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2013年3月22日 (金)

逢坂越3(長安寺の牛塔と関寺小町/埋もれ百体地蔵) ~白洲正子「近江山河抄」の舞台を歩く(3)

長安寺踏切と京阪電車

水色の電車が目の前に迫ってくる。電車の背後には、逢坂山。
京都と大津を結ぶ京津線(けいしんせん)の上栄町駅は、目と鼻の先にある。

長安寺踏切と石段

長安寺は上栄町駅のすぐ裏にある。この寺もまた、参道の上を線路が横切っている。
踏切を渡って、民家の間にある長い石段を登っていく。

長安寺から見た逢坂山の眺め

石段の上から見た逢坂山の風景。先ほどの踏切が小さく見えている。

左手(琵琶湖側)はビルに囲まれていたので、写真は掲載しなかった。

『近江山河抄』の中で、白洲正子さんはこう書いている。
「近江の空は広い。ことに、逢坂山を越えて来て望む湖水は、心がのびる思いがする。」
この風景を探すのは、大関越界隈では難しくなってきているのかもしれない。
10数年前に三井寺の境内から見たときも、既に高層建築が目立ち、琵琶湖は遠かった。

長安寺の牛塔

石段の途中には、牛塔(うしとう)と呼ばれる宝塔がある(重要文化財)。

昔、長安寺のある一帯は「関寺」と呼ばれ、大寺院があった。
平安時代に復興工事が行なわれた際、資材の運搬に一頭の牛が見事な働きをした。
その牛は仏の化身と噂され、時の権力者である藤原道長まで拝みに来たという。
しかし、工事終了と共に牛は死に、霊牛の供養塔として作られたのが牛塔だという。

長安寺の牛塔(案内板)

『近江山河抄』から再び、白州さんの言葉を引いてみる。

「石塔寺の三重塔にはまだ朝鮮の影響が見られたが、この宝塔は完全に和様化され、力強い中に暖かみが感じられる。 淡海の国のもう一つの枕詞を「石走る」(いわばしる)というのも、石に恵まれていたことの形容かも知れない。」

牛と石ということで、私は、1回目に書いた「車石」の話を連想した。
車石とは、江戸時代、牛車が通行しやすいように東海道 大津-京都間の道に敷かれた石である。
平安時代も江戸時代も、牛は今よりもっと身近にいて、牛の労苦に思いを寄せた人達がいたのだ。

獣魂碑(長安寺・大津市逢坂)

1927年(昭和2)11月、大津周辺の家畜商や食肉商により、獣魂碑が建てられた。

長安寺の石段の途中にあるが、牛塔と反対側にあるので、気づきにくいかもしれない。

近江国(滋賀県)は、近江牛の産地でもある。
時代が変わっても、人々の牛に対する思いは変わらなかったということだろう。

長安寺の由来(滋賀県大津市逢坂)

長安寺の由来である。長安寺のあたりは昔、関寺と呼ばれていて、大寺院があった。

江戸時代の『近江名所図会』も、蝉丸神社と逢坂山、長安寺と関寺の解説から始まっていた位だ。
かなりの大寺院だったに違いない。
長安寺は現在、時宗のお寺になっていて、小堂ひとつが残っている。

長安寺のご住職のブログに「関寺について」という解説があった。ぜひご一読いただきたい。
http://blogs.yahoo.co.jp/sekidera_choanji/32490053.html

長安寺本堂(滋賀県大津市逢坂)

小堂(本堂)の前にて。牛塔にちなんで、牛の置物が置かれている。
引き戸のガラスには、付近の茶色のマンションがぼんやり写りこんでいた。

埋もれ百体地蔵と長安寺本堂(滋賀県大津市逢坂)

境内に足を踏み入れて驚いた。たくさんの石仏が、山のように置かれている。

一目見て、かなり古いもののようだと思った。

長安寺の埋もれ百体地蔵・正面から(滋賀県大津市逢坂)

正面や横から、角度を変えて撮影している。

長安寺の埋もれ百体地蔵・本堂側から(滋賀県大津市逢坂)

「埋もれ百体地蔵」。

元亀二年の比叡山焼き討ちなどにより比叡山麓(大津市坂本)に埋もれていた地蔵だという。
昭和35年に長安寺へ百体移したものだと、案内板には書いてあった。

比叡山の焼き討ちを逃れた地蔵といえば、比叡山ロープウェーの途中でも見たことがある。

小野小町の供養塔(長安寺・滋賀県大津市逢坂)

埋もれ百体地蔵の奥には、小野小町の供養塔がある。
謡曲の「関寺小町」が晩年の小野小町を歌っている縁で、置かれたのだろう。

関寺小町の案内板(長安寺・滋賀県大津市逢坂)

小野小町といえば、平安時代の歌人で絶世の美女とされる。
彼女は、晩年を山科(京都市)の随心院のあたりで暮らしたといわれる。

大津から逢坂山を越えれば、山科である。

逢坂越4(大関越で出会った仏様(前編))へ続きます。


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