« 紫香楽の宮6(失われた奈良の文化圏を追って、正福寺と廃少菩提寺)~白洲正子「近江山河抄」の舞台を歩く(23) | トップページ | 近江路1(東海道水口と大池寺)~白洲正子「近江山河抄」の舞台を歩く(25) »

2013年6月 8日 (土)

沖つ島山1(安土のかくれ里、教林坊と老蘇の森)~白洲正子「近江山河抄」の舞台を歩く(24)

教林坊庭園-1
安土の繖山(きぬがさやま)の麓に、聖徳太子によって605年に創建された寺がある。
教林坊という天台宗の寺で、白洲正子さんの著作には「石の寺」「石寺」として登場する。

付書院からの眺めは「掛軸庭園」と呼ばれ、一番美しい眺めとされる(写真一枚目)。
自然を切り取って四季折々の山水掛け軸に見立てる。日本独自の感性と言えよう。

「麓の石寺という部落は、世捨人のような風情のある村で、かつては観音正寺の末寺が三十以上も
あり、繁栄を極めたというが、現在は教林坊というささやかな寺が一つ残っているだけである。」
(白洲正子『かくれ里』より)

教林坊庭園-2
その庭園は、慶長年間(1596-1614年)に古墳の石を利用して造られた。
桃山時代の池泉庭園で、地元では小堀遠州作とも伝えられている名勝である。

教林坊庭園と本堂
「ここで私の興味をひいたのは、慶長時代の石庭で、いきなり山へつづく急勾配に作ってあり、
よく見ると、それは古墳を利用してあるのだった」
「石室の巨大な蓋石を、そのまま庭石に使ってあるのだが、不自然でなく、日本の造園の
生い立ちといったようなものを見せられたような感じがする」(『かくれ里』より)

太子の説法岩
「太子の説法岩」。寺名の「教林」は、太子が林の中で教えを説いたことに由来する。

本尊の赤川観音は、この説法岩の下の大きな岩穴の中にある。
穴の中は暗くてよく見えなかったが、それがいいのかもしれないとも思った。
村娘の難産を助けたという言い伝えがあり、安産、子授け、良縁成就の観音さまである。

太子の説法岩の裏側に、小さな石仏
「太子の説法岩」の裏側に、小さな石仏があった。青もみじと苔が目に涼やか。

別名の「石の寺」は、太子の歌に由来するという。
「九十九折れ たずねいるらん 石の寺 ふたたび詣らな 法の仏に」
ここから、二度参りによる心願成就の寺として信仰を集めてきた。
ちなみに集落の名も「石寺」(近江八幡市安土町石寺)となっている。

教林蔵
教林蔵と青もみじ
土壁に青もみじが映える教林蔵。かつて数千冊の経典・学問書を所蔵していたという。

一面のもみじと竹林が印象的で、秋は紅葉とライトアップでにぎわう教林坊。
今の姿からは想像がつかないが、昭和50年(1975)頃から無人となり荒れ寺になった。
白州さんが来坊されたのは、その前の昭和44年(1969)1月だったという。

平成7年(1995)に現在のご住職が20代で赴任し、地元の方と一緒にここまで復興された。
来坊の折に「荒れ寺復興録」という連載のコピーを頂いたのだが、とても興味深かった。
本堂の改修は、ご住職がほとんどお1人でされたという。
その姿を見た地元の方が、屋根を葺き、竹林を開墾して園路を作り、駐車場を整備した。

1人の青年が決意して、ひとりで始めたことが、一つのお寺を蘇らせた。
人の気持ちのもつ力は、かけがえのない尊いものだと改めて思う。

本堂を壊しているように見えたというから、修復していると分からなかったかもしれない。
だけど、屋根に上がって毎日ひとりで奮闘している姿を見ていてくれた人がいた。
それもまた、かけがえのない尊いことだと思う。

人のしようとしていること、していることを、外からとやかく言うのは簡単だ。
青年が荒れ寺の中にまばゆい緑の空間を見たとき、皆で笑ったら、復興は遠ざかっただろう。
だからこそ、若い人や気持ちのある人を潰さないでほしい。そういう世の中であってほしい。
人は、これだけのことができるのだから。そんなことを思った。

繖山と灯篭
繖山(きぬがさやま)。教林坊はこの山の麓にある。
この繖山をご神体にしているのが、奥石神社(おいそじんじゃ)である。
繖山の山頂近くの磐座には「観音正寺」の奥の院がある。こちらは後日ご紹介する予定。

繖山に向かって並ぶ灯篭と老蘇の森
繖山に向かって並ぶ灯篭。奥に見えるのが「老蘇の森」(おいそのもり)である。
この森の中に、もうひとつのかくれ里、奥石神社がある。

「今は新道(八号線)に分断されてしまったが、中へ入ると別世界の静けさで、黒々とした森を背景に、端正なお社が建っている。」(白洲正子『かくれ里』より)

吉住大明神(老蘇の森)
老蘇(おいそ)の森。国史跡になっていて、境内には吉住大明神や奥石神社がある。

奥石神社社伝によれば、由緒は孝謙天皇5年(前286)、約2250年前の神話の時代に遡る。
昔この一帯は、地裂け水沸いて、とても人の住む処ではなかった。
石部大連が神の助けを借りて松・杉・檜を植えたところ、たちまち大森林となったという。
大連は100歳を越えても壮健だったことから、この地を老蘇と呼ぶようになったと伝わる。

万葉の時代から数々の歌に詠まれている名高い森でもある。

東路の思い出にせん時鳥(ほととぎす) 老蘇の森の夜半(よは)のひと声 (大江公資)
夜半ならば老蘇の森の郭公 今もなかまし忍び音のころ (本居宣長)
身のよそにいつまでか見ん東路の 老蘇の森に降れる白雪 (賀茂真淵)

鎌の形の拝殿幕(奥石神社)
奥石神社は別名・鎌宮神社と呼ばれ、名の由来となった鎌の形が拝殿幕に見られる。
本殿は竈の神(釜大明神)を祀っており、釜が鎌に転じ、鎌宮となったという。

地元の方の話では、「蒲生野宮」がなまって名づけられたものとも考えられるという。
蒲生野といえば、琵琶湖の東岸、近江国蒲生郡に広がっていた野をさす。
話の端々に、この一帯はとても歴史のある場所なのだと実感する。

奥石神社拝殿
奥石神社拝殿。古来より、奥石神社は安産守護の神社として祈願されてきた。
撮影した日も、腹帯を受け取りにきた参拝者(ご家族)を見かけた。

安産守護の由来は、景行天皇の時代、大和武尊の神話にさかのぼる。
大和武尊の蝦夷征伐の折、弟橘姫命が海神を鎮めるため、上総の海に身を投じた。
そのとき「霊魂は飛び去り老蘇の森に留まり永く女人平産を守るべし」と誓ったという。

老蘇の森は、古来から生命の象徴なのかもしれない。

奥石神社鳥居と参道
奥石神社の鳥居。参道の両脇は老蘇の森。面しているのは中山道になる。

老蘇中山道
老蘇中山道。織田信長の安土城で知られる安土は、中山道の町でもある。
安土には武佐宿があり、また根来陣屋の書院が福生寺の本堂として残っている。
「この10年で中山道を歩く人が増え、老蘇を知って頂けるのは嬉しい」と福生寺のご住職。

轟地蔵(福生寺)
轟地蔵のアップ
東老蘇にある福生寺(ふくしょうじ)の千体地蔵。「轟地蔵」(とどろき地蔵)と呼ばれる。
小幡人形のかわいらしい千体仏で、安産祈願のお地蔵さんである。

平安時代の『梁塵秘抄』に「近江におかしき歌枕 老蘇轟 蒲生野布施の池」と歌われた。
その轟にあやかって名づけられたという。

もとは福生寺の近くの轟橋にあり、明治時代に橋の改修を行った際に移したらしい。
1806年の中山道分間延絵図(重文、東京博物館蔵)には、轟橋に轟地蔵の記載がある。
他方で、慶応元年(1865)の福生寺の絵図には、轟地蔵の記載がないという。
明治天皇の行幸の際、轟川の幅を広げ轟橋を改修したからだろうというお話だった。

轟橋に架かっていた橋石
改修前の轟橋に架かっていた橋石。三枚のうちの一枚が奥石神社の公園にある。
これは地元のボランティアガイドの方に教えていただいた。

安土は近江八幡市になったが、水田と緑、落ち着いた町並みの広がる風景は変わらず美しい。
ハイキングコース、レンタサイクルが整備されており、京阪神から訪ねる人も多い。
安心して歩けて、自然いっぱいの歴史ある町として、お勧めします。
沖つ島山シリーズでは、安土の繖山から近江八幡の琵琶湖畔までを巡る予定です。

次回:近江路1(東海道水口と大池寺)の予定です。


View Larger Map


※教林坊の拝観は土日祝のみ(紅葉シーズンは別)。ご確認のうえお出かけ下さい。

教林坊ホームページ(本尊 赤川観音 石の寺 教林坊)
http://www.d1.dion.ne.jp/~marche/kyourinbou/index.html


« 紫香楽の宮6(失われた奈良の文化圏を追って、正福寺と廃少菩提寺)~白洲正子「近江山河抄」の舞台を歩く(23) | トップページ | 近江路1(東海道水口と大池寺)~白洲正子「近江山河抄」の舞台を歩く(25) »

2016年12月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
サイト内検索
ココログ最強検索 by 暴想

東日本大震災の記事を御覧の皆さまへ

このブログのご案内

  • ご訪問ありがとうございます♪

  • 風景写真家、アマナイメージズ契約作家。故郷滋賀の里山や寺社、各地の知られざる風景を撮影して歩いています。2007年12月から琵琶湖畔の町・堅田の写真を更新してきた写真ブログです。

  • ▼公式ホームページ(堅田を初めとする風景写真・自然写真を掲載しています) junphotoworks.com

    フェイスブックへのリンクは下記をご利用下さい。応援ありがとうございます!



  • Copyright(C)2007-2015.
    兼松 純(Jun Kanematsu)

    写真に電子透かしを使用しています。

    当ブログに掲載されている写真・画像・文章・イラストの無断複写、転載等の使用および二次使用を禁じます。
    No reproduction or republication without written permission.

    ■当ブログ掲載写真は、地域の方に楽しんでいただく作品発表の場として、2007年より掲載してきました。2014年には、祭事写真のために筆者(兼松)が書いた解説文を専門家が新聞コラムに無断使用する事態があり、弁護士相談の上で関係者各位に申し入れを行いました。 判断に迷うときは、事前にお問い合わせいただきますようお願いします。

    ■2014年春からアマナイメージズに作品の一部を預けています。 WEBに掲載していない作品もございますので、詳細はお問い合わせ下さい。

連絡先/Contact

堅田の町のご紹介

お気に入りサイト・ブログ

無料ブログはココログ