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2013年4月15日 (月)

逢坂越7(小関越と堅田源兵衛の伝承)~白洲正子「近江山河抄」の舞台を歩く(13)

桜の名所、長等公園

桜の名所、長等公園。春はハイカーや家族連れがたくさん訪れる。小関越道標にも近い。
(2013年4月4日撮影)

北国街道(西近江路)から分かれて藤尾で東海道に合流する約5kmの道が、小関越である。
かつては東海道の間道として利用されてきた。芭蕉が初めて大津に入ったときの道でもある。

長等神社と長等公園を結ぶ車道の途中に、小関越道標の案内板がある。
長等公園から小関越道標前に出る脇道もあるが、一般的ではないかもしれない。

長等公園へのアクセスは、以下の2ルートになる。
1.三井寺駅→(徒歩10分)→三井寺総門前→(5分)→長等神社→(5分)→長等公園
2.上栄町駅→(徒歩10分)→長等公園(→三井寺)

白洲さんは2のルートで、関蝉丸神社(上栄町)から長等公園を経て三井寺を訪ねたらしい。
今回歩いたのは1のルートで、 琵琶湖疏水の桜を眺めながら、まず三井寺へ向かった(前回)。

長等公園はかつて三井寺の境内だったというし、長等神社は三井寺を守護する神社である。
この一帯は、歴史的にも一続きのものと考えて差し支えないと思う。

小関越道標

江戸時代中頃に建てられた小関越道標(写真右)。「右小関越 三条五条いまくま 京道」
他の面には「左り三井寺 是より半丁」「右三井寺」と刻まれている。

三井寺観音堂は、西国三十三所観音巡礼の第十四番札所である。
刻銘の「いまくま」は、第十五番札所の京都今熊野観音寺をさす。
巡礼道としても使われていた道だったことが分かる。

小関越(大津市小関町から山科方面を望む)

大津市小関町から山科方面を望む。この先はハイキングの装備と同伴者が必要。
そこで今回は、観光として気軽に行ける小関越の入り口(大津側)をご紹介してみようと思う。

小関越の入り口で出会った石仏その1

小関越の入り口で出会った石仏。等正寺の少し先の墓地の前にあって、壮観である。

小関越の入り口で出会った石仏その2

享保十五の文字が見える。(手前の石仏は新しいが)古い石仏は江戸時代のものらしい。

小関越の入り口で出会った石仏その3

古い石仏が無数に置かれている。奥のお地蔵さん(お堂の中)は最近のもののようだ。

小関越の入り口で出会った石仏その4

小関越の入り口で出会った石仏その5

峠道は藤尾に続いており、藤尾川に沿って出ると、白州さんも訪ねた寂光寺がある。

寂光寺には素晴らしい摩崖仏があり、仏が刻まれた岩の一部をお堂の中に入れているという。
拝観には予約が必要なので、撮影の機会を得て、後日ご紹介したい。

寂光寺から100mほど行くと琵琶湖疏水に出る。疏水沿いに歩き、陸橋を渡ると四宮である。
四宮駅(京阪山科の一つ手前)はすぐ。疏水の先の公園を行き、JR山科駅まで行くことも可能。

シハイスミレ

「山路来て 何やらゆかし すみれ草」(松尾芭蕉・野ざらし紀行より)

この句は小関越で詠まれたものと言われている。
当時芭蕉が見たスミレは、シハイスミレ(写真)のようなスミレだったらしい。
小関越の大津側は自然が残っていて、往時を感じさせてくれる。

かたたげんべえくびのてら(両願寺)

話は長等神社の手前に戻る。突然「かたたげんべえくびのてら」という文字を目にした。
後ろに見えているのが長等神社の鳥居である。

三井寺町の両願寺

場所は、三井寺町の「両願寺」というお寺の前だった。なぜ、ここに?

かた田源兵衛(両願寺)

ここにも「かた田源兵衛」の文字。こちらも両願寺の境内だった。謎は深まる。

かたたげんべえくび(等正寺)

小関越道標の隣にあった「かたたげんべえくび」という道標。こちらは「等正寺」のもの。

殉教者の堅田源兵衛については、当サイト(Katata/堅田)でも何度か掲載したことがある。

浄土真宗中興の祖である蓮如は、比叡山延暦寺から迫害を受け、大津に滞在した時期がある。
その間、蓮如は数年堅田に滞在し、堅田は町を挙げて延暦寺と戦って負けている(堅田大責)。
比叡山に近い堅田の地を諦めた蓮如は越前に向かい、宗祖親鸞の木像を三井寺に預けた。

その後京都に戻った蓮如は、人の首を二つ差し出すなら木像を返そうと三井寺から言われる。
それを聞いた堅田の漁師源兵衛は、父親を説得して、自分の首をはねてもらう。
源兵衛の父親は、息子の首を三井寺に持って行き、自分の首もはねてくれと言った。

驚いた三井寺は親鸞の木像を返し、蓮如は「真宗復興の祖は源兵衛である」と涙したという。
その後源兵衛の父親は巡礼の旅に出て、旅先の広島県福山市で亡くなっている。
源兵衛の首は本堅田の光徳寺に祀られた。(というのが、光徳寺に伝わる話である。)

実は2011年の3月に、光徳寺のご住職から源兵衛さんの首を見せていただいた。
どくろ、それも小さな部類に入ると思われる、愛らしいものだった。

小関町の等正寺

小関町の等正寺。この寺にも源兵衛の首が祀られているという。

『滋賀県の歴史散歩』(山川出版社)を見ると等正寺だけ載っていて、光徳寺と同じ伝承だった。

堅田源兵衛の首(等正寺)によれば、3つの寺に堅田源兵衛の首の伝承がある。
3つの寺とは、本堅田の光徳寺、小関町の等正寺、三井寺町の両願寺。
「同じ人間の首がなぜ3つもあるのかは謎である(両願寺は現在非公開) 」とのことだった。

源兵衛さんの話は、堅田以外にも、三井寺のそばに2箇所あったということになる。
ここで堅田に出会えたのが驚きであり、大きな収穫だった。
こんな風に埋もれている話に光を当てて、きちんと残しておきたいと思ってきたからだ。
もうしばらく、春を追いかけながら、近江山河抄の舞台を撮影していく予定です。

日枝の山道1(日吉大社と山王祭)へ続きます。


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