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2013年5月13日 (月)

紫香楽の宮3(かくれ里「金勝」。大野神社から金勝寺里坊、金胎寺から金勝寺へ)~白洲正子「近江山河抄」の舞台を歩く(20)

大野神社参道入り口
「草津から南下すると金勝という村に出る。小さな集落が点在する中を縫っていくと立派な神社が次々とあらわれ、名称は忘れたが、いずれも鎌倉か室町のすぐれた建築である」
(白洲正子『かくれ里』より)


この神社が、滋賀県栗東市荒張にある大野神社と、隣の春日神社だと考えられている。
大野神社は、金勝寺(こんしょうじ)西参道の起点で、かつては起点を示す丁石があった。
その丁石(五十丁石)は盗難に遭って現存していない。

金勝(こんぜ)の里については、白洲さんの代表作『かくれ里』に詳しい記述がある。
『かくれ里』に書かれたコースをたどって、大野神社から金勝寺まで山道を登ってみた。

大野神社楼門
大野神社楼門(重要文化財)。鎌倉時代初期のもので滋賀に現存する楼門として最古。

大野神社楼門(裏側)
楼門の奥に見える白い服の背中が、大野神社の禰宜(ねぎ)・大宮さんである。

実は最近の大野神社、ジャニーズ事務所のグループ「嵐」のファンの聖地になっている。
嵐のリーダー・大野智(さとし)さんの名字が、神社と同じ、という理由だけではない。
神職の大宮さんのお名前が、聡(さとし)さんなのだ。

同じ名前の神職さんまでいるので、コンサートチケットの予約にご利益があるに違いないと、
ファンの方が日本中、海外からも訪ねてくるようになったという(大宮さん談)。
大宮さんには、取材や参拝客の対応でお忙しい中を、神社について丁寧にご説明頂いた。

大野神社
大野神社の祭神は、学問の神様として有名な菅原道真公である。
社伝によれば、寛平9年(897)菅原道真が勅使として金勝寺を訪れた。
その際、大野神社で休憩したことが、道真公が祀られる機縁になったという。

道真公を祀る以前は、国神三神(出雲大神・恵比寿大神・八幡大神)が祭神だったらしい。
これらの三神は境内の摂社に祀られている。

大野神社はもともと金勝村の総社で、水の神様である龍神様が境内末社に祀られている。
金勝山を構成する龍王山の頂に小さな社があって、大野神社の龍神様を祀っている。

大野神社本殿
大野神社本殿。こちらは天満宮としての建造物である。

春日神社表門
春日神社表門(重要文化財)。慶長18年(1612)の墨書から室町時代中期の創建とされる。

春日神社は大野神社の隣にあり、現在は大野神社の御旅所で金勝寺の護法神である。
奈良の興福寺文書に「狛坂春日社」とあることから、もとは狛坂寺の護法神だったらしい。

前回書いたように、金勝寺の結界の外に造られたのが狛坂寺(廃寺)である。
春日神社はかつて金勝山上にあり、応永年間(1394~1428)に現在地に移転されたという。

名前から推察される通り、春日神社は、奈良との縁が深かったと言われている。
春日神社の総本社は、御存知の通り、奈良の春日大社である。
春日大社は藤原氏(貴族)の氏寺で、同じく藤原氏の氏寺である興福寺と関係が深い。

そういえば、金勝寺を中興した願安も興福寺の僧である。
そもそも金勝寺は、平城京の鬼門(北東)にあって、奈良の都の守護寺として建立された。
春日神社もまた、藤原氏を初めとする貴族や奈良の庇護の下にあったと考えられている。

一丁石
金勝山上にあった一丁石。現在は金勝寺の里坊に保管されている。
一丁石は頭部が三角になっていて、サンスクリット語の「ア」と一町が刻まれている。

金胎寺
金胎寺(こんたいじ)。創建年代不祥だが、金勝寺二十五別院の一つ(鳴谷西寺)である。
現在は浄土宗の寺で、53段の石段とモミジが美しい。(内部拝観は予約が必要。)

『かくれ里』に出てくる金胎寺のご住職が、白州さんを金勝寺まで案内した方である。
今回はお会いできなかったが、今もご住職をされていてご健在だと、地元の方から伺った。
当時、白州さんがご住職と登った道が西参道だという。現在は西並木林道になっている。

石造不動明王
石造不動明王(せきぞうふどうみょうおう)。金勝寺への道標のひとつで、丁石と呼ばれる。
金勝寺の丁石は殆どが盗難に遭っており、現存するもののひとつ。

ちなみに白州さんが御覧になった「下乗石(げじょうせき)」という丁石も盗難に遭っている。
それを知って、なんともいえない残念な気持ちになった。

「山門の手前の草むらに、「下乗」と書いた美しい板碑が立ち、さすが石の近江だけあって、 こんな路傍にもみごとな石美術が残っていると思う。」(『かくれ里』より)

金勝寺へと登る林道
林道をいくつか越えて、金勝寺へと登っていく。上りがややきつい。
最後の上り(写真の坂道)を終えると、右の道が馬頭観音堂、左が金勝寺に続いていた。
馬頭観音堂からの眺めが素晴らしいというので、少し寄り道してみる。

馬頭観音堂
馬頭観音堂。普段は非公開。馬頭観音像は先代住職のときに盗難に遭ったという。
お寺を非公開にしたり、セキュリティを厳重にしてしまう気持ちもよく分かる。

馬頭観音堂の絵馬
馬頭観音堂の馬形絵馬。地元の栗東市は、JRAのトレーニングセンターがある「馬の町」。
栗東市民の6人に1人は、競馬の関係者(調教師や騎手とその家族)だと伺った。
この絵馬は金勝寺で扱っているとのこと。ご関心のある方はぜひどうぞ。

馬頭観音堂駐車場からの眺め
馬頭観音堂駐車場からの眺め。右に見えているのが三上山(標高432m)である。
いつも見上げている三上山が、眼下にある。見え方が違うので、新鮮な感覚だった。

金勝寺正面参道と仁王門
金勝山(こんぜやま)の頂上近くにある寺、金勝寺(こんしょうじ)。
平城京の鬼門(北東)に位置し、奈良の都(平城京)を守護するために建てられた寺である。
金勝寺の山続きが信楽(甲賀市信楽町)で、聖武天皇が作った紫香楽宮の跡がある。

天平5年(733)、聖武天皇の勅願により、良弁(ろうべん)によって金勝寺は開かれた。
中世に湖南仏教の中心として栄え、金胎寺・安養寺など二十五の別院があったと言われる。

金勝寺は興福寺と同じ法相宗の寺だったが、平安時代後期には天台宗の寺になっている。
対岸の比叡山の勢力が入ってきて、金勝寺の勢力は失われてしまったという事らしい。

後ろ盾の奈良は、治承4年12月28日(1181年1月15日)に平重衡の南都焼討に遭っている。
このとき、東大寺や興福寺は壊滅的な打撃を受けたと言われている。
金勝寺の勢力の衰退には、そのような歴史的な背景もあったのではないだろうか。
東大寺でさえ、講堂、食堂、東西の七重塔などは中世以降も再建されることはなかった。

金勝寺本堂(再建に至らず、約400年前の仮堂の姿)
本堂は約400年前の仮堂の姿。徳川家康に請願したが、再建までいたらなかったという。
檀家を持たない勅願寺ゆえに、歴代のご住職には数々のご苦労があったようだ。

だが、境内の凛とした佇まいは、他には真似ができない素晴らしいものがある。
本尊をはじめとする5体の仏像(すべて平安時代の作)が、重要文化財となっている。
中でも、本堂の手前「二月堂」にある、「ぐんだりさん」こと軍荼利明王立像が見事だ。

二月堂といえば奈良東大寺だが、「金勝寺」を開いた良弁は、東大寺も開いている。
東大寺の起源は天平5年(733)、若草山麓に創建された「金鐘寺」であるというから驚きだ。
聖武天皇は、信楽に造ろうとした大仏を、東大寺に造っているという経緯もある。

木造仁王立像(金勝寺仁王門)
「名前や伝承を、方々持ち歩くのは日本人の習性で、この場合も、大仏や良弁と一緒に、奈良まで運ばれて行ったのではないか。」

「(東大寺の)三月堂は、いわば金勝山の再生であり、奈良の東山を、金勝山に見立てたぐらいのことは言えると思う。」白州さんは『近江山河抄』の中で、持論をそう述べている。

私自身、金勝寺とその文化圏を歩いてみて、ここは奈良の文化圏だとつくづく感じた。
引き続き良弁の足跡を追って、栗東市の安養寺と、湖南市の西応寺へ向かった。

葵祭前儀「献撰供御人行列」(5/14近江の堅田から京都の下鴨神社へ鮒を届ける祭事)の模様を お届けした後、紫香楽の宮4(安養寺と西応寺)へ続く予定です。

金勝山の地図[PDF]
金勝山ハイキングコース情報(栗東市観光物産協会)


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