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2012年6月12日 (火)

琵琶湖のほとりの風景写真「Katata/堅田」|大阪の堺と並ぶ自由都市だった港町、堅田。殿原衆三家の一つ、居初氏の邸宅にて(前編) ~Honkatata/本堅田 477-484 #shiga #otsu #photo

居初氏庭園の緑の垣根

ひしゃく

白い蔵

中世の堅田は、琵琶湖の水運・漁業・造船を支配する力を持ちました。その筆頭格が居初氏です。

居初氏は、下鴨神社に湖魚を奉納する「供御人」の系譜に繋がる旧家でもあります。
献饌供御人行列の「供御人」はここから来ています。

※「献饌供御人行列」(けんせん くごにん ぎょうれつ)
葵祭の前日(5/14)、堅田から下鴨神社に”琵琶湖の鮒(ふな)”を奉納する行列。
葵祭の写真とともに、5月のバックナンバーでご紹介しています。


居初氏庭園のツツジ

歴史を遡ると、堅田は1090年(平安時代)に京都の下鴨神社御厨(みくりや)となりました。
続いて堅田とその周辺地域に比叡山延暦寺の荘園(堅田荘)が成立します。

御厨(みくりや)とは、「厨(くりや)」(「台所」の意)の敬語的表現。
中世日本においては皇室や伊勢神宮など、有力な神社の荘園(神領)を意味する。
http://ja.wikipedia.org/wiki/御厨

当時、堅田には三つの党がありました(居初・刀弥・小月の殿原衆)。
堅田は下鴨神社延暦寺の権威を背景に、湖上関の通行税の徴収権などの湖上特権を確立していきます。
御厨となって約90年後の1182年、伊豆神社に宮座が置かれ、堅田は殿原衆を中心に惣の運営を始めます。
大阪の堺と並ぶ、中世の自由都市の始まりでした。

茶室の茅葺屋根

この間、堅田では、自由都市ならでは人の往来がありました。
一休和尚が堅田の祥瑞庵(現在の祥瑞寺)で修行(1415年)
・京都を追われた蓮如上人が堅田の本福寺に数年滞在(1465年~)
・蓮如上人を匿ったことが発端となって、比叡山延暦寺の衆徒が堅田の真宗門徒を攻撃(1468年、堅田大責

蓮如上人の件以前に、堅田は湖上関の通行税(上乗)の徴収で室町幕府に疎まれていたようです。
花の御所造営に使う木材に同じように上乗を要求した事から、8代将軍足利義政は領主である延暦寺に堅田の処分を要求しました。
当時の延暦寺は蓮如を「仏敵」としていたので、蓮如を匿った事が比叡山を刺激したわけです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/堅田

堅田大責で町を焼かれた人々は、琵琶湖に浮かぶ沖島に逃げました。
2年後に比叡山延暦寺に和解金を払う事で再び堅田へ戻ってきます。
そのとき、堅田の実権が殿原衆(地侍)から全人衆(まろうどしゅう、商工業者・周辺農民)へと移っていったと言います。

1587年、豊臣秀吉が大津百艘船制度を設けた事で、約500年続いた堅田の特権時代が衰退していきます。

※5月27日に、堅田観光協会の取り組みで一般公開された際、撮影させていただいたものです。
せっかくの機会ですので、地元の方に伺った事など交えて、居初氏と中世の堅田の歴史を書いてみました。
居初邸には天然図画亭(てんねずえてい)と呼ばれる日本庭園(名勝)があります。次回掲載します。


クスノキの大木

居初邸の庭園にある巨木。クスノキのようです。

琵琶湖岸から見た居初邸

↑琵琶湖岸から見た居初邸。そして、↓居初邸から見た琵琶湖と葦(ヨシ)。目の前に広がる雄大な風景です。

居初邸から見た琵琶湖とヨシ

堅田(滋賀県大津市)の写真 本堅田 「居初氏庭園にて」 1-8
2012.05.27撮影■撮影地:滋賀県大津市本堅田2丁目

Isome-shi Garden.This is a Japanese garden made before 1681.
Photograph of Honkatata-2chome,Otsu,Shiga,Japan 2012.05.27"At Isome-shi Garden"1-8


堅田の風景動画(短編集・Silent Movie)

Katata/堅田 mobile/携帯版

サイトマップ(日本語)

SiteMap(en)

動画・2009.5.14献撰供御人行列(Silent Movie)


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