時前から千数百の灯明が点され、境内や参拝者を照らします。

油日神社の大宮ごもり-3

油日神社の大宮ごもり-4

油日神社の大宮ごもり-5

油日神社の大宮ごもり-6

油日神社の大宮ごもり-7


以前昼間の撮影で、後ろから腕をつかまれて暴言を吐かれたことがあり、
男性カメラマンがたくさん集まる場所や、夜の撮影は控えていました。
いつまでも抱えているのは嫌だったので、思い切って行ってきました。

三脚担いで、蒸し暑い中を大汗かいて歩くのは、撮影が好きなので苦になりません。
だから、行けない事のほうが苦しかったです。

草津駅でJR草津線に乗り換えて、油日駅まで42分。
油日神社までは、駅から徒歩で30分。
駅は無人駅で、道中もほとんど人に会いませんでした。
田んぼと民家の点在する一本道で、帰りは真っ暗です。

いつもはこういう撮影の仕方はしないのだけれど、
そうしなければいけないときもあります。

大宮ごもりは、白洲正子さんの『近江山河抄』にも出てくる大事な場面。
油日神社は映画『大奥』の撮影にも使われた素晴らしい神社だと聞いていたので、
ぜひ伺いたいと思い、実現した撮影となりました。

今回も地元の方にご協力いただき、無事に乗り切ることができました。
行ってよかったと、心の底から思います。(撮影日:2013年9月13日)

油日神社の大宮ごもり-8

油日神社の大宮ごもり-9

油日神社の大宮ごもり-10


『近江山河抄を歩く』シリーズは、大津市真野普門の曼陀羅山(古墳)の後編に続きます。

2013年9月に、
・高島市(近江の厳島「白鬚神社」、鵜川四十八体石仏群、大溝城跡、乙女が池)
・甲賀市甲南町(忍者の里・竜法師「甲賀流忍術屋敷」、和邇氏の姫を祀る「矢川神社」)
・甲賀市油日(油の神様「油日神社」など)を、撮影済みです。
※今回の写真は改めて、シリーズの中でご紹介します。

今後、
・高島市安曇川(彦主人王御陵と鴨稲荷山古墳、近江聖人「中江藤樹」ゆかりの地)
・大津市葛川(明王院)
・修験道の山「飯道山」と紫香楽宮跡などを、撮影予定です。

UPまでしばらくお待ち下さい。

油日神社の大宮ごもり-11


☆光を中心に撮る場合の、夜景撮影のコツ(※花火や星空も基本的に同じです)

設定

・MF/マニュアルフォーカス(※一眼レフレンズのAF,MFの切り替えも忘れずに)
・ISO100~200(※大きくても400くらいまで)
・F値は8程度
・BULB/バルブ撮影(※一眼レフカメラの使用説明書に設定方法が書いてあります)
・カメラのノイズ低減機能をオンにする(※同上)
・三脚を使う(※使えない場合は、カメラを本の上に置く等固定するか、ISO1600以上にする)

実践

・露出を液晶画面等で確認しながら、シャッタースピード10秒程度で撮ってみる。
(花火だと5秒程度で構いません。)
・周囲の明るさや被写体により違ってくるので、設定を変えて何度も撮影する。
・沢山撮って、場数を重ねて、感覚を掴んでください。


続きを読む "滋賀県甲賀市・油日神社の大宮ごもり(夜の祭事、夕刻から灯される千数百のあかりを撮影してきました)" »

2013年9月 9日 (月)

比良の暮雪3(小野氏ゆかりの地と曼陀羅山を歩く~中編:小野妹子神社(唐臼山古墳)からゼニワラ古墳、曼陀羅山古墳群)~白洲正子「近江山河抄」の舞台を歩く(38)

 


小野妹子神社の鳥居

遣隋使の小野妹子を祀った神社が、滋賀県大津市水明一丁目にある。
琵琶湖ローズタウンという住宅街の中にあり、小野駅からは徒歩15分圏。
神社の裏側は唐臼山古墳で、小野妹子公園という名の公園になっている。
小野神社から歩いて来たので、公園の入口が見つかりにくかった。

次の地図は、小野駅前にあった案内板を撮影し、歩いた行程を赤で示したもの。
小野周辺を訪ねる方の参考になれば幸いです。

小野駅周辺の地図

地図のほぼ中央、小野小学校のそばに、小野妹子神社がある。
小学校を右手に見ながら坂道を上がっていくと、左手に妹子公園の入口がある。
鳥居のある側ではなかったことと、神社の裏側に出たので、どうも裏口のようだ。

階段を登ると唐臼山古墳の看板とあずまやがあり、眼下に小野小学校と琵琶湖が見えた。
とはいえ、展望台からの眺めは住宅街に近くて、琵琶湖の写真は後日、小野駅で撮り直した。
小野妹子神社は、公園というより里山林になっていて、とても静かだった。

唐臼山古墳(小野妹子神社の裏側)

山道を左に進むと、小野妹子神社の裏側に出る。写真右側の丘が、唐臼山古墳。
妹子の墓とする説と、そうではないとする説があるようだ。

小野妹子は近江の小野出身で、飛鳥時代の政治家・遣隋使として知られる。
隋の皇帝・煬帝に「日出処天子」の国書を渡した使者が、妹子だったと言われている。
「天子」は中国の皇帝にしか使われない言葉だったため、煬帝はかなり立腹したらしい。

後日談を見ると、妹子は、煬帝の家臣である裴世清を連れて帰国している。
返書は盗まれて無くしたと言明する妹子に処罰は無く、再度遣隋使に任命されている。
そうするのが一番穏便だったようで、推古天皇や聖徳太子も了解していたという話もある。

ちなみに小野妹子神社には、外交官や駐在員の方の参拝が多いそうだ。

 

小野妹子神社
小野妹子神社(唐臼山古墳)



国道沿いの[小野]道風神社の手前を左に入ると、そのとっつきの山懐ろの岡の上に、大きな古墳群が見出される。[小野]妹子の墓と呼ばれる唐臼山古墳は、この岡の屋根つづきにあり、老松の根元に石室が露出し、大きな石がるいるいと重なっているのは、見るからに凄じい風景である。-白洲正子『近江山河抄』「比良の暮雪」

 

琵琶湖と沖島~奥島山(JR小野駅から撮影)
琵琶湖と三上山と田んぼ(JR小野駅から撮影)



眺めは素晴らしく、真野の入り江を眼下にのぞみ、その向うには三上山から湖東の連山、湖水に浮ぶ沖つ島山[沖島と長命寺・奥島山周辺]も見え、目近に比叡山がそびえる風景は、思わず嘆声を発してしまう。-白洲正子『近江山河抄』「比良の暮雪」

 


琵琶湖ローズタウン内、ゼニワラ古墳・和邇大塚山古墳への標識

小野妹子公園から、曼陀羅山(ゼニワラ古墳・和邇大塚山古墳)登り口へは、徒歩7分。
妹子神社の鳥居の近くに標識があり、西へ直進すればいい。

ローズタウンの中を歩いていくと、町名が大津市水明から大津市朝日に変わる。
目指すは、ゼニワラ古墳への上り口があるという「朝日2丁目」の集会所。

大津市朝日2丁目、ゼニワラ古墳・和邇大塚山古墳への標識

ゼニワラ古墳のあたり

ゼニワラ古墳案内板
朝日2丁目集会所の後ろに公園があり、ゼニワラ古墳への案内がある。
急な山道を数分登ると、ゼニワラ古墳の案内板とベンチがあった。
このあたりが古墳らしいが、それ以上のことは分からなかった。残念・・・

曼陀羅山にて、和邇大塚山古墳への標識

ゼニワラ古墳の先に、大塚山古墳への右矢印がある。
この先は道案内が何もなかったので、以下、目印を掲載。↓

曼陀羅山の尾根筋に出る目印(赤いリボン)

曼陀羅山の尾根筋に出る目印(赤いリボン)。しばらく上りが続く。
道の状態はよく、地元の方とすれ違った。普段から誰かが歩いている道のようだ。
10分ほど登ると、曼陀羅山の尾根筋に出た。

曼陀羅山の尾根筋から見た眺め(大津市緑町)

曼陀羅山の尾根筋から見た眺め。眼下は大津市緑町(真野北小の校区内)。
左は曼陀羅山(南側)。遠くに見える山の向こうは、京都の大原。

何度か書いているが、小野、堅田、真野を西へ行くと、大原につながる。
平安時代の古事に則り、堅田から下鴨神社に鮒を奉納する時も、大原を通って京都に出る。
この地は古くから、琵琶湖・近江と京都を結ぶ交通の要所だった。

古墳が多いということは、一方から言えば早くから文化が開けたことを示しておりとは、
白洲正子さんの言葉。(『近江山河抄』「比良の暮雪」より)

曼陀羅山の尾根筋から見た、真野北小学校付近の古墳

曼陀羅山の西側も住宅街になっていて、やはり町の中に古墳がある。
写真は真野北小学校付近の古墳で、曼陀羅山古墳群の一部である。
聞いてはいたけれど、実際目にすると、かなりの驚きだった。

8時半に小野神社前バス停から歩きだして、曼陀羅山の尾根筋に出たのが10時40分。
尾根筋を北へ歩いて、真野北小学校付近の古墳を撮影したのが10時44分。
この後、曼陀羅山(大津市真野普門町)を南へ縦走し、清風町南口のバス停まで歩いた。
※曼陀羅山古墳群の写真は、次回掲載します。

※古墳については以下の「大和國古墳墓取調室」のサイトに詳しく掲載されています。

▼曼陀羅山古墳群(※ゼニワラ古墳の石室の写真も掲載されています。)
http://obito1.web.fc2.com/sigatyoumandara.html

▼トピックス:大津市真野北小学校の児童たちが古墳を守る(2013年8月19日)
http://obito1.web.fc2.com/mandara13.html


次回予定:比良の暮雪4(曼陀羅山を歩く~後編:曼陀羅山古墳群・和邇大塚山古墳)



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堅田関連のお知らせ/居初家文書の世界(ミニ企画展)開催:2013/9/10(火)~10/14(祝)@大津市歴史博物館&関連講座申し込みは9/11(水)まで

 

取り急ぎ、堅田関連のお知らせです。

申し込み9/11(水)までの講座が2つあります。
締め切りが近いお知らせで、申し訳ありません!

大津市歴史博物館 ミニ企画関連講座(第564回れきはく講座)
「江戸時代の堅田と居初家」


日時:2013年9月21日(土) 14:00~15:30
場所:大津市歴史博物館(滋賀県大津市御陵町2-2)
参加料:500円(※れきはくカード会員は250円)
申込締切:9/11(水)、応募者多数の場合は抽選
ハガキに「希望講座名・郵便番号・住所・氏名・電話番号」を書いて歴史博物館まで。

http://www.rekihaku.otsu.shiga.jp/kikaku/kouza.html#KOUZA564

大津市歴史博物館 ミニ企画関連講座(第565回れきはく講座)
「堅田古絵図ツアー」【現地見学会】


日時:2013年9月28日(土) 午後徒歩半日コース
場所:本堅田周辺(堅田藩堀田家の陣屋跡や舟入跡など)
参加料:1000円(※会員割引なし)
申込締切:9/11(水)、応募者多数の場合は抽選
ハガキに「希望講座名・郵便番号・住所・氏名・電話番号」を書いて歴史博物館まで。
http://www.rekihaku.otsu.shiga.jp/kikaku/kouza.html#KOUZA565

堅田の居初家がテーマの企画展

大津市歴史博物館 第108回ミニ企画展 「大津の古文書7 居初家文書の世界」


日程:2013年9月10日(火)~10月14日(祝)
場所:大津市歴史博物館(滋賀県大津市御陵町2-2)
http://www.rekihaku.otsu.shiga.jp/kikaku/minikikaku.html#MINIKIKAKU108

☆中世の堅田は琵琶湖最大の自治都市で、大阪の堺と並び称されました。
堅田の中心だった殿原衆の筆頭が、居初家です。
↓居初邸の写真はこちら

大阪の堺と並ぶ自由都市だった港町、堅田。殿原衆三家の一つ、居初氏の邸宅にて(前編)
大阪の堺と並ぶ自由都市だった港町、堅田。殿原衆三家の一つ、居初氏の邸宅にて(後編)

堅田について

大津市歴史博物館の”常設展示”に「堅田」があります。
先日実物を拝見したのですが、見事な展示です。
↓一部を御覧いただけます。
堅田と比良山麓の村々
http://www.rekihaku.otsu.shiga.jp/josetsu/theme_1.html


続きを読む "堅田関連のお知らせ/居初家文書の世界(ミニ企画展)開催:2013/9/10(火)~10/14(祝)@大津市歴史博物館&関連講座申し込みは9/11(水)まで" »

2013年9月 3日 (火)

比良の暮雪2(小野氏ゆかりの地と曼陀羅山を歩く~前編:小野神社、小野篁神社、石神古墳群、小野道風神社)~白洲正子「近江山河抄」の舞台を歩く(37)

 

比良の暮雪と堅田と琵琶湖-1(撮影地:滋賀県草津市、烏丸半島)



「比良の暮雪」という言葉がある。下界には桜が咲いていても、比良山にはまだ雪が残っており、夏になっても消えないことがある。-白洲正子『近江山河抄』「比良の暮雪」

 

比良の暮雪と堅田と琵琶湖-2(撮影地:滋賀県草津市、烏丸半島)



薄墨色の比良山が、茫洋とした姿を現わしている。雪を通してみるためか、常よりも一層大きく、不気味で、神秘的な感じさえした。
・・・
ヒラは古く枚、平とも書き、頂上が平らなところから出た名称と聞くが、それだけではなかったように思う。都の西北に当る出雲が黄泉(よみ)の国にたとえられたように、近江の西北にそびえる比良山は、黄泉平坂(よもつひらさか)を意味したのではなかろうか。実際にもここから先は丹波高原で、人も通らぬ別世界であった。-白洲正子『近江山河抄』「比良の暮雪」

 

琵琶湖と琵琶湖大橋、堅田の町と比叡山~曼陀羅山~比良山



堅田のあたりで比叡山が終り、その裾に重なるようにして、比良山が姿を現わすと景色は一変する。
・・・
古墳が多いのはここだけと限らないが、近江で有名な大塚山古墳、小野妹子の墓がある和邇(わに)から、白鬚神社を経て、高島の向うまで大古墳群がつづいている。
-白洲正子『近江山河抄』「比良の暮雪」

 


堅田駅ホームから見た曼陀羅山


堅田駅のホームから見えるふたこぶが、大塚山古墳のある曼陀羅山だ。背後は比良山。

周辺は小野妹子、小野篁、小野道風を輩出した小野氏の故郷で、多くの古墳群が連なる。
今回は、琵琶湖の西に位置する滋賀県大津市小野と、その南側の曼陀羅山周辺を歩いた。

撮影したのは2013年8月の終わりで、気温がようやく32、3度に下がった日だった。
小野駅で下車し、和邇駅行きの江若バスに乗って小野神社前で降りたのが8時半。
暑さを考えて、正午までに小野駅に帰ってくることを目標にした行程だった。

この一帯はハイキングコースになっていて、小野駅前に推奨コースが紹介されている。
小野駅→小野妹子の墓(唐臼山古墳)→小野道風神社→小野神社・小野篁神社→和邇駅
今回はこのコースを小野神社から小野駅まで逆にたどりながら、曼陀羅山を追加した。

※小野駅前の案内板に距離の目安が書いてあるので、ご参考までに。
堅田駅から真野を通って小野駅まで歩けば、さらに面白いハイキングコースになる。

JR小野駅
↓1.1km
唐臼山古墳(小野妹子の墓)
↓1.1km
小野道風神社
↓1km
小野神社・小野篁神社
↓1.1km
天皇神社→2.5km→栗原の棚田
天皇神社→3km→水分神社→350m→蕃山堂跡
↓500m
榎の宿・顕彰碑
↓700m
JR和邇駅

小野周辺史跡案内図


小野神社前バス停の横にあった「小野周辺史跡案内図」。





小野神社の隣に上品寺という寺がある。すでに雰囲気が違っていた。

撮影でいろんな場所を回っていると、聖域特有の空気を感じることがある。
小野の南にある、真野の神田神社周辺を初めて歩いたときも同じだった。

 



小野氏が湖西に本拠をおいたのは、いつ頃のことかはっきりしないが、『古事記』によると、孝昭天皇の子孫で、高穴穂宮(景行・成務)の時代には、早くもこの地を領していた。六世紀の終り頃、小野妹子がいたことは確かで、同族の和邇氏、真野氏なども、近くに住んでいたことが、和邇、真野などの地名からも推測される。柿本人麿も和邇の一族で、「近江の荒都を過ぐる時」の歌は、ここへの往復の途上よんだのであろう。-白洲正子『近江山河抄』「比良の暮雪」

 


小野神社参道と鳥居、ムクロジの大木


参道の向こうに、小野神社の鳥居が見える。ムクロジの大木には驚いた。

案内板によれば、胸高周囲4.19m(県下最大)だという。

小野神社本殿


小野神社。小野氏の氏神であるとともに、お餅の神様とお菓子の神様を祀っている。

本殿前の両脇に、「お餅」の形のお供えがあるのが、お分かりだろうか。

小野神社の祭神は、お餅の神様である、米餅搗大使主命(たがねつきのおおみのみこと)。
そして、お菓子の神様、天足彦国押人命(あまたらしひこくにおしひとのみこと)である。

古事記によれば、天足彦国押人命は第五代孝昭天皇の第一皇子で、近江国造の祖。
小野氏の祖である。日本書紀には、大和和邇(わに)の祖であるとも記されている。
大和朝廷成立以前、大阪・京都・奈良・三重・愛知・滋賀一帯をを統治した王族だった。

餅搗大使主命は、天足彦国押人命から7代目の子孫にあたる人物だ。
餅の原形となる「しとぎ」を最初に作り、応神天皇に献上したとの伝承がある。
毎年11月2日に行なわれる「しとぎ祭」では、全国の菓子業界から参拝を受ける。
1200年続いている例祭だというから、すごい。

小野神社の神田


小野神社の神田。

神田で穫れた新穀の餅米を、しとぎ祭の前日から水に浸し、生のまま木臼で搗き固める。
それを藁のツトに包み入れ、納豆のように包んだものが「しとぎ」と呼ばれるそうだ。
しとぎ祭では、この「しとぎ」が、他の神饌とともに神前に供えられる。

しとぎ祭の様子(小野駅前の案内板より)


しとぎ祭の様子(小野駅前の案内板より)。

祭儀の後、人々は注連縄を張り渡した青竹を捧げ持ち、小野地区を北、中、南の順で廻る。
各地点で「しとぎ」を吊り下げて礼拝し、五穀豊穣・天下泰平を祈念する。

案内板に出てくる栗原は、小野の北にあり、琵琶湖を180度眺めることのできる棚田の町だ。
水分神社を中心に、古くから、年間に17回もの年中行事が行なわれているという。
小野周辺は、古来から豊かな土地だったことをうかがわせる。

▼栗原の棚田の写真はこちら(バックナンバーで掲載したものです)
湖西の里山から・360度琵琶湖を見下ろせる町「栗原」


小野篁神社本殿(正面)

小野篁神社本殿(背面)


小野神社の隣にあるのが、境内社の小野篁神社。後ろの森には小野神社古墳群がある。

平安初期の漢学者で詩人、歌人としても有名な小野篁を祀っている。
社殿は暦応三年(1340年)に佐々木六角氏により建立されたと伝わる。重要文化財。

小野小町の塔(小野神社)


幽玄な雰囲気が漂う石段の脇に、小野小町の塔がある。康永四年(1375)建立。


小野神社から小野道風神社への道標


参道の脇に、「石神古墳群・小野道風神社」への道標(矢印)。

面白そうなので、こちらを行ってみる。

民家の間を抜けると、急な坂道と合流する。坂道を登っていくと・・・

竹林の中の祠と鳥居(石神古墳群付近)


目の前に突然現われたのが、竹林の中の祠と鳥居。

信仰の対象であるのは間違いない。やはりこの辺りは、一帯が聖域なのだろう。
もしかしたら、ここも古墳の一部なのかもしれないと、後から思った。

石神古墳群案内板

ほんの少し行くと、「石神古墳群」の案内板があった。
(↑クリックすると拡大します)

石神古墳群から小野道風神社へ続く竹林の道


石神神社。石神古墳の一部だという。背後は鬱蒼とした竹林だった。

この先で若干道に迷った。石神神社の奥にある山道が小野道風神社へ続く道だったのだ。



山道は広くなり、小野道風神社への矢印が現われる

また道は細くなり、竹林の中を歩いていく


石神古墳群と小野道風神社をつなぐこの道には、歴史の散歩道という名前がついている。

古墳群の一部と思われる竹林の中を歩くと、竹取物語のおじいさんになったような気分だ。
歴史の散歩道を抜けると、目の前に、小野運動広場が広がる(※トイレ・駐車場あり)。
小野道風神社は運動広場のすぐそばにある。

小野道風神社境内


小野道風神社。小野神社の飛地境内社である。

小野篁の孫であり、平安時代の貴族・能書家である小野道風を祀っている。
背後の森は、道風神社古墳群。小野氏ゆかりの神社は、どこも古墳とセットになっている。

小野道風神社本殿


小野道風神社本殿。興国二年(1341年/南北朝時代)建立で、重要文化財。

小野篁神社とは、建立時期がほぼ同じなだけでなく、建築的にもよく似ている。
全国的にも稀だという、切妻造、平入という建築様式は、小野篁神社本殿と共通している。

柳の教訓・道風庭園池


小野道風の故事にちなんだ、柳の木と蛙(柳の教訓・道風庭園池)。

道風は柳の枝に何度も飛びつく蛙を見て「何事も努力を重ねれば達成できる」と悟り奮起。
書家として大成し、三蹟の一人として讃えられたという故事にちなんだもの。
鳥居の前の掲示板には、地元の方の協力で建設された池だと紹介されていた。

比良山 花達院


小野道風神社と道を接して立っている「比良山 花達院」。隣は地元の集会所。

道が分からず、集会所前の階段を下りて、唐臼山古墳(小野妹子の墓)へ向かうことにする。
階段の途中で、堅田の観覧車(イーゴス108)が見えていた。
(先日お伝えしたとおり、イーゴス108は9月に解体が始まる。)

少し歩いていくと「小野妹子の墓(唐臼山古墳)」の矢印があって、ほっとする。
後は矢印に従って、しばらく小野の集落の中を歩いた。

小野児童館へ続くゆるやかな坂道と、色とりどりの花が咲く畑


小野児童館へ続くゆるやかな坂道。色とりどりの花が咲く畑に囲まれている。

小野はとても美しいところだと実感する。そろそろ小野とお別れだ。


次回:比良の暮雪3(小野妹子の墓(唐臼山古墳)~曼陀羅山(大塚山古墳))の予定です。



大きな地図で見る


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    兼松 純(Jun Kanematsu)

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    ■当ブログ掲載写真は、地域の方に楽しんでいただく作品発表の場として、2007年より掲載してきました。2014年には、祭事写真のために筆者(兼松)が書いた解説文を専門家が新聞コラムに無断使用する事態があり、弁護士相談の上で関係者各位に申し入れを行いました。 判断に迷うときは、事前にお問い合わせいただきますようお願いします。

    ■2014年春からアマナイメージズに作品の一部を預けています。 WEBに掲載していない作品もございますので、詳細はお問い合わせ下さい。

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