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2013年8月11日 (日)

伊吹の荒ぶる神3(水のまち・醒井から、木彫りの里・上丹生へ。醒井渓谷、霊仙三蔵記念堂、醒井養鱒場、いぼとり水と西行水)~白洲正子「近江山河抄」の舞台を歩く(35)

番場宿まで一里の道標(醒井)
番場宿まで一里のところで旧中山道から離れ、醒井から上丹生へ向かった。
醒井(さめがい)は、滋賀県米原市に位置する、中山道61番目の宿場町。
醒井といえば近江の人にはどこかで聞く名の「醒井養鱒場」。こちらが上丹生にある。
上丹生は、鈴鹿山脈の麓にある木彫りの里で、「三蔵法師」の故郷でもある。
白洲正子さんの著作には登場しないが、番外編としてぜひご紹介したい場所だった。

下丹生の田園風景
醒ヶ井駅から醒井小の脇を通り、丹生川に沿って南下し、下丹生の集落に入る。
初めて訪れたのは新緑の頃で、地元の方のご案内をいただいた。
醒井小の辺りでは、石灰工場の後に掘り続けているという砕石の採掘跡が見えていた。
下丹生に入ると、穏やかな田園風景が続く。とても美しい集落だった。

松尾寺まで「十二町」の道標(下丹生)
松尾寺まで「十二町」の道標。松尾寺の本尊「飛行観音」は雲に乗った珍しい観音様だ。

下丹生古墳の看板
下丹生古墳の看板。横穴式石室の古墳で、息長丹生真人一族の墳墓と伝わっている。
息長丹生真人は、前回の「居醒の清水」で登場した「息長氏」の同族と言われている。
息長氏(おきながし)は、近江国坂田郡(現・滋賀県米原市)を根拠地とした古代豪族。
日本武尊の妃の一人は息長氏で、皇室との関わりをうかがわせる説話は多い。
古墳は時間の関係で立ち寄れなかったが、ご関心のある方はぜひ。

いぼとり地蔵
いぼとり地蔵案内板
いぼとり地蔵。近くの「いぼとり水」を地蔵に供えた後、イボに塗ると良いという伝承がある。
おできやあせもにも効くといわれているが、飲むことはできない。
※駐車場、トイレ、休憩用ベンチ(屋根つき)あり。訪問者にはうれしい配慮。

醒井渓谷の道
醒井渓谷に入る。醒井養鱒場から来る醒ヶ井駅行きのバスが、時折、車道を通るくらい。

醒井渓谷の清流
醒井渓谷の清流。伊吹山は石灰岩の山ゆえに、伏流水はミネラルを含んでいる。
地元の方の話では、他の町で喫茶店に入ると、水の違いを感じるとのこと。
醒井、下丹生、上丹生一帯は、水の町だと実感する。

霊仙山山道と醒井養鱒場の分岐点(上丹生)
霊仙山山道と醒井養鱒場の分岐点。

霊仙三蔵記念堂
緑の中に突然、唐風のお堂が見えてくる。霊仙三蔵記念堂だ。
霊仙(りょうぜん)は、霊仙山の名前の由来となった人物である。
霊仙山の麓に生まれて僧になり、唐に渡って、日本で唯一、三蔵法師の称号を受けた。

霊仙三蔵記念堂内部
霊仙三蔵記念堂内部。霊仙三蔵の像の周囲を、金色の五百羅漢像が囲む。

759年、霊仙は息長氏丹生真人一族として霊仙山麓に生まれ、6歳の頃仏門に入る。
息長氏丹生真人一族といえば、下丹生古墳の埋葬者とされる一族である。
霊仙は、6歳から15歳の頃まで、金勝寺別院霊仙寺及び醒井の松尾寺で修行。
15歳の頃、奈良の興福寺へ入山。法相宗とともに漢語を習得。
804年(45歳の頃)、遣唐使で唐へ渡る。このとき一緒に行ったのが、最澄、空海だった。

唐に渡った霊仙は長安で修行し、梵語(サンスクリット語)を習得。
時の憲宗皇帝は、宮廷の梵語の仏典の訳経に霊仙を指名する。
811年、「大乗本生心地観経」(だいじょうほんじょうじかんぎょう)の訳経が完成。
この功績により、霊仙は憲宗皇帝から「三蔵」の称号を授与された。

仏教の秘伝が失われることを恐れた憲宗皇帝は、霊仙に日本への帰国を禁じた。
820年、唐国内の政変で、憲宗皇帝が反仏教主義者に暗殺される。
弾圧を避けるため、霊仙は長安を後にし、五台山へ移る。五台山では金閣寺で修行。
しかし827年、霊境寺で不慮の死を遂げる。毒殺されたという説もある。享年68歳。
唐に渡った後、一度も日本の土を踏むことはなかった。

霊仙三蔵の足跡(案内板)
1989年(平成元年)頃より、松尾寺前住職の熱望で霊仙三蔵の顕彰の気運が高まる。
2000年「霊仙三蔵顕彰の会」発足、2004年「霊仙三蔵記念堂」が松尾寺内に建立された。

松尾寺の犬
あれ?すねポーズでお出迎え。
記念堂の外でお弁当を食べていたら、かわいい犬がこちらを見ていた。
石段の向こうは松尾寺の駐車場。お寺の犬で、しばらく一緒に遊んだ。

醒井楼
松尾寺の敷地内にあるのが、料亭「醒井楼」。
松尾寺住職78世が、隣接の醒ヶ井養鱒場の虹鱒、ビワマスを世に出す事業として始めた。
現在の住職はその孫に当たる方で、醒井楼を直営し、霊仙三蔵記念堂の管理もされている。

▼飛行観音 松尾寺
http://matuoji.samegairo.com/

醒井楼(松尾寺)
松尾寺(2010年5月当時/醒井楼の一部を使っていた時期に撮影)。
旧本堂は昭和56年1月の豪雪で倒壊し、2010年当時はいわゆる本堂がなかった。
醒井楼の中の大きな畳の部屋で、仏様に参拝した記憶がある。

本尊は「飛行観音」といい、十一面観世音菩薩と聖観世音菩薩が雲に乗っている。
戦時中は、戦場へ飛び立つ若者が多数祈願に訪れたという。とても印象的なお話だった。
その後2011年5月には資料館が建設され、2012年6月に新本堂の落慶法要が営まれた。
現在も、航空関係者や、海外留学など飛行を含めた旅の安全祈願の参拝が絶えない。

松尾山は680年、役の行者(役の少角)が難行苦行を求めて入山したと伝えられる霊地だ。
769年に松尾山と霊山一帯に建立された霊仙寺7ヶ寺の1つで、唯一残るのが松尾寺。
霊仙寺は金勝寺の別院だということで、ここでまた思いがけず奈良(興福寺)に出会った。

滋賀県栗東市の金勝寺は、聖武天皇の勅願により、奈良平城京の鬼門に建てられた寺だ。
金勝寺は「西の比叡山、東の金勝寺(こんしょうじ)」と言われた湖南仏教の中心地だった。
興福寺と同じ法相宗の寺だったが、平安時代後期には天台宗の寺になっている。
対岸の比叡山の勢力が入ってきて、金勝寺の勢力は失われてしまったという事らしい。

▼紫香楽の宮3(かくれ里「金勝」。大野神社から金勝寺里坊、金胎寺から金勝寺へ)~白洲正子「近江山河抄」の舞台を歩く(20)
http://katata.cocolog-nifty.com/blog/2013/05/post-cde9.html

醒井養鱒場
醒井養鱒場(滋賀県水産試験場醒井養鱒場)。
1878年(明治11年)設立。日本最古の養鱒場で、東洋一の規模を誇る。
マス類の孵化場のほか、本館(さかな学習館)やマス料理の食堂、釣り場などがある。
霊仙山麓から湧き出す清流をたたえた大小の池に、ニジマス、アマゴ、イワナなどが群泳。

▼滋賀県醒井養鱒場公式サイト
http://samegai.siga.jp/

木彫りの里、上丹生-1(上丹生彫刻の職人さん)
上丹生は木彫りの里。上丹生彫刻の職人さんの仕事場を見学させていただいた。

上丹生木彫組合発行の冊子によれば、その起源は19世紀初め(江戸時代)に遡る。
その当時、長次郎という優れた堂大工がいて、上丹生彫刻の創始者と言われている。
その次男である上田勇助は、14歳の時、父・長次郎の命で京都へ彫刻修行に出た。
同伴したのは同郷の川口七右衛門で、二人で修行を終えて故郷へ技を伝えた。
修行を終えて戻った勇助は、長浜の浜仏壇の彫り物を手掛け、木彫りの里の基礎を築く。

明治になると、勇助の技術を継承した森曲水が、永平寺、本願寺などの欄間を彫刻。
大正15年には、曲水の弟・光次郎の作品が、パリの万国美術工芸博覧会で入賞。
上丹生彫刻は、技術とデザインの両方で広く知られるようになる。
戦中戦後は、物資の不足や仏壇仏具の需要減で、苦しい時代が続いた。
社寺の彫刻から仏壇の内陣まで、何でも対応できる技術を持つ数少ない里と言われる。

木彫りの里、上丹生-2(木彫りの像と彫刻刀)
上丹生の特徴は、いろいろな分野の伝統工芸の職人さんがいるところだ。
二代目の勇助が仏壇を手掛けたことに始まり、上丹生は仏壇づくりの里として発展した。
木地師、錺(かざり)金具師、塗師がいて、仏壇の相談を専門にする仏壇屋も数軒ある。

この後、石久仏壇店で工場見学させていただいたのだが、仏壇の概念がひっくり返った。
仏壇というより、それはまるでひとつの小宇宙で、美しいお寺が建ったような感覚だった。

霊仙山の麓、水に恵まれた上丹生は、昔から良質の木材を産出してきた。
日本にないものは外国から輸入していて、インドから輸入したという白檀を見せて頂いた。
仏壇の漆塗りの見分け方も教えていただいた。どちらも本物の美しさがあって、圧倒された。

木地に丁寧な漆塗りを何度も施し、見事な錺金具をつけ、彫刻する。箔押しして蒔絵を施す。
仕上げまで一貫して行われていて、丁寧な手仕事で作られている。
出来かけの仏壇がいくつか置いてあったが、そちらにはすっぴんのような美しさがあった。
職人さんは本当に凄いと思った。

醒井渓谷
再び、醒井渓谷を歩いて、醒井へ向かう。

西行水
醒ヶ井駅に戻る途中、「西行水」という湧水に立ち寄った。
伝説によれば、西行法師が飲み残した茶の泡を飲んだ茶屋の娘が懐妊し、男子を出産。
帰路に話を聞いた西行が、もし自分の子なら泡に戻れと念じると子は忽ち元の泡になった。
このとき西行が詠んだ句が「水上は清き流れの醒井に 浮世の垢をすすぎてやみん」
西行は五輪塔を建てて「一煎一服一期終即今端的雲脚泡」と記したといい、泡子塚と呼ぶ。

水のまち醒井には、神話や伝説が多い。
前回と今回ご紹介したものだけでも、居醒の清水、十王水、いぼとり水、西行水。
ほかに、天神水、鍾乳水、役の行者の斧割水があり、「醒井七湧水」と呼ばれている。

水は人の心を揺らす。
水にまつわる話に喜びも悲しみも込められているのかもしれない。

次回:日枝の山道4(聖衆来迎寺と十界図の虫干し)の予定です。


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(追記)

滋賀県教育委員会の埋蔵文化財活用ブックレットに、この地域のことが詳しく出ています。
後から気がついたので、リンクを追記しておきます。ご参考になさってください。(2013年9月10日)

埋蔵文化財活用ブックレット2(近江の山寺2)
霊仙山と松尾寺の文化財(PDF:1,976KB)


埋蔵文化財活用ブックレット9(近江の城郭7)
京極氏遺跡群 -京極氏館跡・上平寺城址・弥高寺跡-(PDF:2,704KB)


埋蔵文化財活用ブックレット17
東海道をめぐる攻防-米原・醒井・柏原をめぐる-(PDF:2,422KB)


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