« 2013年2月 | トップページ | 2013年4月 »

2013年3月

2013年3月29日 (金)

大津の京1(大友皇子最期の地と、鞍掛神社の伝説)~白洲正子「近江山河抄」の舞台を歩く(7)

 


天神川とボケの花


堅田と衣川の間を流れる天神川。岸辺にボケの花が咲いていた。

天神川と桜


天神川では桜の木が一本だけ満開になっていた。向こうに見えているのが、明神橋。

比良八講(前回掲載)の帰りに立ち寄ったのが、衣川(きぬがわ)の町だった。
「大津の宮」ゆかりの地の撮影は全部終わっていたが、今どうしても訪ねたかった。

天智天皇の子、大友皇子(弘文天皇)が最期を迎えた場所という伝説が残る場所。
それが今回ご紹介する「鞍掛(くらかけ)神社」である。

鞍掛神社参拝道の道標


明神橋を渡ったところに、参拝道の道標がある。

湖西線、緑色の電車(JR113系)がすれ違う風景


高台から湖西線の高架がよく見える。緑色の電車(JR113系)がすれ違う風景に出くわす。

あまり知られていない場所なので、行き方を簡単に書いておくと・・・
◇JR湖西線「堅田駅」より江若バス堅田町内循環線(乗車7分)、「仰木道」下車。
◇仰木口(国道161号線)から県道313号線へ入り、徒歩約10分で明神橋がある。
◇天神川を渡り、高台に続く道を直進。アオタニサッシさんのすぐ先で右折。
◇住宅街の坂道を登っていくと、児童公園がある(衣川城跡の石碑がある公園)。
◇公園の上の道を右折。駐車場があって、その奥に鞍掛神社がある。

鞍掛神社と梅の花


鞍掛神社の境内では、ちょうど梅の花(白梅)が満開だった。すぐに鳥居と本殿がある。

清冽な空気が辺りを包んでいる。神社というより天皇陵の持つ雰囲気だ。
この撮影の10日前、弘文天皇陵と天智天皇陵に参拝していたから、そう感じたのかもしれない。

鞍掛神社の鳥居



大友皇子が最期を迎えた場所は分かっていない。


天智天皇が大津宮で亡くなった後、皇位をめぐって壬申の乱(672年)が起きた。
大海人皇子(天智天皇の弟)と大友皇子(天智天皇の息子)が争い、大友皇子は敗れる。

大友皇子が最期を迎えた場所について、日本書紀には次の記述がある。
「走(に)げて入らむ所無し。乃(すなわ)ち還りて山前(やまさき)に隠れて、自ら縊(くび)れぬ」。

山前の場所は特定できていない。

『近江山河抄』で白洲正子さんは、崇福寺(滋賀里)のあたりではないかと書いている。
それを読んだ時、堅田で聞いていた鞍掛神社の話を思い出した。

鞍掛神社の本殿



鞍掛神社の伝承は日本書紀と異なる。大友皇子は従者とともに衣川の地に落ち延びた。


皇子は乗ってきた馬の鞍を柳の木に掛けると、自ら命を絶ったという。神社の名前の由来である。
882年、陽成天皇の勅命によって鞍掛神社が創建された。

鞍掛神社


伝承では大友皇子の最期をみとった二人の侍臣がいた。農民となって衣川に定住したという。その子孫は同じ名字を名乗るようになった。そして、氏子として今も神社を守っている。

皇子の命日は7月23日とされるため、鞍掛神社では7月第3日曜日に例祭を行なっている。

由緒によれば、大友皇子は古来より、学問の神・厄除け霊験の神として信仰されてきた。
大友皇子は日本で始めて「五言の詩」を作ったことから、学問の神とされている。

鞍掛神社にお供えしてあった水仙の花


鞍掛神社の境内にお供えしてあった、たくさんの水仙の花。(2013年3月26日撮影)

ある氏子の方(当ブログの読者の方)から堅田で鞍掛神社の話を聞いたのが、2年前の3月。
2011年の3月、東日本大震災の直後で、そのときのお話をようやくまとめることができました。
『近江山河抄』には直接出てこない場所ですが、この機会に改めてご紹介させて頂きました。

堅田周辺もまた歴史と文化の宝庫です。お近くの方は、ぜひお参りくださいませ。

大津の京2(天智天皇山科陵)へ続きます。

(追記)
○2013年の例祭は第2日曜日開催です。7月14日11時より、鞍掛神社にて。(2013/7/6)
▼2013年度の例祭の写真をこちらに掲載しています。(2013/7/17)
http://katata.cocolog-nifty.com/blog/2013/07/2013723-e2e2.html


View Larger Map


続きを読む "大津の京1(大友皇子最期の地と、鞍掛神社の伝説)~白洲正子「近江山河抄」の舞台を歩く(7)" »

2013年3月27日 (水)

比良の暮雪1(比良八講(2013年3月26日撮影))~白洲正子「近江山河抄」の舞台を歩く(6)

 


Omiji076


雪の残る比良山を背景に、「比良八講」の幟がはためく。

JR近江舞子駅から琵琶湖の方向へ歩いていき、振り返ったときに出会った風景。
比良山の麓の湿地帯は、春の芽吹きが始まっていた。
比良八講は毎年3月26日に行われる天台宗の行事で、湖国に本格的な春の訪れを告げる。

Omiji077


近江舞子内湖。比良山の雄大な風景が広がる。内湖の奥に比良八講の会場がある。

午前9時に大津市南部の本福寺(大津市長等3丁目)を出発した一行は、船で近江舞子へ。
11時30分ごろ南小松港で下船し、会場の雄松崎へ向かう。その様子を撮影させていただいた。

Omiji078


Omiji079


修験者と比叡山延暦寺の僧侶が、雪の残る比良山を背景に、南小松を練り歩く。

琵琶湖の西側、比良山地東麓に吹く局地風は、比良颪(ひらおろし)と呼ばれる。
特に比良八講の前後に吹くものを、比良八講荒れじまい又は比良八荒と呼ぶ。
(比良八講と比良八荒、読み方は同じだけど、別々のものです。)

Omiji080


南小松港そばの観音像前にて、湖上安全祈願を行なう一行。

比良八講荒れじまいの名前どおり、この日の風はかなり冷たかった。
修験者のほら貝が鳴り響いた後、延暦寺の僧侶と門徒の読経が始まった。

Omiji081


比良八講の会場である雄松崎(おまつざき)へ。
海の家と湖岸の松林の間を行く。南小松港から雄松崎へは徒歩10分程度で着く。

Omiji082


比良八講の起源は平安時代。比良明神、比良権現に五穀豊穣、風雨順時などを祈った。

修験道の地でもある比良には、古来から、たくさんの神々が祀られていた。
古代の神々は仏教と習合し、仏の化身「比良明神」「比良権現」として信仰されるようになる。

比良山の隣が、比叡山である。天台宗の開祖・最澄は、比叡山に延暦寺を開いた。
天台宗の隆盛に伴い、比良山においても「比良三千坊」と言われるほど僧坊があったという。
冬から春へと変わる時期、比良の寺々では比良明神、比良権現に五穀豊穣などを祈った。
出典:http://www.hira-hakkou.net/rekishi.html

Omiji083


比叡山焼き討ちや鎌倉仏教の台頭により廃れた比良八講は、戦後の混乱期に再興された。

戦時中に千日回峰行を行なった箱崎さんという行者がいた(箱崎文応大僧正、故人)。
比良山頂からは琵琶湖がよく見える。箱崎さんが悟ったのは、水への感謝だったという。

箱崎さんは福島県の小名浜(現いわき市)生まれ。水難事故に遭い、多くの仲間を失う。
これを契機に39歳の春に比叡山に入り、40歳になって仏門に入ったという経歴を持つ。


水難者の回向法要、命の水瓶(琵琶湖)への感謝報恩、水源の山々の保全。
それが、比良八講を再興した本旨だったという。

1955年(昭和30)、中世以降400年以上も途絶えていた比良八講は、蓬莱で再興された。
その後、浜大津、雄琴、唐崎、堅田(琵琶湖タワー)と場所を変えながら開催された。
そして2002年より、比良の裾野である近江舞子(南小松)で行われるようになった。
出典:http://www.hira-hakkou.net/hakozaki.html

Omiji084


松林の間に琵琶湖が見える。比良八講の旗の手前に、スイセンの花が咲いていた。

Omiji085


琵琶湖八景のひとつ「雄松崎」(おまつざき)。青く澄み切った湖水と美しい砂浜が広がる。
背後には比良山。麓に南小松の町が見えている。とても美しい。

Omiji086


雄松崎にて。比良山(比良明神、比良権現)の方向を向いて、祈る一行。
修験者同士の問答や、結界の四方を弓で射る儀式なども行なわれた。

Omiji087


比良八講のクライマックス。結界の中で護摩をたく。ものすごい煙が上がる。

Omiji088


最後に参加者への加持祈祷が行なわれて、比良八講は終わった。

※比良八講開催日程(毎年3月26日)
9:00~9:30 市中お練り(本福寺(大津市長等3丁目)~浜大津)
9:30~9:35 桟橋法要(大津港)
9:50~11:30 湖上法要(ビアンカ)
11:30~12:00 近江舞子浜お練り
12:00~12:50 採燈護摩供(雄松崎)

Omiji089


雄松崎にて、東の方向を見ている。琵琶湖の対岸は近江八幡市。

そういえば湖東もまた、古来に神々がいて、山岳信仰が盛んだった。
琵琶湖の向こう側も同じように石仏やお寺が数多く残る地域だ。

ここ近江舞子の少し北に、琵琶湖の中に鳥居が建つ神社(白鬚神社)がある。
「白鬚神社から東の方を見渡した時の風景」として、白洲さんは次のように書いている。

「湖水の中の鳥居に、すっぽりはまり込んだ工合に、長命寺の岬が見え、沖の島が霞んでいる。その時私は、妙な気持がした。もしかすると、この鳥居は、向う側を遥拝するために造られたのではないか。」

「いや、そんな筈はない、とすぐ思い返したが、その印象が全然間違っていたとは思えない。」

「鳥居は白鬚神社のものに違いないが、同時に、沖の島を遥拝する目的もあったので、比良の麓に居住した帰化人たちは、玄界灘の荒波をしのぎつつ、神の島に航海の無事を祈った時の光景を、まざまざとそこに見たに相違ない。」

山の形に神秘的なものを感じるのは、古今東西変わらないのかもしれない。

※付記:白洲正子さんの紀行文『近江山河抄』では、比良八講は蓬莱の「小女郎池」のくだりで登場しますが、現在は南小松で行なわれています。また、『近江山河抄』の文章は、比良八講が小女郎という女性の供養のために行なわれているようにも読めますが、比良八講は小女郎伝説とは関係がないことを書き添えておきます。


大津の京1(大友皇子最期の地と、鞍掛神社の伝説)へ続きます。


続きを読む "比良の暮雪1(比良八講(2013年3月26日撮影))~白洲正子「近江山河抄」の舞台を歩く(6)" »

2013年3月26日 (火)

逢坂越5(大関越で出会った仏様(後編)) ~白洲正子「近江山河抄」の舞台を歩く(5)

 


逢坂越(大関越)で出会った石仏18


前回に引き続き、京都から滋賀へ抜ける逢坂越(大関越)で出会った仏様をご紹介します。

逢坂越(大関越)で出会った石仏30


山道の脇に石仏が点々と置かれていて、散策を兼ねてお参りできるようになっている。

ここは白州正子さんの「近江山河抄」にも登場しない。
ここまで来て参拝する人は、殆どいないようだった。

逢坂越(大関越)で出会った石仏19


逢坂越(大関越)で出会った石仏20


逢坂越(大関越)で出会った石仏21


逢坂越(大関越)で出会った石仏22


逢坂越(大関越)で出会った石仏23


歩くから見えるもの、撮れるものは、確かにあると感じる。
一方で、きちんと掬い上げないと、消えてしまうような儚さも持っている世界だ。

逢坂越(大関越)で出会った石仏25


逢坂越(大関越)で出会った石仏26


逢坂越(大関越)で出会った石仏27


仏様のお顔に蜘蛛の巣や泥がついていることも多く、ハンカチで拭ったこともたびたび。

逢坂越(大関越)で出会った石仏28


逢坂越(大関越)で出会った石仏29


逢坂越(大関越)で出会った石仏31


逢坂越(大関越)で出会った石仏32


逢坂越(大関越)で出会った石仏33


シルクロードの仏様のような、大陸的なおおらかさを感じさせるものもあった。

逢坂越(大関越)で出会った石仏34


逢坂越(大関越)で出会った石仏36


逢坂越(大関越)で出会った石仏37


この仏様の持つ、慎ましさが好きだ。

手を合わせるとき、人は自分の中の仏様を拝んでいるのかもしれない。
相手の中の仏様を拝んでいるときもあるだろう。そんなことを考えた。

逢坂越(大関越)で出会った石仏38


逢坂越は、単に京都-近江をつなぐ峠というだけではない。

歩くことで人が気持ちを切り替える場所でもあったように思う。
峠とは、そんな不思議な場所だ。

比良の暮雪1(比良八講)へ続きます。

周辺地図はこちら


View Larger Map


 

 

続きを読む "逢坂越5(大関越で出会った仏様(後編)) ~白洲正子「近江山河抄」の舞台を歩く(5)" »

2013年3月25日 (月)

逢坂越4(大関越で出会った仏様(前編)) ~白洲正子「近江山河抄」の舞台を歩く(4)

 


逢坂越(大関越)で出会った石仏24


京都から滋賀へ抜ける逢坂越(大関越)で、思いがけずたくさんの石仏に出会った。

逢坂越(大関越)で出会った石仏35


山道の脇に石仏が点々と置かれていて、散策を兼ねてお参りできるようになっている。
昭和になってから、近所の人が寄進して作られたものらしい。

逢坂越(大関越)で出会った石仏01


仏様のお顔といい、数といい、素晴らしかったので、2回に分けてご紹介します。

逢坂越(大関越)で出会った石仏02


逢坂越(大関越)で出会った石仏03


逢坂越(大関越)で出会った石仏04


逢坂越(大関越)で出会った石仏05


逢坂越(大関越)で出会った石仏06


逢坂越(大関越)で出会った石仏07


逢坂越(大関越)で出会った石仏08


逢坂越(大関越)で出会った石仏09


逢坂越(大関越)で出会った石仏10


↑この写真のように、お顔の分からない状態の仏様も数体あった。

逢坂越(大関越)で出会った石仏11


逢坂越(大関越)で出会った石仏12


道の先には、また次の石仏があって、どこまでも道が続いている。

静まり返った山中でこれだけの数の仏様に会うと、人は敬虔な気持ちになる。
(特に何か信仰している宗教があるわけではないけれど、そう感じるには十分だった。)

歩くことと信仰は、どこかでつながっているのかもしれない。

逢坂越(大関越)で出会った石仏13


逢坂越(大関越)で出会った石仏14


逢坂越(大関越)で出会った石仏15


逢坂越(大関越)で出会った石仏16


逢坂越(大関越)で出会った石仏17


逢坂越5(大関越で出会った仏様(後編))へ続きます。


周辺地図はこちら


View Larger Map


続きを読む "逢坂越4(大関越で出会った仏様(前編)) ~白洲正子「近江山河抄」の舞台を歩く(4)" »

2013年3月22日 (金)

逢坂越3(長安寺の牛塔と関寺小町/埋もれ百体地蔵) ~白洲正子「近江山河抄」の舞台を歩く(3)

 


長安寺踏切と京阪電車


水色の電車が目の前に迫ってくる。電車の背後には、逢坂山。
京都と大津を結ぶ京津線(けいしんせん)の上栄町駅は、目と鼻の先にある。

長安寺踏切と石段


長安寺は上栄町駅のすぐ裏にある。この寺もまた、参道の上を線路が横切っている。
踏切を渡って、民家の間にある長い石段を登っていく。

長安寺から見た逢坂山の眺め


石段の上から見た逢坂山の風景。先ほどの踏切が小さく見えている。

左手(琵琶湖側)はビルに囲まれていたので、写真は掲載しなかった。

『近江山河抄』の中で、白洲正子さんはこう書いている。
「近江の空は広い。ことに、逢坂山を越えて来て望む湖水は、心がのびる思いがする。」
この風景を探すのは、大関越界隈では難しくなってきているのかもしれない。
10数年前に三井寺の境内から見たときも、既に高層建築が目立ち、琵琶湖は遠かった。

長安寺の牛塔


石段の途中には、牛塔(うしとう)と呼ばれる宝塔がある(重要文化財)。

昔、長安寺のある一帯は「関寺」と呼ばれ、大寺院があった。
平安時代に復興工事が行なわれた際、資材の運搬に一頭の牛が見事な働きをした。
その牛は仏の化身と噂され、時の権力者である藤原道長まで拝みに来たという。
しかし、工事終了と共に牛は死に、霊牛の供養塔として作られたのが牛塔だという。

長安寺の牛塔(案内板)


『近江山河抄』から再び、白州さんの言葉を引いてみる。

「石塔寺の三重塔にはまだ朝鮮の影響が見られたが、この宝塔は完全に和様化され、力強い中に暖かみが感じられる。
淡海の国のもう一つの枕詞を「石走る」(いわばしる)というのも、石に恵まれていたことの形容かも知れない。」

牛と石ということで、私は、1回目に書いた「車石」の話を連想した。
車石とは、江戸時代、牛車が通行しやすいように東海道 大津-京都間の道に敷かれた石である。
平安時代も江戸時代も、牛は今よりもっと身近にいて、牛の労苦に思いを寄せた人達がいたのだ。

獣魂碑(長安寺・大津市逢坂)


1927年(昭和2)11月、大津周辺の家畜商や食肉商により、獣魂碑が建てられた。

長安寺の石段の途中にあるが、牛塔と反対側にあるので、気づきにくいかもしれない。

近江国(滋賀県)は、近江牛の産地でもある。
時代が変わっても、人々の牛に対する思いは変わらなかったということだろう。

長安寺の由来(滋賀県大津市逢坂)


長安寺の由来である。長安寺のあたりは昔、関寺と呼ばれていて、大寺院があった。

江戸時代の『近江名所図会』も、蝉丸神社と逢坂山、長安寺と関寺の解説から始まっていた位だ。
かなりの大寺院だったに違いない。
長安寺は現在、時宗のお寺になっていて、小堂ひとつが残っている。

長安寺のご住職のブログに「関寺について」という解説があった。ぜひご一読いただきたい。
http://blogs.yahoo.co.jp/sekidera_choanji/32490053.html

長安寺本堂(滋賀県大津市逢坂)


小堂(本堂)の前にて。牛塔にちなんで、牛の置物が置かれている。
引き戸のガラスには、付近の茶色のマンションがぼんやり写りこんでいた。

埋もれ百体地蔵と長安寺本堂(滋賀県大津市逢坂)


境内に足を踏み入れて驚いた。たくさんの石仏が、山のように置かれている。

一目見て、かなり古いもののようだと思った。

長安寺の埋もれ百体地蔵・正面から(滋賀県大津市逢坂)


正面や横から、角度を変えて撮影している。

長安寺の埋もれ百体地蔵・本堂側から(滋賀県大津市逢坂)


「埋もれ百体地蔵」。

元亀二年の比叡山焼き討ちなどにより比叡山麓(大津市坂本)に埋もれていた地蔵だという。
昭和35年に長安寺へ百体移したものだと、案内板には書いてあった。

比叡山の焼き討ちを逃れた地蔵といえば、比叡山ロープウェーの途中でも見たことがある。

小野小町の供養塔(長安寺・滋賀県大津市逢坂)


埋もれ百体地蔵の奥には、小野小町の供養塔がある。
謡曲の「関寺小町」が晩年の小野小町を歌っている縁で、置かれたのだろう。

関寺小町の案内板(長安寺・滋賀県大津市逢坂)


小野小町といえば、平安時代の歌人で絶世の美女とされる。
彼女は、晩年を山科(京都市)の随心院のあたりで暮らしたといわれる。

大津から逢坂山を越えれば、山科である。

逢坂越4(大関越で出会った仏様(前編))へ続きます。



View Larger Map


 

 

続きを読む "逢坂越3(長安寺の牛塔と関寺小町/埋もれ百体地蔵) ~白洲正子「近江山河抄」の舞台を歩く(3)" »

2013年3月21日 (木)

逢坂越2(関蝉丸神社と関の清水) ~白洲正子「近江山河抄」の舞台を歩く(2)

 


関蝉丸神社下社と狛犬


参道を横切る踏切を渡って関蝉丸神社(下社)に入ると、かわいらしい狛犬が迎えてくれた。

京阪電車の上栄町駅で下車し、国道161号線の坂道を10分ほど上っていくと、下社がある。
白洲正子さんが「蝉丸神社の下社(関清水明神)」と書いているのが、この神社である。

神社の建物は老朽化して、所々傷んでいるように見える。
芸能の神様である蝉丸を慕って、時折参拝客が訪れるらしい。
記帳用のノートが本殿に置いてあった。

関蝉丸神社下社本殿


社伝によれば822年(弘仁13)に猿田彦命・豊玉姫命(街道の守護神)を上社と下社に祀った。

蝉丸(平安時代中期の琵琶法師・歌人)が逢坂山に住み、没後に上社と下社に祀られるようになった。
天禄2年(971年)に綸旨を下賜され、以後歌舞音曲の神として信仰されるようになったという。
(出典:ウィキペディア(関蝉丸神社)

蝉丸を祀った神社はもう一箇所あると、前回書いた。峠の手前(大谷)にある蝉丸神社である。
蝉丸神社の社伝には、天慶九年(946年)に蝉丸を主神として祠ったとある。
そして万治三年(1660年)に、猿田彦命と豊玉姫命を合祀したとあった。

蝉丸と猿田彦命・豊玉姫命を祀った順序こそ違うが、関蝉丸神社のほうが歴史は古いようだ。
関蝉丸神社の分社が蝉丸神社らしいという話も聞いたが、それ以上のことは分からなかった。

時雨燈篭


関蝉丸神社(下社)本殿の左脇には、重要文化財の「時雨燈篭」がある。
鎌倉時代の特色をもった貴重なものだという。優しい雰囲気のある石燈篭だった。

時雨燈篭(案内板)


関蝉丸神社下社と関の清水


関蝉丸神社(下社)拝殿の手前に、「せきのしみづ」(関の清水)とある。
歌枕にもなっている「関の清水」は、すでに枯れていた。

関の清水


『近江名所図会』という、江戸時代に書かれたガイドブックがある。
「蝉丸の社内にあれども、長明[無名抄]に、その時すでに水かれたるよし見えたれば」とある。
江戸時代以前に、すでに水は枯れていたらしい。

(『近江名所図会』:文化11年(1814年)刊行、1974年に柳原書店から復刊されている。)

紀貫之の句碑(関の清水)


関の清水を詠んだ代表的な歌。関蝉丸神社(下社)境内に句碑がある。
「逢坂の関の清水に影みえて今やひくらん望月の駒」(紀貫之)

逢坂山ふもとの神社のサネカズラ


関蝉丸神社(下社)境内に「さねかずら」が植えてあった。
逢坂山と「さねかずら」といえば、百人一首の三条右大臣の歌がある。

「名にし負はば 逢坂山のさねかづら 人に知られで くるよしもがな」

句碑は無かったので連想ゲームみたいな話だが、私自身、家に帰って調べ直したことも多い。
大関越を歩いて思ったのは、見えないものにロマンを感じるのは大変なことだということだ。
現代の生活は、逢坂の関を歩くことや馬に乗ること、さねかずらを意識することから遠くなっている。

「消え行くことさえ気付かれないまま、静かに消えようとしている風景があるとしたら」と前回書いた。
昔の人と文化的な対話が出来なくなっているのなら、やはり悲しい。

関蝉丸神社下社の参道を走る京阪電車(境内から撮影)


関蝉丸神社(下社)の参道を、京阪電車が走っていく。

関蝉丸神社下社と京阪電車踏切(境内から撮影)


上社と下社の関係については、『近江名所図会』に次の記述があった。ご参考までに。

「関大明神蝉丸宮 此山中の町より八町の間には、関清水明神と共に並せ祭る。神事九月二十四日。
但二十一日より清水明神へ神輿をうつし奉り、二十四日又此社へ還御あり、是神事なり。
いづれを御旅所ともわけがたし。」(注:関大明神蝉丸宮=上社、関清水明神=下社)

滋賀県神社庁HPによれば、

関蝉丸神社
の祭事は現在、5月24日に行なわれている。

蝉丸の伝説と神社の現状は、京都新聞の記事が詳しいのでご参照いただきたい。
京都新聞「ふるさと昔語り」 (136)蝉丸と逆髪(大津市逢坂1丁目)

逢坂越3(長安寺の牛塔と関寺小町/埋もれ百体地蔵)へ続きます。



View Larger Map

 


 

続きを読む "逢坂越2(関蝉丸神社と関の清水) ~白洲正子「近江山河抄」の舞台を歩く(2)" »

2013年3月20日 (水)

逢坂越1(蝉丸神社と逢坂山/車石) ~白洲正子「近江山河抄」の舞台を歩く(1)

 


関蝉丸神社上社からの眺め


清少納言や紀貫之が見た逢坂山(おうさかやま)の風景も、こんな感じだったのだろうか。

この辺りには昔、「逢坂の関」という関所があった。
京都から滋賀へ抜ける道のひとつで、逢坂越(大関越)と呼ばれている。
現在は国道一号線が走っていて、交通量が非常に多い。

その中を、白洲正子さんの「近江山河抄」を手がかりに歩いてみようと思ったのは、なぜだろう。
この風景を、今のうちにきちんと撮影しておきたいと思ったことが大きい。

蝉丸の句碑


逢坂山は日本書紀にも出てくる地で、万葉集をはじめ数々の歌に詠まれている。

中でも有名なのが、百人一首の蝉丸の歌だろう。

「これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂の関」

蝉丸は9世紀後半頃の人である。琵琶の名手で、逢坂の関の近くに庵を作って暮らしたという。
目が見えなかったとも醍醐天皇の第四皇子とも言われるが、はっきりとしたことは分かっていない。
琵琶の名手だったことから、芸能の神様として現在も信仰を集めている。

English→http://en.wikipedia.org/wiki/Semimaru

蝉丸神社


蝉丸を祀った神社は3箇所ある。

白州さんの表現を借りれば「峠の手前の旧道と、峠を登った所と、大津の町の入口にある」。
順に、蝉丸神社、関蝉丸神社上社、関蝉丸神社下社である。
(なお、関蝉丸神社は上下社をもって一社とされている。)

写真は↑↓二枚とも蝉丸神社。

蝉丸神社拝殿


蝉丸神社の石段の近くに、由緒が書かれてあった。

天慶九年(946年)、蝉丸を主神として祠ったという。
万治三年(1660年)に現在の社が建立され、街道の守護神 猿田彦命と豊玉姫命を合祀したとあった。

蝉丸神社は、芸能の神様だけでなく、街道の神様でもあるのだ。

国道一号線と京阪電車大谷駅


逢坂峠の手前にある大谷にて、国道一号線と京阪電車「大谷駅」を写したもの。
蝉丸神社は大谷駅の改札を出てすぐのところにあって、東海自然歩道の音羽山にも近い。

蝉丸神社前の車石


車石をご存知だろうか。実は昨年、大津市歴史博物館の企画展で初めて知った。

車石(くるまいし)とは、江戸時代、牛車が通行しやすいように東海道 大津-京都間3里(約12km)の道に敷かれた石である。
京都の市街地から南へ延びる竹田街道と鳥羽街道にも見られる。
頻繁な牛車の通行によって石が擦り減り、U字型の凹みが残っているのが特徴である。

蝉丸神社前の車石は、1995年(平成7)に地元の藤尾学区自治連合会が設置されたとのこと。
「近江山河抄」は1974年(昭和49)刊行なので、おそらく白洲さんは御覧になっていない風景だろう。

蝉丸神社前の車石(案内板)


詳しくは大津市歴史博物館のHPをご参照いただきたい。

HPによれば、江戸時代、大津の港に荷揚げされた米などの物資は、牛車(うしぐるま)によって東海道を京都まで運ばれていた。
しかし、当時の街道は土道だったので、雨が降れば牛車の車輪が泥道に埋まり、思うように通行ができなかった。
そこで約200年前、牛車の車輪がぬかるみにはまらないように両輪の幅に合わせて2列に石を敷いたという。

逢坂関跡の辺り


逢坂の関の正確な場所ははっきりしていない。
この先にある関蝉丸神社(上社)から関寺(現在の長安寺のある辺り)の周辺にあったともいう。

写真は逢坂関跡の辺り。車が多いので、この先は歩かずに引き返した。
交通量からして、大関越は歩くには若干怖いコースである。
もっとも、ハイカーの男性やサイクリングの人を時々見かけた。

信号の後ろに見えている茶色の高架橋は、音羽山に続く東海自然歩道。
こちらも以前からハイカーに人気がある。

この日、徒歩で訪ねたのは以下の2ルート。
・京阪電車「大谷」下車→蝉丸神社→逢坂関跡(引き返す)
・京阪電車「上栄町」下車→関蝉丸神社下社→関蝉丸神社上社(引き返す)

逢坂関跡公園にも車石が置かれている(平成21年設置)とのことなので、後日また訪ねる予定。

関蝉丸神社上社


峠を登った所にある関蝉丸神社上社。
お気づきだろうか、鳥居が竹で出来ている。再建の予定があるかは不明。

冒頭で「この風景を今、きちんと撮影しておきたいと思ったことが大きい。」と書いた。
撮影していて、各地で似たような状況が見受けられることへの危惧がある。

関蝉丸神社上社からの眺め


1枚目の写真の再掲。実は、関蝉丸神社上社からの眺めである。
最初に見たとき、京都の貴船神社の雰囲気にどこか似ていると思った。
どちらも京都の郊外という点では変わらないのかもしれない。

だが、この眼下にあるのは貴船川ではなく、国道一号線である。
「近江山河抄」の風景は、現に消え行く風景になっていないだろうか。

消え行くことさえ気付かれないまま、静かに消えようとしている風景があるとしたら。
この風景を撮っておきたいと思った。近江(滋賀)は、私の故郷でもある。

関蝉丸神社上社付近


関蝉丸神社上社は、写真左側の急斜面にある。徒歩か自転車で来るしかないようだ。
目の前には、名神高速道路の高架橋が、国道一号線を横断するように架かっている。

上社の前には横断歩道があって、歩行者用ボタンを押すとすぐに信号が青になった。
歩行者には、こういう配慮が本当にありがたい。

国道1号線と161号線の分岐点(滋賀県大津市逢坂)


国道の分岐点。ここで国道161号線と別れる。
161号線へ進むと大津の市街地へ入る。関蝉丸神社下社もこちらにある。

関蝉丸神社下社の参道入り口と常夜灯-1

関蝉丸神社下社の参道入り口は、国道161号線沿いにある。常夜灯が見事だ。

関蝉丸神社下社の参道入り口と常夜灯-2

対になっている常夜灯の右側には・・・

関蝉丸神社下社と踏切


参道があって、参道の上を横断するように線路が走っている。

関蝉丸神社下社に行くには、踏切を渡っていくしかない。
後から気がついたが、参道を線路が横切っているのは、ここだけではなかった。

逢坂越2(関蝉丸神社と関の清水)へ続きます。


View Larger Map


View Larger Map

 

 


続きを読む "逢坂越1(蝉丸神社と逢坂山/車石) ~白洲正子「近江山河抄」の舞台を歩く(1)" »

2013年3月18日 (月)

水仙の生け花~東海道「逢坂越」で出会った和風建築の前で #shiga #japan #blog #photo

 

水仙の生け花


先週末は天気が良かったので、滋賀と京都の境で撮影をしていました。

場所は東海道の逢坂越(逢坂の関)。
数々の和歌に詠まれている場所ですが、現在は交通量がとても多い国道です。

道の傍に迷い込んで、ふと目に留まったのがこの水仙の生け花。
一号線のすぐそばに、こんな静寂があるなんて・・・。
場所といい、生け花といい、なんとも風流なお宅でした。
淡い春の香りをお届けできれば。

撮影地:滋賀県大津市逢坂1丁目
(※堅田と同じ大津ですが、堅田のはるか南に位置します。)


 

続きを読む "水仙の生け花~東海道「逢坂越」で出会った和風建築の前で #shiga #japan #blog #photo" »

2013年3月15日 (金)

写真ブログ「Katata/堅田」更新しました|出島灯台から見た杢兵衛造船所、その向こうには浮御堂 ~Imakatata/今堅田137 #shiga #japan #blog #photo

 

出島灯台から見た杢兵衛造船所、その向こうには浮御堂


琵琶湖の最狭部、今堅田という町にある杢兵衛造船所。
その隣にある出島灯台から見た眺めです。

黄色いクレーン車と造船所の屋根の間から見えている、三角屋根の建物にご注目ください。
近江八景「堅田の落雁」こと、浮御堂です。

こんな風に思いがけず浮御堂が見えると、懐かしい友人に会ったような気持ちになります。
(最近はずっと対岸から堅田の町を撮影していたので、久しぶりの堅田の写真です。)

この後しばらく、堅田の春の写真を掲載していく予定ですので、お楽しみに。


続きを読む "写真ブログ「Katata/堅田」更新しました|出島灯台から見た杢兵衛造船所、その向こうには浮御堂 ~Imakatata/今堅田137 #shiga #japan #blog #photo" »

2013年3月13日 (水)

琵琶湖のほとりにて、2013年2月の風景写真・全7枚(撮影地:烏丸半島) #shiga #japan #blog #photo

 

湖岸の砂浜と木々
春を待つ大地
凧揚げをする人たち
雪の比良山と、堅田の町(ヨシと水鳥とともに)
琵琶湖岸のヨシとヤナギ
比叡山とヨシと琵琶湖
比叡山と琵琶湖


堅田の対岸にあたる烏丸半島(滋賀県草津市)から撮影した、琵琶湖岸の風景です。
Photography of Lake Biwa(February 2013).

1/7「湖岸の砂浜と木々」
2/7「春を待つ大地」
3/7「凧揚げをする人たち」
4/7「雪の比良山と、堅田の町(ヨシと水鳥とともに)」
5/7「琵琶湖岸のヨシとヤナギ」
6/7「比叡山とヨシと琵琶湖」
7/7「比叡山と琵琶湖」


続きを読む "琵琶湖のほとりにて、2013年2月の風景写真・全7枚(撮影地:烏丸半島) #shiga #japan #blog #photo" »

2013年3月11日 (月)

本日、2013年3月11日14時46分に。 #shiga #japan #blog #photo

 


0311


黙祷前にずっと時間を見ていたので、14時46分ちょうどに愛器を写した一枚です。
実はこの携帯、2011年3月11日の14時46分に、購入手続き中でした。

(DOCOMOのmovaを使っていたのですが、foma一本になるというので手続き中でした。
movaのほうが比叡山の山中などで電波が入りやすかったこともあり、ずっとmovaでした。)

震災当日、滋賀県内のドコモショップにいたのですが、ビルの一階でもかなり揺れました。
自分がめまいをおこしたと思ったくらいです。

その翌日か数日後だったか、携帯の電源を入れたら画面にニュースが流れてきて、
「仙台の若林区の海岸でご遺体が多数」とあって、息を呑みました。

信じられなかった。仙台は母の故郷でしたから。
それが私の3・11の記憶です。

それから2年。ほとんど休み無しで支援情報サイトの記事を書いて、更新し続けて、
たくさんの方からいただいたメールのお返事を書いて、そんな毎日でした。

さすがにオーバワークになってきたので、
支援サイトの更新は3月10日で一旦お休みをいただくことになりました。

ひとつ心配だったのが、私に何かあったときの、支援サイトのことでした。
支援サイトの前身だった当ブログは、3月某日サーバーが落ちて閲覧禁止になったことがあり・・・
不測の事態に備えてバックアップを他に残しておきたかったのです。

幸いなことに、国立国会図書館のインターネットアーカイブで保存していただくことができました。
http://warp.da.ndl.go.jp/waid/20012

昨年の8月には、支援情報サイトのバックアップブログを作りました。
http://hinansyameibo.blog.fc2.com/

ご報告としては、今のところ、そんな感じです。

Katata/堅田を御覧いただいている皆さまには、色々お付き合いいただき、本当に感謝しています。
これからも支援活動やKatata/堅田の更新は続けていきますので、よろしくお願いします。

(2013年3月11日 兼松 純)


続きを読む "本日、2013年3月11日14時46分に。 #shiga #japan #blog #photo" »

昨日、ハービー・山口さん@herbieyamaguchiの写真展に行ってきました。素晴らしかったです。(2013年3月31日まで、滋賀県立近代美術館にて開催) #shiga #japan #blog #photo

 


ハービー・山口さんの写真展パンフ


心に強く残ったことば。

「続けることが大切だ。撮れなかったからといって諦めてはいけない。
やっと撮れて、偶然撮れて、その一枚一枚の積み重ねの上に写真家は存在している。
時間がかかっても良いじゃないか」(HOPEのキャプションより)

ハービー・山口写真展-HIKARICAL SCAPE 雲の上はいつも青空
2013年2月2日(土)~3月31日(日)@滋賀県立近代美術館
http://www.shiga-kinbi.jp/?p=16177

ハービー・山口さんの写真はこちらから御覧下さい。
http://www.herbie-yamaguchi.com/


 

 

 

 

 

続きを読む "昨日、ハービー・山口さん@herbieyamaguchiの写真展に行ってきました。素晴らしかったです。(2013年3月31日まで、滋賀県立近代美術館にて開催) #shiga #japan #blog #photo" »

紅梅の花が咲きました(Japanese apricot blossoms.) ~tree・flower/木・花 045-046 #shiga #japan #blog #photo

 


紅梅のふくらんだつぼみ


ふくらんだつぼみ(3/4撮影)。
そして、一気に開花へ(3/7撮影)。

紅梅の花が咲きました


今日現在、満開になっています。
少しずつ、春へ、ですね。
Prunus mume (Japanese apricot) blossoms.

※白梅の写真をこちらに掲載しています(堅田なぎさ苑にて撮影)
http://katata.cocolog-nifty.com/blog/2011/03/chage-aska---tf.html

※撮影メモ※
今年(2013年)はいろんな花の開花が例年より遅い感じです。
滋賀県南部についてメモしておきます。
サザンカ(1/16開花)、フクジュソウ(3/4開花)、ウメ(3/7開花)


続きを読む "紅梅の花が咲きました(Japanese apricot blossoms.) ~tree・flower/木・花 045-046 #shiga #japan #blog #photo" »

2013年3月 4日 (月)

【滋賀のイベント】蓮如忌に、「蓮如粥」の振る舞いと、浮御堂早春ウォークが開催されます。琵琶湖のほとり・堅田にて3/10開催。

 


びわ湖浮御堂早春ウォークのお知らせ


堅田の町おこしに取り組む団体「湖族の郷」の主催で、早春ウォークが開催されます。
主催者様からご案内をいただきましたので、皆様にお知らせします。

びわ湖堅田湖族の郷 春の散歩ジウム 「堅田衆とその歴史遺産」まち歩き

■日時:2013年3月10日(日) 午前10時~午後3時 (受付開始:午前9時30分~)
■集合場所:JR堅田駅東口(京都駅からJR湖西線にて約20分)
■参加費:お一人¥1500(昼食「蓮如粥」・寺社入館料等含む。当日受付にて受領。)
■お問い合わせ:湖族の郷(こぞくのさと)資料館(電話077-574-1685)までお願いします。


大きな地図で見る


 

 

 

これが、琵琶湖の上に建つ寺、浮御堂です。

 



堅田は、滋賀県大津市の北部にある琵琶湖畔の町です。
近江八景の一つ「堅田の落雁」こと、「浮御堂」がある町として知られています。

浮御堂は平安時代に創建された禅寺で、琵琶湖の上に建っています。
境内からは琵琶湖が360度展望でき、対岸まで広がる素晴らしい眺めが御覧いただけます。

 

琵琶湖

 



堅田は平安時代から京都の下鴨神社の「御厨」として庇護を受け、湖上交通を取り仕切り、
中世には琵琶湖最大の自治都市として発展しました。

 

居初邸と、古い蔵

 



今でも町並みにその面影が残り、町屋が生活の中に残っています。
(写真:中世に堅田を治めた豪族・居初氏の邸宅)

室町時代には、20代~30代の一休さんが堅田の「祥瑞寺」で修行し、悟りをひらきました。

祥瑞寺、静かな朝の鐘

 



(写真:祥瑞寺、静かな朝の鐘)

同じく室町時代には、比叡山延暦寺から仏敵とされた蓮如が、堅田の「本福寺」に滞在しています。
蓮如を匿って延暦寺から町を焼き討ちにされながら、堅田の人々は数年で町を復興させました。

信仰心の篤さと湖上交通の安全を願う気持ちから、浮御堂の徒歩圏には10近くもの寺社があります。

本福寺の松

 



(写真:本福寺の松)
本福寺では毎年、3月第2日曜日に「蓮如忌」が営まれ、昼食には「蓮如粥」が振舞われます(有料)。
※今回の昼食がこの「蓮如粥」です。頂いた事がありますが、シンプルな白いお粥ですよ。

そして、なんといっても、堅田は路地の町。
路地の向こうにぱっと琵琶湖が見えるのは、堅田ならではの風景です。

 

居初邸の路地2

 



地元の方々のご案内をいただけるのが、このまち歩きの大きな魅力です。
早春の折、お気軽にお出かけください。

※写真:2011年2月のバックナンバー(※堅田の名所・町案内を掲載)からお届けしました。


続きを読む "【滋賀のイベント】蓮如忌に、「蓮如粥」の振る舞いと、浮御堂早春ウォークが開催されます。琵琶湖のほとり・堅田にて3/10開催。" »

« 2013年2月 | トップページ | 2013年4月 »

2020年8月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          
サイト内検索
ココログ最強検索 by 暴想

東日本大震災の記事を御覧の皆さまへ

このブログのご案内

  • ご訪問ありがとうございます♪

  • 風景写真家、アマナイメージズ契約作家。故郷滋賀の里山や寺社、各地の知られざる風景を撮影して歩いています。2007年12月から琵琶湖畔の町・堅田の写真を更新してきた写真ブログです。

  • ▼公式ホームページ(堅田を初めとする風景写真・自然写真を掲載しています) junphotoworks.com

    フェイスブックへのリンクは下記をご利用下さい。応援ありがとうございます!



  • Copyright(C)2007-2015.
    兼松 純(Jun Kanematsu)

    写真に電子透かしを使用しています。

    当ブログに掲載されている写真・画像・文章・イラストの無断複写、転載等の使用および二次使用を禁じます。
    No reproduction or republication without written permission.

    ■当ブログ掲載写真は、地域の方に楽しんでいただく作品発表の場として、2007年より掲載してきました。2014年には、祭事写真のために筆者(兼松)が書いた解説文を専門家が新聞コラムに無断使用する事態があり、弁護士相談の上で関係者各位に申し入れを行いました。 判断に迷うときは、事前にお問い合わせいただきますようお願いします。

    ■2014年春からアマナイメージズに作品の一部を預けています。 WEBに掲載していない作品もございますので、詳細はお問い合わせ下さい。

連絡先/Contact

ホームページへのリンク

堅田の町のご紹介

お気に入りサイト・ブログ

無料ブログはココログ