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2013年6月28日 (金)

沖つ島山3(近江八幡:水郷の風景、安土の山から見た西の湖、アジサイの咲く頃・長命寺)~白洲正子「近江山河抄」の舞台を歩く(28)

繖山(観音寺山)の上から撮影した安土山、西の湖、長命寺山
安土の繖山(観音寺山)の上から撮影した、水郷のまちの風景。
織田信長がかつて、安土城(安土山)から眺めた山並みもこんな感じだったのだろう。
手前より安土山、西の湖、奥島山(右奥)~長命寺山(中央奥)~八幡山(左奥)。
一番奥にぼんやり見えるのが、琵琶湖の向こうの比良山系。

田んぼの緑の中に、麦秋の茶色がパッチワークのように美しいこの一帯。
地元の方の話では、1942年に干拓されるまで、この一帯は琵琶湖につながっていた。
長命寺(西国三十三所第31番札所)から、繖山の桑実寺まで、舟で参拝していたという。
桑実寺と同じ山中には、観音正寺(第32番札所)がある。

「昔の巡礼たちは、若狭から今津へ出、そこから船で竹生島(三十番)を経て、長命寺
(三十一番)へ渡り、更に観音正寺(三十二番)へと水路を利用したのであろう。」
(白洲正子『近江山河抄』より)

水郷めぐりの和船(西の湖)-1
水郷めぐりの和船が数隻、葦原を目指す。琵琶湖最大の内湖である「西の湖」にて撮影。
内湖とは琵琶湖の内陸にある独立した湖沼で、水路等で琵琶湖に繋がっている水域をいう。
内湖といい、葦原といい、琵琶湖独特の風景といえるだろう。

白洲正子さんの随筆『近江山河抄』より、「沖つ島山」の章はこの一文で始まる。
「近江の中でどこが一番美しいかと聞かれたら、私は長命寺のあたりと答えるであろう。」

水郷の向こうに繖山(撮影地:近江八幡市北之庄町)
「東は安土の近くまで入江がのび、葦の葉かげに、田舟が浮んで、昔ながらの水郷風景が
味わえる。正面には、観音寺山がゆったりした姿を横たえ、南はさえぎるものもない内湖の
風景で、その先に蒲生野が開けている。」(白洲正子『近江山河抄』より)

水郷めぐりの和船(近江八幡市北之庄町)
水郷めぐりの和船が、西の湖周辺の水郷と呼ばれる葦原を行く。一番奥が長命寺山。
葦の茂みの中から、ギョギョシーギョギョシーという声が聞こえてくる。
姿は見えないが、オオヨシキリ(野鳥)だとわかる。

西の湖は、長命寺川とともに、ラムサール条約登録湿地になっている。
(1993年6月10日に登録された琵琶湖の一部として、2008年10月30日追加登録。)
ラムサール条約は正式名「特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約」
(Convention on Wetlands of International Importance Especially as Waterfowl Habitat)。
湿地を保護することで、鳥類や絶滅のおそれのある動植物をも保護しようという条約である。

実を言うと、白洲さんが絶賛した渡合橋は、水門とコンクリートの護岸に姿を変えていた。
長命寺川は川幅が倍になり、両岸の葦(ヨシ)は既に無く、以前の姿を見るのは難しい。
そこで今回は、渡合橋の少し南のエリア(近江八幡市北之庄町)を歩いて撮影している。
地元の方が「北之庄沢を守る会」を結成し、清掃・保全活動をされている地域である。

水郷めぐりの和船(西の湖)-2
水郷めぐりの和船が西の湖に姿を現す。一休みする船頭さん、話に耳を傾ける乗船客。

西の湖(にしのこ)は、滋賀県近江八幡市と安土町に広がる琵琶湖最大の内湖である。
安土山の西にあることから、この名がついた。面積は約2.85k㎡、平均水深は約1.5m。
北之庄など周辺の集落とともに水郷として「重要文化的景観」に指定されている。
長命寺川を通じて琵琶湖とつながり、葦原がとても美しい。
いつまでも残っていてほしい風景だ。

黄色い物置小屋と赤紫色のアジサイ
西の湖に近い畑では、黄色い物置小屋のそばで、赤紫色のアジサイが咲いていた。

長命寺港(琵琶湖)
渡合橋の先にある長命寺バス停を降りると、目の前は、長命寺港(琵琶湖)だった。
長命寺山の麓の港は、長命寺川(安土への水路)の入口にもあたる場所である。
聞けば、琵琶湖の沖島へ行く船が、長命寺港からも一日一往復出ているという。
残念ながらダイヤの関係で、長命寺港からは日帰りはできないとのことだった。

この長命寺港の前に日吉神社と穀屋寺があり、その敷地の奥に長命寺の石段がある。
穀屋寺は、長命寺同様、聖徳太子の創建によるとされている寺である。

長命寺の六丁石
日吉神社の脇にあった丁石。「しようくわんおん 六丁」と刻む。奥には長命寺の石段。
「しようくわんおん(聖観音)」は長命寺の木造聖観音立像のことだと思われる。

長命寺の麓にある日吉神社は、長命寺を守護する位置づけの神社らしい。
「延暦寺と坂本の日吉大社の如く長命寺と当神社とは古くより密接なるものがあったものと
推察される」と由緒が掲示してあった。

長命寺の石段上り口
長命寺の石段。808段あることで有名。本堂までの所要時間は上り25分前後だった。
日吉神社の左にある自動車用の参道(約1.5km)を使えば、駐車場の脇で石段と合流する。

長命寺の石段(妙覚院付近)
長命寺の石段。妙覚院という宿院の塀が美しい。

長命寺の石段(鳥居付近)
しばらく急な上りが続いたが、こんな風に踊り場のような場所があるのが絶妙だった。
石の鳥居の一部が、木で補修されている(来た道を振り返って撮影)。

実はこの10日ほど前に、500段ほどあるといわれる桑実寺の石段を、気温30度で上った。
どこまでも急な石段だった桑実寺と比べると、段数を感じさせなかったのが長命寺だった。
桑実寺のときより低い気温だったからか、桑実寺の石段で慣れたのかは、よくわからない。
大変といえば大変だったが、歩いていて単調にならず、石段を作った人の配慮を感じた。

長命寺の石仏(石段の途中にて)-1
長命寺の石段の途中では、石仏をよくみかけた。
石段はよく整備されており、熊野古道のような雰囲気のある場所が続く。

長命寺の五丁石
「五丁」と刻まれた丁石。
上り口の丁石は「しようくわんおん 六丁」だったから、一丁(約109m)進んだことになる。

長命寺の石段(合流地点付近)
619年聖徳太子開基と伝わる長命寺。長命寺山(333m)の標高約250mの山腹にある。
駐車場の脇で参道が合流すると、石段の上に本堂が見えてくる。

長命寺の石段と紫陽花
ピンクの紫陽花
紫陽花寺としても知られる長命寺。境内の石段の脇で、紫陽花が迎えてくれた。
毎年6月下旬の土曜日には、紫陽花コンサートが開催されている。
※2013年度のコンサートは終了しています。

紫陽花と長命寺
境内の奥にたくさんの紫陽花。長命寺本堂と三重塔が向こうに見えている。
約500株あるという紫陽花の見ごろは7月上旬まで。

長命寺三仏堂と青もみじ
長命寺本堂と三仏堂をつなぐ渡り廊下にて。青もみじが涼しげなので一枚。

長命寺本堂と三重塔
長命寺本堂と三重塔(ともに重要文化財)。本堂は1524年再建、三重塔は1597年再建。

寺伝によれば、第12代景行天皇の時代、武内宿禰という人物が柳の木に長寿を祈願した。
その後、聖徳太子がこの地に赴いた際、宿禰が祈願した際に彫った文字を発見したという。
そのとき白髪の老人が現れて、その霊木で観音像を彫ってこの地に安置するよう勧めた。
そこで太子は十一面観音を彫り、宿禰の長寿にあやかって「長命寺」と名づけたという。

長命寺の巨石、修多羅岩
長命寺は境内各所に巨岩が見られ、かつての巨石信仰をうかがわせる。
白洲正子さんの『近江山河抄』にも、次の記述がある。
「山内には大きな磐坐がいくつもあり、(中略)仏教以前からの霊地であったことを語っている。」

写真の岩は「修多羅岩」(すたらいわ)といい、長命寺の神体岩である。
案内板には、「修多羅とは仏教用語で天地開間 天地太平 子孫繁栄を言う。
封じて当山開間長寿大臣 武内宿禰大将軍の御神体とする。」とあった。

長命寺の石段の途中で見た石垣
そういえば、長命寺の石段の途中でも、美しい石垣が見られる場所があった。
この寺のもうひとつの見所は、近江の他の場所同様、「石」なのかもしれない。

長命寺の石仏(石段の途中にて)-2
帰り道の石段で、初めて気がついた石仏。
奥の深さを感じた長命寺だった。北津田町の大嶋・奥津嶋神社は後日訪ねる予定。
(撮影日:2013年6月25日)

次回:沖つ島山4(桑実寺、観音寺城跡と観音正寺)の予定です。


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※沖島へは長命寺の先にある堀切新港から一日11往復(日曜は9往復)船が出ています。
※沖島航路時刻表(ご参考に)⇒http://www.bbc-tv.co.jp/biwakuru/kojyou/okisima.html


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