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2013年3月20日 (水)

逢坂越1(蝉丸神社と逢坂山/車石) ~白洲正子「近江山河抄」の舞台を歩く(1)

関蝉丸神社上社からの眺め

清少納言や紀貫之が見た逢坂山(おうさかやま)の風景も、こんな感じだったのだろうか。

この辺りには昔、「逢坂の関」という関所があった。
京都から滋賀へ抜ける道のひとつで、逢坂越(大関越)と呼ばれている。
現在は国道一号線が走っていて、交通量が非常に多い。

その中を、白洲正子さんの「近江山河抄」を手がかりに歩いてみようと思ったのは、なぜだろう。
この風景を、今のうちにきちんと撮影しておきたいと思ったことが大きい。

蝉丸の句碑

逢坂山は日本書紀にも出てくる地で、万葉集をはじめ数々の歌に詠まれている。

中でも有名なのが、百人一首の蝉丸の歌だろう。

「これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂の関」

蝉丸は9世紀後半頃の人である。琵琶の名手で、逢坂の関の近くに庵を作って暮らしたという。
目が見えなかったとも醍醐天皇の第四皇子とも言われるが、はっきりとしたことは分かっていない。
琵琶の名手だったことから、芸能の神様として現在も信仰を集めている。

English→http://en.wikipedia.org/wiki/Semimaru

蝉丸神社

蝉丸を祀った神社は3箇所ある。

白州さんの表現を借りれば「峠の手前の旧道と、峠を登った所と、大津の町の入口にある」。
順に、蝉丸神社、関蝉丸神社上社、関蝉丸神社下社である。
(なお、関蝉丸神社は上下社をもって一社とされている。)

写真は↑↓二枚とも蝉丸神社。

蝉丸神社拝殿

蝉丸神社の石段の近くに、由緒が書かれてあった。

天慶九年(946年)、蝉丸を主神として祠ったという。
万治三年(1660年)に現在の社が建立され、街道の守護神 猿田彦命と豊玉姫命を合祀したとあった。

蝉丸神社は、芸能の神様だけでなく、街道の神様でもあるのだ。

国道一号線と京阪電車大谷駅

逢坂峠の手前にある大谷にて、国道一号線と京阪電車「大谷駅」を写したもの。
蝉丸神社は大谷駅の改札を出てすぐのところにあって、東海自然歩道の音羽山にも近い。

蝉丸神社前の車石

車石をご存知だろうか。実は昨年、大津市歴史博物館の企画展で初めて知った。

車石(くるまいし)とは、江戸時代、牛車が通行しやすいように東海道 大津-京都間3里(約12km)の道に敷かれた石である。
京都の市街地から南へ延びる竹田街道と鳥羽街道にも見られる。
頻繁な牛車の通行によって石が擦り減り、U字型の凹みが残っているのが特徴である。

蝉丸神社前の車石は、1995年(平成7)に地元の藤尾学区自治連合会が設置されたとのこと。
「近江山河抄」は1974年(昭和49)刊行なので、おそらく白洲さんは御覧になっていない風景だろう。

蝉丸神社前の車石(案内板)

詳しくは大津市歴史博物館のHPをご参照いただきたい。

HPによれば、江戸時代、大津の港に荷揚げされた米などの物資は、牛車(うしぐるま)によって東海道を京都まで運ばれていた。
しかし、当時の街道は土道だったので、雨が降れば牛車の車輪が泥道に埋まり、思うように通行ができなかった。
そこで約200年前、牛車の車輪がぬかるみにはまらないように両輪の幅に合わせて2列に石を敷いたという。

逢坂関跡の辺り

逢坂の関の正確な場所ははっきりしていない。
この先にある関蝉丸神社(上社)から関寺(現在の長安寺のある辺り)の周辺にあったともいう。

写真は逢坂関跡の辺り。車が多いので、この先は歩かずに引き返した。
交通量からして、大関越は歩くには若干怖いコースである。
もっとも、ハイカーの男性やサイクリングの人を時々見かけた。

信号の後ろに見えている茶色の高架橋は、音羽山に続く東海自然歩道。
こちらも以前からハイカーに人気がある。

この日、徒歩で訪ねたのは以下の2ルート。
・京阪電車「大谷」下車→蝉丸神社→逢坂関跡(引き返す)
・京阪電車「上栄町」下車→関蝉丸神社下社→関蝉丸神社上社(引き返す)

逢坂関跡公園にも車石が置かれている(平成21年設置)とのことなので、後日また訪ねる予定。

関蝉丸神社上社

峠を登った所にある関蝉丸神社上社。
お気づきだろうか、鳥居が竹で出来ている。再建の予定があるかは不明。

冒頭で「この風景を今、きちんと撮影しておきたいと思ったことが大きい。」と書いた。
撮影していて、各地で似たような状況が見受けられることへの危惧がある。

関蝉丸神社上社からの眺め

1枚目の写真の再掲。実は、関蝉丸神社上社からの眺めである。
最初に見たとき、京都の貴船神社の雰囲気にどこか似ていると思った。
どちらも京都の郊外という点では変わらないのかもしれない。

だが、この眼下にあるのは貴船川ではなく、国道一号線である。
「近江山河抄」の風景は、現に消え行く風景になっていないだろうか。

消え行くことさえ気付かれないまま、静かに消えようとしている風景があるとしたら。
この風景を撮っておきたいと思った。近江(滋賀)は、私の故郷でもある。

関蝉丸神社上社付近

関蝉丸神社上社は、写真左側の急斜面にある。徒歩か自転車で来るしかないようだ。
目の前には、名神高速道路の高架橋が、国道一号線を横断するように架かっている。

上社の前には横断歩道があって、歩行者用ボタンを押すとすぐに信号が青になった。
歩行者には、こういう配慮が本当にありがたい。

国道1号線と161号線の分岐点(滋賀県大津市逢坂)

国道の分岐点。ここで国道161号線と別れる。
161号線へ進むと大津の市街地へ入る。関蝉丸神社下社もこちらにある。

関蝉丸神社下社の参道入り口と常夜灯-1

関蝉丸神社下社の参道入り口は、国道161号線沿いにある。常夜灯が見事だ。

関蝉丸神社下社の参道入り口と常夜灯-2

対になっている常夜灯の右側には・・・

関蝉丸神社下社と踏切

参道があって、参道の上を横断するように線路が走っている。

関蝉丸神社下社に行くには、踏切を渡っていくしかない。
後から気がついたが、参道を線路が横切っているのは、ここだけではなかった。

逢坂越2(関蝉丸神社と関の清水)へ続きます。


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